第875話 空に舞う銀翼
「「「羽生えたー!?」」」
エィレ達が驚く前で顔だけ背後に向けるクィル。
「さ、エィレ、シャル、私の肩に掴まって? 振り落とされないようにね。悪いけれどヴィラだけは別行動ね」
「つ、掴まるったって…ええ?」
「こ、こんな感じかな…?」
シャルとエィレがわけのわからぬままクィルの肩に手を置いた。
だがクィルは少女である。
エィレやシャルと背丈はほぼ変わらない。
掴まれと言われてもどうしたらいいのかなにが正解がよくわからないのだ。
「いいなー」
そして一人仲間外れにされたヴィラが羨ましそうにそれを見ている。
彼女は現在正体を隠す事ができないため巨人の姿のままだ。
当然衛兵がついてきてくれている。
「あらヴィラ、そんなところで指を咥えていていいのかしら。今から駆けださないと置いてっちゃうわ……よ!」
「わっ!?」
「なにちょっとちからつっよ……!」
クィルが羽を広げてたたた、と駆け出した途端、エィレとシャルは引きずられかけて慌てて歩調を合わせた。
背後の自分以上の体格の娘二人を抱えているのにとんでもないパワーである。
クィルはそのまま羽を大きく一回、二回と羽ばたかせ、背後から追うエィレとシャルの頭上で打ち鳴らす。
そして彼女がクラスク市の北大門をくぐった瞬間大きく地を蹴って……
気づけば、三人は空の住人となっていた。
「さ、急ぐわよ」
「ってクィル!? クィルなの!?」
「あ、あんた、あんたまさか……」
いつの間にか、二人はクィルの背中にいた。
イエタの張り巡らせた結界の内に入ったことで彼女の正体が看破され、その真の姿を現したからだ。
だが、それは二人の及びもつかないものだった。
その広げた羽はまるで竜のよう。
全身銀色の鱗で覆われた竜の如き体躯。
さらには竜の如き角。
そして竜の如き尻尾。
「「ってそれドラゴンじゃん!?」」
そう、二人の下にいたのはどこからどう見てもドラゴンであった。
ただ、かつてこの街を襲わんとしたかの伝説の赤竜に比べると幾つかの違いがある。
第一に鱗の色。
赤竜の鱗は字の如く紅に輝いていたが、彼女の鱗は白銀に煌めいている。
ちょうど変身前の彼女の髪の色のように。
第二に大きさだ。
全長30フースちょい(約9mと少し)、体長10フースと少し(約3m強)、首の長さは9フース(約2.7mほど)、尾の長さは11フース(約3.3mほど)、羽を広げた最大翼幅は45フース(13.5m程度)。
かの赤竜と比べると段違いに小さい。
まるで子供である。
「ぎ、吟遊詩人が謡ってたほどじゃないわね…」
「報告にあった赤竜のサイズともだいぶ違うね。ってことはもしかして…」
シャルが若干怯えながら、そしてエィレが興味津々と言った趣でそれぞれの想いを口にする。
「それはそうでしょう。私はまだ子供だもの。生まれてまだ34年。人型生物で言ったら14,5歳といったところかしら」
「だいぶ年下じゃない!」
「あ、私達と同じくらいなんだ。へえ…」
実年齢的に己の半分以下しかないことに安心したシャルがどっと力を抜き、エィレが見た目通りの換算年齢であることにどこかほっとする。
「でもあんたくらいの大きさのドラゴンって全然聞かないわよね? 子供だから?」
「結構いると思うわよ。ただ表にはまず出てこないでしょうね」
「なんで?」
「あまり強くないから、かな」
彼女の年齢は竜で言えば少年・少女といった段階のものだ。
その年齢段階でも竜は基本的に独り立ちする。
この年齢段階になる以前から、竜には既に財宝の収集願望が目覚めているからだ。
幼い頃であれば親の巣穴で満足できる。
きらきら光った奇麗なもので遊んでいるだけで幸せになれる。
けれどある程度の年齢になると竜はそれが己の物でないことに気づき、不満を覚えるようになる。
これが竜の独立の契機となる。
要は自分だけの、己で独占できる宝が欲しくなるのだ。
そしてクィルの年齢よりさらに育つと、竜種は子供が産めるようになる。
