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異世界に転生したらオークの花嫁になってしまいました  作者: 宮ヶ谷
第五部 竜殺しの太守クラスク 第二十章 魔族の計画
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第894話 歪んだ知性

竜宝外交……

それは赤竜の財宝を正しい持ち主に無償で返却しようというなんともお人よしすぎる外交方針であった。


その見返りとして何も要求しない。

クラスク市と国交を結べといった政治的要求すらしない。

あくまで国交は国交、返還は返還と別にしてわざわざ書面にまでしたためたのだ。


そもそも竜の財宝の権利は討伐者のものであり、それは国際法上保証されているのだから元の持ち主に返却する義務は一切ない。


仮に善意で返すとしても苦労に見合った代価を要求するのは当然である。

というか、本来であれば必ずそうするべきなのだ。

赤竜を討伐するためにクラスク市は莫大な予算と手間と資源を浪費しさらに命まで賭けたのだから、それを無償で返却すればタダどころか大損ではないか。



ただし……そうした動きはとある当たり前の、だが看過できない問題を生じさせる。

()()()()()()()()()()()のだ。



高ければ安くしろと、安ければさらに安くしろと。

国交を結んでやるからもっと値引きしろと。

うちの今の財源では支払い切れないから五百年の分割払いにしろと。

そうしたそれぞれの国ごとのそれぞれの条件によって交渉が難航することで、とあるよろしくない状況が発生してしまう。



財宝の、()()()()()()()()()()()()()である。



交渉がすべてまとまるまで、竜の財宝は全てクラスク市の宝物庫に留まったままだ。

その累計価値は莫大で計り知れぬ。

それだけの財宝が一か所に集中していれば、多少国際法を無視しようが強奪したい、と考える国が出ても何らおかしくはない程に。


それこそが魔族達が乗じる隙。

人が欲望を有する限り決して逃れる事のできぬ、決して消し去る事のできぬ、魔族がこの地方全てを巻き込み破滅へと導くために人類が自ら進んで差し出してしまう交渉という名の確定的猶予期間。

その猶予と停滞が存在する限り必ず生じる、彼ら魔族の最も得意とする権力者の欲望…それも圧倒的な欲への刺激という、決して敗北する事のない、成功の約束された絶対的な交渉の余地。

それこそが魔族どもの必勝の、そして絶対の策。




いや…必勝の策……『だった』。





だが、ミエの竜宝外交はそれを根底から覆す。


()()()()()()()()()()()()()()()()そこに『高い』『安い』や『良い』『悪い』といった評価や検討、あるいは交渉の余地が生じてしまうが、タダにはそもそも交渉の余地がない。

受け取るのが早いか遅いかの違いしか発生し得ない。


ならば相手方の気が変わらぬうちに……なにせ相手はいつ気が変わるとも知れぬオーク族なのだ……一刻も早く、最速で国宝を受け取ってとっとと持ち帰られねばならぬ。

各国はこぞって重臣どもをクラスク市に派遣し……そしてその街の進んだ文化文明に驚愕し、驚嘆する。


そうした流れから彼ら外交官たちは帰国するまでの間にクラスク市と国交を結ぶべきだという立場に己の主張を変じるわけだが、以前述べたそれはあくまで()()()()()()に過ぎぬ。

ミエ本人すらまったく気づいていなかった竜宝外交の真の成果とは、すなわち()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そのものにあったのだ。


国宝を返却してもらえばそれらの国々がクラスク市を襲う理由は失われてしまう。

そしてクラスク市にある国宝がほとんど失われてしまえば、先述の国力を増すためにとにかく国宝が欲しい、奪いたいといった野心を持つ国家群からもクラスク市を襲う理由…()()が失われてしまう。


なにより彼らが協調して連合軍を組もうとするほどに賛同者が出てこない。

皆クラスク市に感謝し感服しているのだから、孤立無援で戦うしかない。


そして一国が遠征軍を率いてきた程度では、クラスク市が籠城戦に於いて後れを取ることはないのである。


かつてミエたちが竜の財宝の処遇を巡って宝物庫で議論を交わした時、ミエの着想に皆驚愕し、呆れ果てた。

あれだけ苦労して手にした財貨をタダで返却してどうするのかと。

だがその中で親衛隊長たるキャスだけがミエの意見に最初から理解を示していたはずだ。


彼女が懸念していたこと……それこそがこの『クラスク市への富の一極集中』、そして『交渉の難航により長期に渡ってそれが継続してしまうこと』、そしてそれによる『各国の襲撃の危険性の増大』にあった。

