第890話 畏怖すべき決着
「…いけないわ。思ったより時間が」
サフィナ(?)が己の額を抑え、呻くように呟く。
「ここで連中を倒すだけじゃダメ。せめて『あれ』だけは止めないと…それまでは……っ」
口調も妙なら話している内容もおかしい。
ただこのサフィナから一切の邪気は感じない。
だからイエタは今の彼女に己の身を預けるつもりでいた。
(それに……おそらく……)
それに、イエタにはサフィナの正体についてのある確信があった。
(おそらく、わたしと同じ……!)
頭上に両手を掲げ、小さな太陽を制御する。
それはサフィナが詠唱を行ったもので、さらに言えば魔力も彼女からのもののはずだ。
なぜならイエタは聖跡呪文を強引に発動させた代償としてほぼ魔力が尽きているのである。
それでもちょくちょくキャスに補助呪文や回復呪文を飛ばせていたのは尽きた魔力が自然回復しては即座に使い切っているからだ。
通常であればエルフ族を除くほとんどの人型生物は睡眠を含む十分な休息を取らねば魔力は回復しないものなのだが、イエタの場合僅かずつとはいえ覚醒状態のまま魔力が回復している。
ちょっとした特異体質レベルである。
ただいずれにせよその程度の魔力ではこの大魔術を起動させるには到底足りぬ。
つまりこの小型の太陽はサフィナの魔力で発動され維持している事になる。
だというのにその呪文の制御権はイエタの手にあった。
イエタが念じた通りに術の効果が励起しているのである。
こんな呪文の起動形式をイエタは知らぬ。
「ダメ、もう持たない。こいつらを……こいつらを倒すだけで終わっちゃう……!」
サフィナがこめかみを抑えながら苦し気に呻く。
その間も頭上の太陽から放たれたレーザーのような光線が角魔族どもを貫き傷つけてゆく。
地上に存在する魔族としては最高位に近い上級魔族すらあしらうこの圧倒的な魔術と魔力があれば、確かに彼らには打ち勝てるだろう。
だがサフィナにはその先しなければならぬことがあるようだ。
イエタは頭上に掲げた膨大な魔力を制御しきれていない己の未熟さと至らなさを悔やみつつ、全力でその制御に集中する。
そんな時……再び、教会の扉が開かれた。
× × ×
「あそこー! あそこですコルキ! このまままっすぐ!」
「ばうっ!」
コルキにしがみつき風の抵抗を少しでも減らしながらミエが指先でコルキに指し示す。
この街道をまっすぐ走った先、その右手にあるのが目的地たる聖ワティヌス教会である。
「ってなんかすごいことになってるー!?」
教会に近づくにつれ、あちこちで異様な光景が広げられていた。
蜥蜴族が槍をしごき魔族と戦っている。
牛頭巨人が大斧を振り回し魔族どもを牽制している。
その隙を突いて背後の影からにゅっと姿を現し魔族の首を掻き切ったのはゴブリンだ。
さらには人面獅子が、マンティコアが、さらには甚平を纏った食人鬼が、それぞれ死力を尽くして魔族どもと戦っている。
まさに怪獣大決戦の様相である。
そして路地裏からひょこっと顔を出した戦嫌いの戦鬼が、倒れ動かなくなった魔族を木の棒でつんつんとつついていた。
「シギさん! ヴォヴィーさん! スフォーさん! アンジェスさん! グルヴォさん! ユーさん! それにイズさんまで! 皆さんどうして……!?」
口に出しながら、けれどすぐに理解する。
戦力だ。
戦力が必要だからと、彼らを街に駆り出した者がいる。
街の窮状と状況を把握し、おそらく衛兵などを帯同させることで信頼を横付けさせて、彼らを街に引っ張り込んだのだ。
「おお、ミエ殿!」
村長ユーアレニルが魔族に肘鉄を喰らわせ吹き飛ばしながら振り返る。
「ユーさん! これってエィレちゃんの仕業ですね!?」
「流石に察しが早いな! あまり怒らんでやってくれ!」
「怒るも何も、わたしも最初から北門近くにいたら同じことしたでしょうし!」
「ハハハ! それをあの娘に言ったら喜ぶであろうな!」
そう言いながら親指でミエが向かおうとしていた方角を指す。
「我らはここで教会前に合流しようとしておる魔族どもを迎え撃っておる。既に集まっておった連中はオークどもがなんとか食い止めておる状況だ」
「私達も一度参戦しようとしたのですが、オーク達には私達と魔族の区別が上手くつかぬ様子」
「同士討チサレンノモ癪ダカラコウシテ距離取ッテ魔族ノ増援ヲ止メテタッツー寸法ダ」
ユーアレニルに続き人面獅子のアンジェスとゴブリンのスフォーが言葉を継ぐ。
「行ってくれミエ殿。あまりよろしくない気配がする」
「……わかりました! ここはお願いします!! コルキ!」
「ばうっ!」
