第896話 新たなる特性
魔族達はまず最初に驚愕し。
次に愕然とし。
最後に畏怖を抱いた。
それはそうだろう。
その女の計画の全貌を掴むために魔族達は総力を結集した。
そしてその上で、それすらも相手に全て読まれていた。
それはつまり……その女、ミエの方が魔族よりも高い知性を有している、と言うことに他ならぬ。
それは恐るべきことだった。
なぜなら、その事実はもう一つ、魔族どもの隠された……そして致命的な欠点を露わにするものだからだ。
魔族達の欠点とは何か。
瘴気の中では不死身とされる彼らに一体なんの弱点があるというのだろう。
彼等の弱点……
それは『精神攻撃』である
考えてみれば当たり前の話である。
今回のように瘴気地の外であれば彼らは肉体を有する。
だがそれはあくまで彼らが物理的干渉力を持つ必要があるためであって、彼らの正体は精神生命体なのだ。
瘴気地の中ではその本性で戦う事ができる。
精神生命体なのだから物理攻撃は殆ど意味は為さぬ。
だが逆に言えば精神体なのだから精神攻撃は有効なはずではないか。
けれどそれは安易な考えだ。
まず呪文だが、精神効果のある呪文は基本的に『対象を取る』呪文だ。
つまり魔術結界によって阻まれてしまう。
魔術結界を無効化する呪文、というのも勿論開発されてはいるが、それはその性質上物理ダメージを与える呪文が殆どとなる。
精神に直接作用する系統の呪文で魔術結界無効な呪文はほぼ存在しない。
そして精神効果のある呪文は精神抵抗できる。
魔術結界を持たぬ人型生物なども、精神系の呪文を受ければ精神力の限りを尽くしてそれに抗おうとする。
それと同じことだ。
そして魔族の精神抵抗は異様に高い。
さらに言えば彼らは己の弱点を知っている。
ゆえに自身の妖術や魔導術などによって精神抵抗を高めたり、或いは高位の魔族ともなれば精神効果を無効とする呪文を用い、己の身を守る。
結果として精神系の効果を持つ呪文によって彼らを討ち倒すことはほぼ不可能と言っていい。
無論下級の魔族程度が相手であればそれなりに通用する手ではあるのだけれど、下級とはいえ瘴気の中で戦う彼らはその不死身性と共にステータスが強化されている。
瘴気の内ではそうそう簡単に倒せる相手ではないのである。
ならば直接精神攻撃するのはどうだろうか。
簡単に言えば『悪口』などである。
交渉術や恫喝などを用いて相手を精神的にやり込めたら効果はないだろうか。
だがこれも無駄である。
彼ら魔族は高い知性を有し、種族的にも人型生物相手に絶対的な優位性を誇っている。
有象無象の兵士がいくら集まっても物理障壁を抜けない限り敵ではないし、強力な個体がいても魔族は精神感応を利用した集団戦術で討伐可能だ。
唯一個々が魔族を倒し得る強力な個体が軍隊となって襲ってきた場合のみは死闘となるけれど、そんな状況自体天界から天使の軍団がやってきたのでもない限りそうそう発生し得るものではない。
この地上の全ての者より自分達の方が存在の次元が高い。
すなわち『格上』である。
そういう意識が魔族にはある。
まあ種族性能で考えるならそれもあながち間違いない。
前述の通り神の使途たる天使達のように彼らに比肩し得る種族がいないわけではないけれど、彼らのは普段この世界には存在しない。
天界と呼ばれる神性…いわゆる神様のような存在…が棲息している世界の住人だ。
地上世界の住人ではないのである。
そうした連中を別にすれば、それ以外の連中より自分達の方が存在が遥かに上なのだから、格下どもがいかにわめきたてようと所詮愚かな戯言、負け犬の遠吠えに過ぎぬと喩えどんな罵詈雑言を浴びようと聞き流す事ができるのだ。
精神的に余裕のある者は他人からいくら陰口を叩かれても大して気にも止めぬ。
言ってしまえばそういう感覚である
精神生命体ゆえに物理攻撃が殆ど効果を及ぼせず。
相手より圧倒的に精神的に優れているという自負が精神攻撃を無視させる。
強いはずである。
だが……その前提をミエが根底から覆した。
ミエの策謀は、智謀は、全て魔族の総力を結集した上でそれを上回っていた(※とても重大な誤解があります)。
それはつまりミエと言う個体は魔族すべてよりも知能に於いて遥かに上であるということを示している。
言ってみれば魔族より『格上の存在』だ。
これまで魔族どもが長きにわたり君臨してきた『種族的優位』という圧倒的アドバンテージを、たった一個体とはいえ完全に凌駕してのけたわけだ。
