第888話 魔狼躍動
「と、とにかく魔族さん達はみんな私を怖がってる……?」
「どうにもそのようじゃな。理由は皆目わからんが」
ミエの言葉にしきりに首を捻りながらシャミルが不承不承同意する。
「なら私が出ていけば戦況を打開できるかもしれませんよね!」
「阿呆! 遠距離から妖術で狙われたらひとたまりもなかろうが!」
とりあえずツッコミを返したシャミルだったが、街の様子は詳しくわからない。
ミエとシャミルはずっと隠れていたためこれまでの戦況を全く把握していないのである。
仮にも街の為政者のすることかと言われれば二人とも申し開きもないけれど、そもそも二人とも知恵は回っても戦闘も戦術もまったくのド素人である。
というかそもそもこの時代男が執ることの多い政治にここまで女性が参与している街の方が珍しいのだけれど。
ミエの強い希望と期待の込められた瞳にじいと見つめられ、シャミルは頭を掻いて兜を脱いだ。
「……詮方あるまい。こちらに明確に有利なカードがあって温存しておける状況ではなかろうな」
「きゃーシャミルさん大好きー!」
「抱きつくなー! ……かといって街の事情を把握しておける時間もなさそうじゃ。そもそもここに情報を集めるような準備すら整えられておらなんだからの」
本来であれば戦争に於いて各地に指示を出せる司令部の存在は必須である。
どこにどれだけの兵士をどれくらいの速さで送ればいいのかといった情報を集め、集まった情報から即座に判断を下す。
それがあって初めて籠城側に対抗できる目が出てくる。
だがクラスク市はそれができていなかった。
各地でそれぞれの判断で防衛に回ってしまったわけだ。
これは軍隊としては凡そ致命的である。
けれどもしあそこで中央に隊長達を集めていたら、空から攻めてきた魔族どもに制空権を完全に奪われていただろう。
イエタの結界術も発動できなかったし、そうなれば潜んでいた魔族どもの跳梁によって街は大混乱に陥っていたはずだ。
街の各地の見回りに配置されていた隊長達が各部のケアを最速で行ったからこそ被害を最小限にとどめられたのである。
そういう意味で彼らに各地の見回りをさせたキャスの指示はあの正しかったとも言える。
ただ中央に指揮と情報が集権しなければ戦いを継続させることは難しい。
現時点で円卓の間に本部が設置されていないのは明らかな手落ちと言える。
とはいえ教会攻防戦にキャスとサフィナが参戦し、さらに教会前の戦いの指揮をワッフが取っていなければ街を覆っていた結界が解けこの戦いの決着は遥かに早くついていたはずだろうから、そうなるとここに居座る指揮官が不在である。
結局この街は魔族の数と質に対し圧倒的に手数が足りていないのである。
「コルキ、乗せてくれる?」
「ばうっ!」
ミエに言われるがままその場に伏せるコルキ。
迷いもせずその上に飛び乗るミエ。
彼女の周囲の毛皮から甲高い声がきゃんきゃん聞こえているのは仔狼どもが潜り込んでいるからだろうか。
「気を付けるのじゃぞ」
「何言ってるんですかシャミルさんも来るんですよ」
「わしもー!?」
手を伸ばされたシャミルが愕然とした顔で叫ぶ。
「あったり前じゃないですか! 私戦なんてド素人なんですから!」
「自慢げに言う事ではないわ!」
全力でそう答えた後、頭を掻きながらため息をつき、ミエがコルキの上から伸ばした手を取った。
「……正直何度も乗りたい代物ではないのじゃがな」
「ばうー?」
「別にお主が悪いというわけではない。ただ少々揺れが…」
「よしコルキゴー!」
「最後まで言わせんかああああああああぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
ミエが背中を叩くと同時にコルキは一気に跳ね飛んで廊下をすっとんでゆく。
