第886話 疑念と正鵠
時と場所がまた少し変わって、防衛都市ドルムの対魔族攻防戦。
その一角で高位魔族たるグライフに挑む無謀な…もとい勇敢な男たちがいた。
クラスク市の太守にして“赤竜殺し”たるクラスクと、この地方最強と噂される冒険者集団『荒鷲団』団長たるオーツロである。
オーツロの手には≪気煌剣≫。
物理障壁も魔術結界も用を為さぬ気刃の剣。
クラスクの左手には聖剣『魔竜殺し』。
竜特攻でありながら高位魔族の物理障壁をも貫く祝福された聖なる剣。
そしてクラスクの右手には『叛逆』の曰くが起動した彼の家伝来の魔斧。
この斧のみ物理障壁を貫けないが、物理攻撃では決して破れぬ力場をただのひと撃ちで破壊し、その威力ゆえ障壁越しに傷をつけ、そしてついた傷から血を啜り続け傷口を塞がせぬというある意味一番厄介な呪いの武器。
この三本の得物を、二人の英雄が振るっている。
これまでも本性を現した彼にダメージを通す者はいた。
けれどこれほど多く彼にダメージを与えられる手段を持った連中も、これほど長く立ちはだかれる連中も、彼にとって初めての経験だった。
ぶおん。
クラスクの斧が一気に真横に伸びた。
グライフが放った高速化妖術を、そのゴツくなった斧の腹で止めたのだ。
彼自身を狙ったものではない。
その斧が防いでのけた、妖術の射線の先にはフェイックがいる。
荒鷲団の紅一点……もとい男だ。
荒鷲団の人間族の聖職者。
彼に向って放たれた妖術をすさまじい速さで横っ飛びに跳んで伸ばした斧で受けてのけたのだ。
それを信頼してかフェイックは魔力の限りひたすらに呪文を唱え続けている。
回復、強化、回復、回復。
回復、回復、治療、強化。
クラスクもオーツロもいかに強かろうと定命の人型生物である。
身体的にも魔力に於いても圧倒的な高みにある高位魔族グライフ相手に無傷で戦い続けることは難しい。
守りに専念するならまだしも、相手の隙を突いて攻撃しようというのなら猶更だ。
それを援けるのがフェイックの神聖魔術である。
傷口を塞ぎ、怪我を癒し、毒や腐敗と言った状態異常になったそばから治療してゆく。
特に彼の場合〈神託の瞳〉と遺失神聖魔術を用いることで、グライフの放った不利益に対し即座に割り込む形で治療呪文を唱えることがができる点が非常に強力だった。
さらに余裕があれば前線に立つ二人を補助魔術で強化までしてゆく。
彼の援護がなければクラスクらがこれほど長く前線を維持し続けることは難しかったろう。
だが自己完結して強大なグライフに対し、クラスクらの継戦能力はいわば『外付け』である。
後衛の援護がなければすぐに崩壊してしまう。
それを見越してその援護元を潰そうとするグライフの試みは、だがその全てをクラスクに寄って防がれてしまう。
斧の姿が変貌したせいなのか、彼の動きは単なる俊敏以上のものがあり、グライフが一瞬にして瞬間移動し距離や角度を変えてすらその後衛への攻撃をシャットアウトしてしまう。
そして恐ろしい勢いで接近し近接戦闘を強要するのだ。
グライフは評価せざるを得なかった。
この二人の、三つの得物による白兵戦。
それが維持され続ける限り、少しずつ、少しずつだがダメージが入っている。
つまり彼らが今後限りない僥倖に恵まれれば己を倒し得る存在であると、それを認めざるを得なかった。
「しかしかってえなコイツ!」
「ダガ悪くナイ。このママ行く」
「りょーかい! っと!」
オーツロはぶわっと体を振って己の心臓を狙い放たれた鉤爪を大袈裟に避け、地面を薙ぎ払う巨大な尻尾の上を跳び越え脇にある不可視の力場を掴み空中で角度を変えてさらなる追撃をかわす。