それはつまり、魔族どもはミエから受ける精神攻撃であれば防ぎえない、ということを意味している。
それも、瘴気地の中ですら、だ。
魔族にとって物理攻撃と精神攻撃、どちらが受けるのが嫌だと言えば精神攻撃である。
彼等にとって物理的実体はあくまで仮初めのもの。
本来はあくまで精神体なのだからある意味当然と言えよう。
その精神攻撃で、ミエは魔族どもにダメージを与えうる。
彼女に己の見た目や精神性を攻撃されたら、彼らの本体である精神体にダメージが入ってしまう。
例えばミエが魔族に窓掃除を命じたとして…
いや例えが少しおかしな気もするがともかく命じたとして、魔族があたふたと窓拭きに精を出したとしよう。
そこにミエがやって来て窓のサッシをスッと指でなぞりその指先についている埃を吹き散らしたあとこう告げるわけだ。
「あら? 私は窓のお掃除をお願いしたはずなのですけど、これが貴方の考えるお掃除なんです?」
そんなことを言われでもしたら、魔族は即ダメージを受けてしまう。
いや洒落でも冗談でもなく、単に落ち込むというだけでもなく、それで本当にそれでダメージを受けてしまうのだ。
彼ら精神生命体にとって精神攻撃を受けるとはつまりそういうことだ。
人型生物で言えば抜き身のナイフでその身体を幾度も突き刺されるようなものである。
そしてそれには自然治癒も再生も効かぬ。
あれは物理ダメージだからこそ有効な能力であって、精神ダメージに対しては適用されないからだ。
そして精神体としての彼らが精神ダメージによって死亡してしまった場合……彼らにはもうどうしようもない。
完全な『滅び』である。
復活の余地はない。
これが物理的な死亡であれば、実はまだなんとかする方法がある。
聖職者に蘇生させればいいのだ。
無論以前イエタが述べたように聖職者は魔族の蘇生などやりたがらない。
けれど何事にも抜け道はある。
要は魔族だとバレぬよう騙して蘇生させたり、魔術によって精神的に支配隷属させて蘇生させたりしてしまえばいいのだ。
その結果復活させた聖職者は魔族を復活させたことでその精神に変調を来たし、神の恩寵を失ってしまうだろう。
だが自分達が復活できるなら大した問題ではない。
また次の犠牲者たる聖職者を探し出し操ってしまえばいいだけだ。
まあそんなことをすればたちまち怪しまれて潜伏していた場所を追われてしまうだろうし、毎回毎回蘇生可能な高位の聖職者を騙したり支配したりするのは困難なためそうそう使える手ではないが、ともかく不可能ではない。
だが精神体が死んでしまえば替えは効かない。
完全な消滅である。
それは魔族にとって圧倒的な恐怖そのものだ。
そのことに、ある魔族が気づいた。
気づいてしまった。
ひょっとしてあの女は、瘴気の内でさえ自分達を滅ぼし得る存在なのではないか、と。
自分達より遥かに高度な知性と智謀を兼ね備えた彼女にもし口先でやりこめられでもしたら、自分達はそのまま消滅してしまうのではないかと。
彼は恐怖のあまり思わずそれを叫んでしまう。
精神感応で、だ。
以前にも少し述べたが魔族の精神感応は別に特殊な意思伝達ではない。
彼らの日常会話である。
ゆえに咄嗟の叫びは精神感応で為され、そしてそれが周囲の魔族どもにも伝わってしまう。
正確に。
魔族達は精神感応で素早く意思伝達し、全員が瞬時に同じ情報を共有することができる。
距離の制限こそあるものの彼らが一糸乱れぬ統制の取れた軍隊を維持できるのはこの精神感応によるところが大きい。
だが、今回はそれが逆に仇となった。
精神感応の叫びを思わず聞いてしまった周囲の魔族どもは、その叫びに含まれている彼の懸念と恐怖を同時に受信してしまった。
瞬く間に事情を察した周囲の魔族どもが思わず恐怖に叫びおののき、それがまた近くの魔族に伝播してゆく。
そうして……潮のように。
まるで津波のように、魔族どもに恐怖が伝染していった。
自分達は滅びうる。
絶対性を有していた瘴気の中ですら滅び得る。
あの女、あの娘、ミエ……いやミエ様と言う恐るべき存在によって永遠の滅びを受けてしまう……!
そうして……その恐怖の波が収まった時、彼ら魔族には変化が起きていた。
なんとも不本意で、不愉快で、そして不名誉な変化が。
魔族には多くの種があるが、魔族としての共通する特性、いわゆる種族特徴は以下のものである。
すなわち精神感応。
火炎に対する完全耐性。
冷気や強酸に対する一部耐性。
魔術的な暗黒すら見通す≪闇視≫。
そして……
弱点:ミエ様