だからたとえ財政的に損をしても即座に富を散逸できるミエの案を評価したわけである。


まあさしもの彼女もクラスク市への財の集中を魔族どもが企図して引き起こし利用せんとしていた、というところまでは読めてはいなかったけれど。



ともあれ、人型生物フェインミューブの女一人に見事に一杯喰わされた魔族どもだけれど、彼らはミエの策を見破れなかったのだろうか。

人を遥かに凌駕する知性を有するとされる彼らが、一介の主婦に過ぎぬミエの考えに気づく事ができなかったのか。



実は……

まったく。

完全に。

さっぱり。

これっぽっちも。




……見抜けなかったのである。




だがそれは決して彼らの知性が低いからではない。

彼らの知性の高さの『方向性』の問題だ。


魔族は精神生命体であり、その主食は知的生物の心が放つの負の感情である。

瘴気の外にいる時は物理的な肉体を有し、それを維持するために普通の食事を摂ることもあるけれど、それでもやはり彼らの食餌は人の心なのだ。


一体どうすればよりよい食事にありつけるのか。

その悩みは即ちどこをどうすれば彼ら人類からより強い負の感情を引き出すことが、引きずり出すことができるのか、という思索に等しい。


彼等は人の心を紐解き、どうすれば怯え、どうすれば恐れ、どうすれば憎み、どうすれば絶望するかを学び、研究した。

そしてその過程で負の感情そのものではないけれど、それを生み出すとても強い感情を発見する。


『欲望』である。


欲は必ずしも負の感情と言うわけではない。

そういう()()を放ちそうした()の欲望もあるけれど、そうでないものもある。


言い換えるなら『夢』などがそうだ。

何かを手に入れたい、何かになりたい、何かを成し遂げたい。

そうした人の夢は必ずしも悪でもなければ闇でもない。


だが……夢や希望、欲望といったものを追い求める時、人は容易く他人を押しのけ、他者から奪い取る。

それにより周りの者から負の感情が発生する。


そして大きな夢を追い求めれば追い求めるほどそれは多くの者を巻き込んで、その夢の内容如何によってはより多くの者に大量の負の感情を発生させ得る。

そしてその夢が叶わなかった時……夢破れた本人からも途轍もなく大きな負の感情が発生するのだ。


()()()()()()()()

魔族達は思った。


欲。

人の欲。


これをもっともっと知ろう。

調べよう。

もっとさくさんの糧を得るために。



そうして……魔族達は『進化』した。



彼らの高い高い知性は、つまり彼らの生存そのもの……食餌を得るために発達したものである。

即ち魔族の知性と智謀は極端に人の『悪意』と『欲望』に拠っているのだ。


では彼らは純然たる善意の人の考えは読めないのだろうか。

欲得を一切持たぬ静謐な者の感情は理解できないのだろうか。



そう、できない。

彼等にはそうした者達の思考を読む事ができず、何を考えているかも理解できない。



けれどそれで全く問題ないのである。



考えてみて欲しい。

負の感情を一度により多く手にするためには、より大きな影響力を持つ者の夢や欲を刺激して大量の人を巻き込み不幸に落とすのが手っ取り早い。

一人一人を頑張って不幸にするよりそちらの方が遥かに効率がいいわけだ。


となると魔族たちの標的は自然と大富豪や権力者たちばかりに傾くことになる。

こうした地位にある者には必ず欲がある。

深く深く、強い強い欲望がある。


そうした強い欲がない者はそもそも前に進もうと、上に登ろうとする意欲自体を持ち合わせていない。

欲とは活力であり、前進するための原動力や推進力でもあるのだから。

片田舎の小さな集落で一生を終える、隣近所にしか影響を与えない善良な者の考えが読めなかったとしても魔族どもは一向に困らないのである。


まあ中にはそうした私心や私欲の一切ない聖女のような存在が冒険者一行に参加している事があり、ごくごく稀にそうした者の存在によって上級魔族が討ち取られ魔族どもの計画が台無しにされることもあったけれど、それはごくごく限られた例外であり、不幸な事故であり、確率的に切り捨ててよい誤差のようなものだった。