最初に鉤爪を避ける際体を大きく動かしていたのは流れる汗を大仰な動きで周囲に飛び散らせ、それが空中に付着した事でそこに力場があることを確認するためのものだったのだ。
そしてそれを利用し空中で軌道を変えて追撃を避けてのけたのである。
力場は攻撃魔術とは違う。
それは空間を固めた固形物であり、術者側には任意の場所に生み出せるメリットが、それ以外の者には不可視ゆえ場所がわからぬデメリットがある他は、単なる『破壊不可能な構造物』に過ぎない。
だから場所さえわかれば敵側であっても普通に利用できるのだ。
どうやらオーツロも力場への対応にだいぶ慣れてきたようである。
「しっかしホントタフだなコイツ!」
「ダナ」
幾ら斬っても斬っても斬っても斬ってもその動きに衰えはない。
クラスクたちなら十回は済まない数死んでいるはずである。
除外条件により物理障壁を突破して≪再生≫を阻害し、吸血により≪高速治癒≫を上回る傷を与え続けた上でなおとんでもない耐久力である。
それらを突破できなかったこれまでの犠牲者たちが手も足も出ず、結果誰一人生還できなかったのも頷けよう。
「大丈夫かコレ。フェイックの魔力も限界あるぞ」
「心配ナイ。俺達倒せル」
リソースの不足を不安視するオーツロに対し、クラスクはきっぱりと言い切った。
「「どうしてそう思う」」
奇しくもオーツロと敵であるグライフが同時に同じことを尋ねた。
クラスクの発言に込められた奇妙な確信が気になったのだ。
クラスクの台詞には一切の強がりはなかった。
倒せたら、といった仮定ではない。
倒したい、と言った願望でもない。
必ず倒す、という決意でもない。
彼が言い放ったのは『倒せる』という断言である。
クラスクの言葉には、何か揺るぎない確信があった。
彼の言葉を聞いたその場の者達には、未だに苦戦を続けているこの現状で、しかもこのままではリソース不足で自分達がジリ貧に陥るという不安が募る中、グライフ相手に確実に勝てる何かの成算があるようにしか聞こえなかったのだ。
「お前達ノ目的クラスク市。向こうに戦力注ぐタメこっち魔物デ水増シシテル」
「あー水増しか、言い得て妙だな。言われてみるとそんな感じだわ。でもなんでお前の街に?」
「知らン。コイツラの目的ハわからン。ダガわかっテルコトあル」
「なにがだよ」
オーツロの問いに、クラスクは目を見開いてそれを告げた。
「俺ガ気づイテ戻られタラ困ル。ダカラ俺ガ街出テ戻れなくナッタあタりデ街の襲撃トットト始めタハズ。ココノ戦いヨリずっト早イハズダ」
「え? じゃあもうとっくにお前の街が城攻めされてるってことか?」
「ナッテルジャナイ。ナッテタダ。うちノ兵強イケド数少ナイ。勝つにシテモ負けルニシテモ空飛ぶ兵隊多イ魔族相手デ長期戦ムリ。ダカラトックニ決着着イテルハズ」
そう、これまで離れた場所での戦いを交互に見てきたけれど、この両者は同時に行われていたわけではない。
ネッカはこれまでドルムを訪れたことはなく、また魔族の罠もあって〈転移〉を唱えることはできなかった。
つまりクラスクとネッカは蒸気自動車と移動補助魔術を用いてドルムまで地上を走ってきたことになる。
その後魔族の群れを切り分けての突入行に至り、城内で協議の末打って出る事になったわけだ。
一方クラスク市への魔族襲撃はミエがクラスクを送り出し城に戻り、伝令兵を名乗った元ラッヒュィーム傭兵団のコイルに襲われた後ほどなくして発生した。