ミエに首筋を撫でられ、一気に加速するコルキ。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああいきなり加速するでなああああああああああああああああああああああああああああああいい!!!」
……その背後からノーム族の娘の悲鳴を響かせながら。
さて教会の前では凄まじい死闘が繰り広げられていた。
街の各所から教会に突入せんと集まった魔族ども、そしてそれを阻止せんと戦うオークども。
どちらが有利かと言えば……それは魔族達だった。
ここでも他と同じ現象が起きている。
オーク達は確かに強い。
その筋力で弱めの物理障壁であれば無理矢理その上からダメージを通し、魔族を強引に殺してのける。
けれど魔族どももそれは理解していて、傷を受けたものは巧みに距離を取り空を飛びながら妖術などで援護しつつ、傷が治れば他の魔族と交代する。
その巧みな連携で傷を受けても回復できぬオークたちを徐々にすり潰していったのだ。
オーク側としては兵隊長であるワッフが倒れたのも大きい。
強大な角魔族の参戦を前に勇敢にも挑みかかりい応戦するも抗し得ず、大怪我を負って倒れ伏した。
彼の指揮を失ったことでオーク達はその動きを鈍らせ、統率力を失ってしまったのだ。
ミエが飛び込んできたのは、ちょうどそんな時である。
「きゃー! あれワッフさん!? ってなんかすごいことになってるー!?」
「ばうー?」
「……! ううん、大事なのは教会の方! まだ死んでない……と思うから! オークの丈夫さはお嫁さんの私が一番よく知ってるし!!」
ぺし、とコルキの背を叩き、合点承知とコルキが速度を上げる。
黒き疾風の如き魔狼がその戦場に飛び込んで……
そして、直後魔族どもが聖者に断ち割られた海のようにざっと道を開けた。
「ミエノアネゴ!?」
「ミエアネゴ!」
「アネサン!!」
オーク達が口々に叫ぶ。
その言葉だけでびくりと魔族どもが身を竦ませた。
「「「ウン……?」」」
オークどもは顔を見合わせ、その後それぞれ魔族の方に目を向ける。
「アー、ミエアネゴタノモシイナー」
「コンナ戦場マデ駆ケツケテクルンダモンナーミエアネゴハナー」
「「「ナー!」」」
ミエの名を強調しつつ周囲を睥睨し、魔族どもの動揺を見て取り、そして皆でニタリと笑った。
ラオクィクの時も述べたがオーク族は本質的に襲撃者であり略奪者である。
機を見るに敏であり、戦いに於いて相手の弱味を見逃さぬ。
そんな彼らがミエの名に怯える魔族どもに気づけば……それをどう利用するかなど自明の理であろう。
「ミエアネゴアタック!」
「ミエアネゴアックス!」
「ウオオオオ! ミエノアネゴクラァァァァッシュ!!」
彼等は口々にミエの名を叫びつつ、身を竦ませる魔族どもへと突撃していった。
そして当のミエはと言うと……
「うっきゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」
……空を飛び宙を舞い、教会の中へと吹き飛んでいた。
これは別に意図してのことではない。
完全なるハプニングである。
コルキごと教会内に突撃しようとしたところ、コルキが教会の扉の前で急停止したのだ。
この時ミエは前を確認すべく上体を起こしており、その瞬間にコルキが急ブレーキをかけたため結果ミエだけが慣性の法則に従って教会の中へ吹っ飛んでしまったわけである。
ちなみに落ちるが怖くてコルキにひしとしがみついていたシャミルは無事だった。
なぜコルキが急に止まったのかと言えば危険を察したからだ。
教会の内部では今小型の疑似太陽が燃え盛っている。
大気が赤熱し地上の生命体ならすぐに塵となるレベルの高温だ。
本来であれば教会を構成している石材すら融解する超高熱なのだけれど、なぜか教会は崩れていない。
そしてイエタやサフィナ、キャスも無事である。
それはこの呪文の除外条件をこの教会が、そして彼女たちが満たしているからだ。
ミエもその条件を満たしている。
ゆえにミエは教会の中に飛び込んでも無事である。
だがコルキは別だ。
教育の結果邪気を纏う事のなかったコルキだけれど、それでも瘴気に汚染された魔物には違いなく、彼はこの呪文の除外条件を満たしていない。
ゆえにもし彼が中に一歩でも踏み入れば即座に消し炭となっていただろう。
彼はその危険を直前に肌で感じ慌てて急停止……したのだけれど、結果彼の上に乗っていたミエだけがすぽーんとすっぽ抜けてそのまま教会の中に吹き飛んでしまったわけだ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああ!! ちょ、ちょっと危ないですからそこどいてくださあああああああああああああああああああああああああああああああい!!!」
