第891話 秘書官の策謀、魔族の計画
さて、あまりに理不尽な決着に甚だしい疑問をお持ちの方もいると思う。
なぜこんなことが起きたのか。
なぜこんなことになってしまったのか。
それを知るためには、一度彼ら魔族達の本来の計画について語らなければならない。
今彼らが行っているような出がらしの策ではない。
元々魔族達が計画していた『真の計画』についてである。
さて、アルザス王国に仕える秘書官トゥーヴ。
彼には長いこと仕える腹心がいた。
名をフィレグ。
計画の立案から実行部隊の指揮までこなす非常に優秀な人物だった。
王都ギャラグフから棄民たちが追い出され、クラスク村の住民となった一件、あれをトゥーヴに献策したのがこのフィレグであった。
アルザス王国の人口増加。
そこからくる再開発の必要性。
そのために最も合理的な対策は街のスラム街を破壊して区画整理を行い、税も払わず不法に占拠している棄民達を追い払わなければならない。
その必要性を提言し、トゥーヴはスラムに住む住民を街から追放した。
無論献策する時にそんな言い方はしない。
言い分はあくまで国の南西部、領主が死亡し実質空白地帯となってしまった土地の開墾である。
アルザス王国は国際法のひとつ、瘴気法に則り瘴気地を優先的に撲滅せねばならず、この言い分には他の有力者も反対しづらい。
だが実際に彼らに持たされた食料は現地に到着するまでならなんとかなってもそこで開墾開拓し収穫期まで維持できるような量では到底なかった。
放っておけば皆餓死するか、逃散して山賊に身を堕とすしかなかっただろう。
だが彼らが王国への諦観と憎悪を募らせ、飢え死にする寸前……そこに救いの手が現れる。
先刻のトゥーヴの腹心たるフィレグである。
もちろんその正体を隠し、姿を変え、別人に成りすました上でだ。
商人を名乗った彼は棄民たちに同情し、食料を分け与え、取引を持ち掛ける。
このあたりは物騒な場所で開拓が進んでいなかったけれど、各地に街道が伸びていて将来性は十分にある。
ここに村を作りたいから協力してくれないか、そうしてくれれば収穫期までの食料は貸与しようではないか、と。
彼等に否のあろうはずもない。
大いに感謝して彼の指揮の元で一からやり直そうと力を合わせる事となる。
村づくりを行いながらフィレグは彼らと協力し、彼らを指導し、彼らの相談に乗る。
棄民たちの話を聞きながら相槌を打ち、彼らに心から同意し、小さく王国への不満を漏らす。
そうすることで棄民たちが抱いていた王国への不満は増幅され、ますますその想いを強めてゆく。
こうしてアルザス王国の南部には、いつしか王国へと強い反感を持った村が誕生することになる。
当然秘書官トゥーヴはこの村を全力で擁護する。
そもそも棄民たちを開拓のために向かわせたのだからそこに村ができることは計画通りであってなんら困ることはないではないか、と。
その後地底軍の襲撃を受け、大きな犠牲を出しながらも彼らをなんとか撃退した村人達は。防衛の強い必要性を感じ村を要塞化し、砦と化す。
そして戦力増強のためにとフィレグが紹介した傭兵たち……各地から村へ集められた彼らを雇い入れ雇い軍備を整える。
だが……集まった傭兵たちは実際には本当の傭兵職ではない。
各地から集まったという名目の、軍事大国バクラダの兵士達なのだ。
こうしてみるみる戦力を増強し、防備を整えたこの村は……やがて南方からやってきたバクラダの軍隊を、アルザス王国への反感から喜んで受け入れる事となる。
王国の内側に、バクラダ王国の砦が誕生するわけだ。
この砦を利用し、バクラダ王国は本格的にアルザス王国への侵攻を開始する。
南方の商業都市ツォモーペを皮切りに、続いて王都ギャラグフを落とす。
王都は簡単に落ちるだろう。
なにせ秘書官が最大の内通者なのだから。
そして最後に、三方から防衛都市ドルムを包囲して降伏勧告する。
曰く、魔族を憎むのは我らも同じ。
人型生物同士で争う愚は避けられないだろうかと。
どの口でそんな調子のいいことを口走れるのかと思うかもしれないが、有利な立場の者と言うのは大概そうした配慮を忘れてしまうものだ。
強者の驕りの端緒とも言えるだろう。
ともあれそうしてアルザス王国は滅亡し、バクラダ王国は広大な穀倉地帯を手に入れる。
その莫大な食糧庫があれば、さらなる各国への侵攻も可能となるだろう。
これが、秘書官トゥーヴが当初計画していたことである。
なかなかに練られた策謀と言えるだろう。
……彼の腹心が実は魔族で、トゥーヴの思惑通りと思わせておいて実際は全て魔族の掌の上であったことを見なかったことにするならば、だが。
少々話は逸れるが、この世界には『権能』と呼ばれるものがある。
『大地』や『森』『空』といった大自然。
『戦争』『死』『栄光』といった概念。
『エルフ』『ドワーフ』といった種族。