そうして人の欲望を契機として人の心を読み、歴史を読み、計画を練ってきた彼らにとって、ミエの思考は完全に埒外であった。



なにせミエには欲がないのである。

欲望や野望、野心がないから魔族どもがミエの心を読み取らんとしてもそのとっかかりが存在しないのだ。


とは言っても別にミエが殊更崇高な理念の持ち主と言うわけではないし、欲望や穢れから一切解脱し悟りを開いているわけでもない。

彼女はただの、本当にただの一般人に過ぎないのだ。

ならば欲がないとはどういうことなのだろうか。


……実のところ、彼女にも夢はあった。

己の命を賭してでも叶えたい夢があった。

だからもしその頃に魔族と出会っていたのなら、彼女は簡単に己の欲に屈し魔族の従僕と化していたに違いない。



ミエが追い求めていた見果てぬ夢……

魔族が付け入るはずだった隙。

彼女の奥底にくすぶっていた欲望。





()()()()()()()()()()()()()()()()()()()





己の足で街を散策し、森を散歩し、草原を駆けまわること。



母親と一緒に買い物に出かけ、あれがいいこれがいいと下らぬ会話そしながら食材を選ぶこと。



家への帰路、母の持つ買物袋が重そうだからと自分で一つ持ってあげること。



台所で、母の隣で料理を教わりながら包丁を振るうこと。



帰って来た父に遅い遅いと文句を言いながら楽しげに皿を並べること。



一家団欒を楽しく過ごすこと。

今日は私の当番だからと母を休ませ代わりに食器を洗ってあげること。



そして……明日はどこに行こうかとあれこれ夢想しながら、ベッドの中でまどろみに落ちること。




そんな……そんな当たり前の一日。

健康な者であれば誰もが経験してきたであろう、むしろ退屈過ぎて無為に過ごしたと嘆きかねない平凡な一日。


そんな一日をこそ、彼女は切に求めていた。

たった一日でもいい、そんな日を過ごせるのなら、悪魔にだって魂を売ってやるのにと。


健康な体があれば。

自分一人でどこにでも行ける足があれば。

病的に白くも細くもない、家族を支えられる手があれば。

あと数年で尽きぬ命がありさえすれば。



そうすれば、もっともっといろんなことができるのにと。

たくさんたくさん、やりたいことがあったのにと。




結局……そのどれ一つとして叶うことなく、彼女はその命を失ってしまったけれど。




だがミエは神の御使いを名乗る者に選ばれた。

異世界に転生させられた。

健康な体を与えられた。



()()()()()()()()()



そう、この世界にやってきたその時点で、彼女の望み、彼女が己の全てを捨ててでも手に入れたかった願望は、欲は、()()()()()()()()()()()()()のである。


異世界転生した者は世界を救う勇者に任命されたり王様をさせられたり或いは元の世界に戻らんとあちこち調べて回ったり、何かの目的や役目があることがほとんどだ。

スローライフにいそしむ者もいるけれど、のんびり過ごしたいというのもまた立派な目標だろう。




()()()()()()()()()()()()()()()

彼女はこの世界に来た時点で既に望みを叶え終わっているからだ。




そして……その先。

決してかなうはずがないと思っていた夢の先。


もしそれが手に入ったとしたらと夢想していたこと。

夢見ていたこと。


すなわち誰かと愛し合い、結ばれること。

子供を授かって、大切に育てること。


それすらもミエは叶えてしまった。


だからその先の人生は彼女にとって言ってみれば既に望外。

願いが叶い、幸せを手入れたその先なのである。


そうであればガツガツと財を貯めこみ有利な取引を求めあくせくしたりする必要もまたないはずだ。

要は現在の彼女は完全に欲求から解き放たれた状態なのである。



もちろん今のミエに欲が一切ないわけではない。



疲れた時には甘いものが食べたいし、子供の顔を見て癒されたい。

夫の隣で語り合いたいし、友人と共にカフェでのんびりしたい。


けれどそれらは彼女の『人生の目的』ではない。

『余禄』である。


余禄で人生を誤ることはない。

だからミエは魔族の言葉に惑わされることはなく。

そして無欲であるがゆえに魔族の思索を悉く潜り抜けてしまう。


そうして……ミエはクラスク市の権力者の座に就いた。

飛び抜けたお人よしと利他と共存共栄の心を失わぬまま、太守夫人の座に収まってしまった。



生前健常者に比べあまりに与えられなかったがゆえに、あまりにささやかな願いしか抱く事の許されなかった彼女は……

けれどそれがゆえに、この世界の魔族が予測も推測もできぬ思考と行動を取る事ができるようになった。



それはつまり……より多くの者に影響を与える権力者と言う地位に、魔族が全くその考えを読み取れず理解もできぬ存在が鎮座している、とういことに他ならぬ。







だが……魔族どもの本当の失策は、その先にこそあったのだ。







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