そうなると雌竜は大概速やかにつがい、卵を産まんとする(或いは雄竜によって無理矢理にそうさせられる)。
言ってみればクィルは独立し、けれどまだつがうだけの年齢に達していない若き竜、ということになる。
シャルが疑問を持ったように、この年齢が人目につくことはめったにない。
このより幼い竜は手足と顔が大きく、どこか愛らしく子供っぽい、いわゆる幼児体型なのだ(とはいえ戦力的には到底愛らしいと呼べる代物ではない)が、彼女の年齢となると胴が大きくなって首と尾が伸び全体的にシュっとした、洗練されたフォルムとなる。
いわゆる大人のドラゴンの体型にだいぶ近くなるのだ。
この時点でも爪や牙は十分凶悪だし空も飛べる。
銀竜であれば強酸や冷気も一切効かないし、≪竜の吐息≫だって使える。
単純な戦闘力だけならこの時点ですでに端倪すべからざる存在となっているわけだ。
ただしこの年齢の竜は物理障壁も魔術結界も備えておらず、存在だけで恐怖をまき散らす≪畏怖たるその身≫も発生しない。
それらは雌が卵を産めるようになってから…つまりもう一段成長して初めて備わるものだ。
備えている妖術も少なく、その血ゆえ生来備えている魔導術も初歩からは未だ低位のものしか扱えない。
言ってみれば、攻撃力には問題ないものの身の守りに大きな不安と課題を抱えている状態なのだ。
竜は生まれながら人型生物の大人と同程度の知性は備えているため、この時点での己の立場がいかに危険であるかを理解している。
この年齢の彼らは己のうちに湧き上がる財宝収集衝動と己の脆弱性の板挟みになって懊悩するのが通例で、多くの竜がその経験を持つ。
「それじゃあ貴女は…クィルはなんでここにやってきたの?」
「人型生物との友好を模索するため…かな? 父に言われて」
「「!?」」
彼女の発言は二人にとって驚愕のものだった。
シャルは単にあの危険で暴れ者のドラゴンが…程度の認識だったけれど、エィレの場合はその上でもっと根本的な驚きである。
「友好的……なんで!?」
そう、エィレに、この地の者にとって竜は相容れない危険な存在である。
地上侵略を目論む地底の者達や、今この街を襲っている魔族どもと同じく討伐しなければならぬ対象である。
そんな相手と、それも向こうの方から友好を模索していると言われて驚かぬはずがないのだ。
「国際法にもあるものね。私達を討伐するための法。その割に貴女は今の私の姿を受け入れているようだけれど」
「え、ええ。見つかれば襲われる竜種がなんでわざわざこの街に来たのか驚きだけれど……少なくとも貴女とは話が通じるています。会話が通じる相手なら利害が対立していない限り私は交渉から入りたい」
「いい返事ね」
羽を横に広げ、宙を滑空しながらクィルが呟く。
地上から幾つか驚嘆の声と悲鳴が上がった。
魔族に加えて竜まで目にすればそれは驚くのも当然だろう。
「でも知っていて? 国際法には『基本法』と『固有法』がある。討竜法《レイ-・ドラゴントリュームズ》は固有法よね?」
「あ……」
国際法は人型生物が世界の覇者ではないこの世界に於いて、複数の国家間で協力し合わなければならぬ脅威に対して制定された国家ごとの法の上に位置する法である。
この法には世界中…といっても国際法の必要を認めたすべての人型生物の国、という条件の範囲内だが…に通用する『基本法』と、特定の地域・地方の国家の間のみで協議の末制定された『固有法』があるのだ。
地域によって国を脅かす規模の脅威は異なるため、それに応じた地域ごとの国家間上位法が必要なためである。
人型生物を脅かす脅威に対する『脅威法』、この地方に於いては『地底法』『瘴気法』『魔族法』『討竜法』などがそれに当たるが、このうち『討竜法』だけはこの地域で制定された固有法である。
理由は単純。
この地にはかの赤竜イクスク・ヴェクヲクスが君臨していたためだ。
この地に於いては……歴史上竜は常に脅威以外の何物でもなかったのである。