つまり今この戦場で戦っているクラスク達にとって……クラスク市の攻城戦は既に過去のものなのだ。
「うん? てえと……?」
オーツロはクラスクの言わんとしている事がまだ呑み込めていないようだ。
少し首を捻って考え込んで、再びクラスクに尋ねる。
「勝ってるか負けてるかは大事じゃね?」
「ソウダ。勝ち負け大事。モシ魔族ガ勝っテルナラ、コイツハ俺にシナキャナラン事ガあルカラダ」
「しなきゃならんこと……?」
腕を組んで考える。
だがそれでもやはりわからない。
「何をするんだ?」
「俺ノ負ノ感情ヲ、喰ライタイハズダ」
「ああ……!」
そこまで言われてオーツロにもようやく腑に落ちた。
クラスクはこれまで絶望らしい絶望をしたことがない。
取り乱すこともないし、激しい憎しみで行いを誤ったこともない。
それはこの短い間一緒に戦っただけでもオーツロにはよくよく理解できた。
このオークは、恐ろしい程に精神的にタフで、それでいて理知的で冷静な奴だ、と。
つまりどの魔族もおそらくクラスクから食事できていない。
例外は初見のグライフくらいではないだろうか。
そんなクラスクの絶望や悲嘆を喰えば、きっとたまらなく甘露なのだろう。
それはとてつもない希少価値で、まさに字の如く垂涎のはずだ。
「負ノ感情求めルノハ『食欲』ダロ。それナラ真っ先に喰ラタイタイハズダ。俺ノ嫁ノ首級見せルトカ、人質ニシテ連れテ来ルトカ、髪ノ束見せルダケデモ俺大ショック。もっト前に戦意喪失シテル」
「でも……コイツはそれをしなかった……?」
「ソウダ。モシ魔族ガ勝っテタナラデきルコト、コイツシテナイ。ダからクラスク市無事。コイツラの計画潰れタ。ダカラ俺達モ勝テル!」
「おおー! すげー理論武装!」
クラスクがチャキ、とその斧をグライフに突きつけ、オーツロが拍手する。
そして……グライフはそれに答えない。
無言のままだ。
(ウン……………?)
そこでクラスクはあることに気づいた。
この戦いの肝。
この戦いの要。
『そこ』への気づきが、勝敗の分かれ目。
(ソウ言えバ……ナンデコイツハ俺騙さナイ?)
…これである。
クラスクを迷い惑わせ負の感情を噴き出させるだけなら、別に情報が真実である必要はないはずではないか。
単純な話ミエが死んだなり人質に取ったなり虚言を……つまり『嘘』をつけばいい。
それだけで自分は間違いなく焦るし、動転するし、斧を持つ手が鈍るだろう。
クラスクにはそんな確信があった。
クラスク市に於いて魔族が戦術的或いは戦略的敗北を喫しようがどうでもいいではないか。
なにせ魔族側は情報封鎖を完成させているのである。
情報戦に於いて一方的に有利に立ち回れる側なのだ
戦場で占術を使っている余裕などない。
だからそれがどんな嘘だろうと口から出まかせだろうと、こちらがそれを虚偽と断じる判断材料を得られないのだから。
ならなぜそれをしない?
いやそもそもなぜ最初からそうしなかった?
「話題ニシタクナイノカ……?」
グライフは対話を好む。
もちろん己が一方的に有利だと確信しているがゆえの余裕からではあるが、少なくとも会話を切り上げて攻撃してきたりはしない。
ならなぜ先程からずっと押し黙っている?
なぜこちらの会話に乗ってこない?
「お前……ミエを……」
途中まで疑問を口にしかけて、クラスクは驚きに目を瞠った。
グライフの、目の前の強大な魔族の反応を見て。
そしてあり得ないと思いながら、そんなことあるはずがないと思いながらも、『その疑念』を口にした。
「オ前……ミエが怖イノカ?」