宙で手足をばたつかせながら放物線を描き落下してゆくミエ。
その着弾地点には……角魔族の一体がいた。
もしシャミルの言う通り彼らの目的がミエであるなら、自ら己の間合いの内にやってきたその標的を手にした鎖で撃ち殺すなり抱き留めて人質にするなりするべきだ。
事実ド素人のミエが無防備に落下してくる間そうするだけの余裕が彼にはあった。
だが……あろうことかその角魔族はミエの姿にびくりと身を竦ませて硬直し、結果ミエの一撃……尻による殴打をその胸にもろに受けてしまう。
そして小型の巨人並のサイズがあるにもかかわらず、その場でよろけると足をすべらせすてんと転んでしまったのだ。
「あたたたたたたたたたたたたたたたたた……っていうか熱っ! あっつい! なんですかここー!?」
頭を押さえ首を振り、教会の様子にびっくりするミエ。
そして今更ながらに己がほぼ無傷だった原因が己の下でクッションになってくれたその魔族のお陰だったと気づく。
「あのー……なんかすいません。重くなかったです? お怪我ありませんか?」
己の下に、その腕を一振りするだけで彼女を簡単に惨殺せしめる相手がいるというのに、なんとも暢気な物言いで気遣うミエ。
そんな彼女を目を見開いて見つめたその角魔族は……大きく口を上げて絶叫した。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
「きゃんっ!?」
角魔族が上体を起こしたことで上に乗っていたミエはころころころんと教会の床に転がる。
少し頭を打って痛みに眉根を寄せながら起き上がった彼女の前で……信じられぬことが起きていた。
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
角魔族が苦し気に呻き、叫び、そして……その腕と胸が溶けはじめた。
どろどろ。
どろどろと。
ちょうどミエがその臀部を押し当てていたあたりと、そのやや太めの腿を乗せていたあたりである。
魔族どもには強酸への耐性があり、ダメージを完全無効化する事こそできないもののそのダメージを軽減できる。
そんな彼らがこんな風に融解する瞬間なぞどうしてなかなかお目にかかれるものではない。
まあミエはそもそもそんなことすら知らないのだが。
「ふぇ?! え? だ、大丈夫ですか!?」
ミエがびっくりして起き上がり慌てて駆け寄ろうとするが、むしろ彼女の手から逃れるようにその角魔族は距離を取る。
そして……次の瞬間、どずん、とその溶けた胸部に手刀を突き入れられた。
「ハァ、ハァ……!」
キャスである。
キャスが渾身の力を以て己の腕を魔族の臓物に突き込んだのだ。
「ハァ、ハァ……はらわたの中は、流石に魔術結界に護られてはいないようだな」
ニヤリ、と苦しげな顔を無理矢理歪め笑いながら、キャスはとどめの一撃を放った。
「散れ! 斬れ! 裂け! そして跳ねろ!! 〈風華斬裂〉!!」
ごば、と音がした。
荒れ狂う真空の刃が、その角魔族を内側から切り裂いたのだ。
彼女本来の魔力ではここまでもたなかっただろう。
キャスが手にした愛剣の持つ『魔巧』の曰くが彼女の唱える魔術の消費魔力を軽減し、結果がここまで奥の手を取っておけたのだ。
最初の一体を倒してもう限界だと言いながら、まだ最悪に備えてギリギリの余力を残している。
このあたり、キャスもまたとんでもない手腕である。
「ふう、流石にもう立てん」
がくり、と膝をついたキャスは、だが感心の体でミエを見つめる。
「しかし凄いなミエ……あー、ミエ姉様は。触れただけであの強大な角魔族すら溶かしてしまうとは。今度は神の加護でも受けられたのか?」
どう返事をしようかと迷っているミエの背後、教会の外から……
魔族と戦うため、彼女の名を叫ぶオークどもの声が聞こえてきた。
「ミエサマ!」
「ミエアネゴ!」
「ミエノアネゴ!」
「ミエサマ! ミエサマ! ミエサマ!」
「ウオオオオオオオオミエサマアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「「「ミエアネゴ! ミエアネゴ!! ミエアネゴ!!!」」」
すうううううう、と息を吸い込んだミエが……
渾身の声で、叫んだ。
「んなっとくいかないんですけどおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
どーーー。
どーー。
どー。