世界には様々な構成要素があり、神や魔王はそれらを一つ以上司っているとされる。
太陽の女神エミュアであれば〈太陽〉〈守護〉〈治癒〉そして〈人間族〉などだ。
神や魔王はその存在が強大過ぎて地上にはそのまま降臨できぬ。
ゆえに通常は彼らの住まう世界……『天界』や『魔界』と呼ばれたりもするが……から地上世界を見守り、必要なら信者に助言をしたりもする。
だがそれだけではどうしても手が足りぬ時、自分達で直接世界に干渉したいとき、彼らは己の一側面を地上へと遣わせる。
本人がそのまま降りようとするとその膨大な存在によって地表に多大な影響を及ぼしてしまうため、例えば太陽の女神であれば『人間族』の側面だけとか、『治癒』の側面だけとか、そうした自分の一部分のみを切り出して地上へと送り出すのだ。
切り出された一側面は本人に比べその側面が強調された人格や行動規範を持つが、基本的には本人の代弁者として地上に降り立ち、その力を振るう。
これを『化身』と呼ぶ。
秘書官トゥーヴの腹心フィラグは魔族である。
そしてその正体はかの高位魔族『旧き死』…グライフ・クィフィキの『化身』なのだ。
『化身』を生み出せるとなるとその存在は単なる魔族と言うより神や魔王のそれに近いことになる。
『旧き死』はいわばそうした『神性』の入口に立っている存在と言えるだろう。
その異様な強さも納得というものだ。
ともあれ秘書官トゥーヴの命令に忠実に従うように装いながら、フィラグは己の計画を同時に進めてゆく。
棄民どもを餓えさせ魔物に襲わせ苦しませつつ……魔族の食料である負の感情の確保には重要な事だ……ここにお前達の村を作るためだと扇動しやる気を出させる。
トゥーヴの点数稼ぎとして王都ギャラグフの棄民たちを追い出すと同時にそこにいたハーフの黒エルフ、ギスクゥ・ムーコーを結界に護られている王都から追放する。
そしてその足で地底へと向かい、彼女の父である黒エルフ・クリューカに話を持ち掛け、彼が追い求める宝の鍵となる宝石を持った彼の実の娘がアルザス王国の南西部に向かった伝える。
無論情報料として色々吹っかけるのも忘れない。
さらにはこの際棄民たちの追放に強く反対するであろうキャスを、体のいい任務を押し付けてあらかじめ城から遠ざけておく。
城の連中には棄民たちの護衛と言っておけば反対もされづらかろう。
そうして地底軍に村を襲わせ、棄民たちを追いこみ、苦しめる。
その後彼らに手を差し伸べながら危険な地だからと集落の要塞化を進言し、彼らに苦労と疲弊を与える。
魔族の食餌は知的生物の負の感情である。
そうしてたくさんたくさん苦めた方が自分達の餌に相応しかろうというものだ。
魔族達は己の策謀で棄民たちを王都から追放し、自分達で手を差し伸べ恩を売った。
そして自ら地底軍に情報をリークし村を襲わせて棄民たちを苦しめつつ、自分達の手で彼らを救う事で救いの神を演じた。
すべて自作自演で彼ら棄民質の救世主の座に収まったフィラグは、彼らから負の感情を得るため適当な外部の敵を用意しては自らそれを駆逐して彼らの信仰心を集める。
そして上級以下の魔族どもに指示を下し、アルザス王国の北方回廊でその跳梁と破壊工作を活発にさせる。
特に食料運搬の荷馬車を集中的に襲っては防衛都市ドルムに食糧を届かせぬようにする。
となるとドルムに食糧を運ぶのは自然その南にできた棄民たちの街の役目となる。
王国(とういか秘書官トゥーヴ)から依頼された彼は快くそれを承諾し、周囲の畑から取れた食料をどんどんドルムに運び込む。
だがこれは罠だ。
高度に偽装された呪詛と瘴気を僅かずつ紛れ込ませた食料は、疑われぬ程微量に、けれど徐々に、確実にドルムを内側から蝕んでゆく。
北部で暴れる魔族の数はますます増えて、それにつれて棄民たちの街から出立する荷馬車が増えてゆき、結果毒餌を喰わされ続けたドルムの兵力はまずます衰弱してゆく。
やがて満を持して魔族どもが一斉に立ち上がり、ドルムに襲い掛かる。
弱り切ったドルムの兵や冒険者など物の数ではなく、勝敗はたった一日でつくだろう。
そこでフィラグ……もといグライフは正体を現す。
魔族が開発した結界術によって偽装されていたけれど、その棄民たちの街の住民の少なからぬ者は魔族であり……
そして、その地はとっくの昔に瘴気地と化していたのである。
こうして王国に西半分をたった一日で瘴気地へと堕とした魔族どもは、そのまま東へと侵攻し、各国が準備を整える前に王都ギャラグフを攻め滅ぼす。
これが、魔族達が一番最初に計画していた策であった。
だが……彼らの綿密な計画は、完全に予想外のところから入った邪魔によって修正を余儀なくされた。
そう、その計画都市予定地のすぐ南方の森に棲んでいたオークどもが、その棄民たちにさっさと救いの手を差し伸べて……
なんと、オーク族の分際でそこに村を作ってしまったのだ。
そう、クラスク村である。