シャミルの絶叫とも悲鳴ともつかぬ叫びはドップラー効果と共に廊下の向こうへと消えていった、
後に残された衛兵……元翡翠騎士団の騎士ガルトラは、呆然とそれを見送った後無言で敬礼し……その後緊張が解けたのかずるりとその場に崩れ落ちた。
「どっどどどどどどどどどどこにゆく!」
「とりあえず見晴らし! だから上!」
「じょっじょじょじょじょじょ城壁か!」
「はいっ!」
コルキに乗り慣れぬシャミルの声がやたら弾む。
「コルキ、このまま城壁の上、行ける?」
「ばうっ!」
そして首筋を撫でられたコルキは嬉しそうに一声吼えると、城の上からアパートの屋根へと跳躍した。
× × ×
「はあ、はあ……そろそろ限界かな……」
「ソウカ俺ハマダイケル」
「ハァ、ハァ……強がりもいい加減にしてください」
「俺ハマダイケル」
そこは城壁の上。
北門と東門の中間あたり。
空飛ぶ魔族どもと戦っているのは衛兵隊長エモニモと大隊長ラオクィクの二人。
そして少数の衛兵とオーク兵たち。
新兵器の弾も尽き、衛兵達も一人また一人と倒れ、魔族どもに追い立てられて彼らは追い詰められていた。
後退しながら応戦していた結果、二人は互いに相手のいる方向へと下がり続け、結果こうして合流して応戦していたわけである。
二人とも満身創痍だ。
いつ倒れてもおかしくはない。
実力だけなら二人とも周囲の魔族よりだいぶ上だ。
部下たちに魔法の武器も届けられた。
攻撃力であれば十分互角以上に戦えたはずだ。
だが城壁攻めに回った魔族どもは皆空が飛べる。
少しでも傷を受けると他の魔族の後ろに回り飛び道具をケアしつつ高速の自然治癒能力で傷を治してしまう。
これでは一向に数が減らない。
また魔族どもは体格で衛兵達を上回る大型の蝙蝠獅子を前面に押し立てて幾度も執拗に攻め立てた。
蝙蝠獅子どもは彼ら魔族の使役するペットであり、技術は拙いが体格が大きく力も強い。
低い姿勢から怪力で襲ってくる分対処自体は可能だが疲労が溜まりやすい。
そして彼らがいくら死んでも魔族どもは痛痒を感じない。
結果として城壁の上に蔓延していた蝙蝠獅子どものほとんどは駆逐されてしまったけれど、かわりに街の大幹部である大隊長ラオクィクと衛兵隊長エモニモに多大な疲労を与える事ができた。
使い捨ての獣を消費してこの街の幹部を撃ちとれるなら安い買い物と言えるだろう。
「状況は的確に話せ! 判断を誤る!」
「マダ戦エル!」
「ラオ!」
背中合わせに戦いながら、互いに怒鳴り合う。
声を枯らし、己の無事を訴える。
けれどそれは強がりだ。
本当は立っている事すらきついはずである。
「マダ……オマエ生キテル。オマエ生キテル限リ俺守ル。ダカラマダ戦エル」
「な……っ」
背中からの声の頼もしさに、エモニモは胸が締め付けられる思いがした。
ラオクィクが立っていられるのは自分のため。
そのためだけに気力を奮い立たせているのだ。
「バカ! 盾も持ってないくせに! むしろ私の方がラオの身体を守ってるでしょうに……!」
「デモ守ルッ!」
「あのー…隊長隊長。おのろけ中のところ申しわけないんすけど」
「のろけてなどいない!」
部下の声に思わず過剰に反応してしまう。
まあ部下からすれば今のがのろけでなくばなにがのろけなのかという話だが。
「俺達そろそろダメみたいっす」
「こっちもげんかーい!」
「そうか…ライネス、レオナル、よくここまでついてきてくれた。誇りに思うぞ」
「おおー、隊長からお褒めの言葉が」
「こりゃ空から狼が降って来るな」
「バカなこと言っている暇があったら剣を動かせ! 狼など……」
「エモニモさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
空から……狼が降って来た。