第874話 隠れ里、出立
「ホレ! 早ク! 武器ガ必要ナ奴ハ持ッテケ!」
コボルト族のグローは武器職人志望である。
本来コボルト族にとって武器は拾うものであって買うものでもなければ鍛えるものでもない。
ありあわせの武器、間に合わせの武器で戦うのが彼らの流儀であり、大きな戦があった戦場跡や古戦場などに出向いては好みの武器を見つけ拾うのがコボルトたちのやり方なのだ。
だが彼は偶然それを知ってしまう。
武器は正しく研磨すればより切れ味が増すこと。
用途によって様々な武器を己で打ち鍛えることができること。
だがコボルトの集落ではいくら頑張ってもその設備を入手する事はできなかった。
ゆえに彼は村を飛び出して、紆余曲折の末このクラスク村の隠れ里に転がり込んだのである。
「オ前ノ大キサノ武器ハネエヨ! コッチデ間ニ合ワセトケ!」
とはいえ彼はまだだいぶマシな方だ。
物覚えがよく性格的にも体格的にも大きな被害は出ぬと太鼓判を押された彼は、緋鉄団の裏方の雑用をしながら鍛冶の技術を学ぶ事ができた。
短刀程度であれば彼自身が打ち鍛えたものもある。
その時の感動を彼は一生忘れぬとは本人の弁だ。
人間族が振るう大剣などを鍛えるまでには至らぬが、研磨の練習のため幾つかの武器をこの村に持ち込んでおり、クラスク市で魔族どもと戦わんとする有志達にそれを配り歩いているのである。
「それじゃ、私達も行きましょうか」
「う、うん」
エィレ、シャル、そしてヴィラの横にはもう一人少女がいて、彼女らに声をかける。
落ち着いた物腰と年の割に凛とした笑顔が印象的な銀髪の美少女である。
花の染料で染めたものだろうか、薄桃色の愛らしい服を纏いやや長めのスカートを翻し、つばが長めな麦わら帽子を被っていた。
この世界の麦わら帽子は字の如くそのまま麦藁を編んだものである。
その素材的に我々がイメージする麦わら帽子より若干つばが狭いのが一般的であり、彼女が被っているようなつばが広めの麦藁帽はこの世界には…ないではないが手間がかかり割と高価なもののはずである。
…エィレは、その少女を見たことがなかった。
そもそもエィレ自身隠れ里にはあまり入ったことがなかった…正確にはいつも心に留めていたのだけれど、多忙にかまけている内に今日が訪れてしまったのだ…が、その数少ない全ての機会に於いて彼女の姿を目撃した事がない。
そもそも明らかな異形が多いこの村にあって、どこからどう見ても人間族と遜色ない姿をしている者に、シャル以外で初めてお目にかかったエィレである。
こんな娘がいたのか、と目を丸くしてついついつぶさに観察してしまう。
「私が気になるの?」
「え? あ、ええと、はい。すいませんじろじろ見ちゃって」
「いいのよ。畏怖や畏敬の目で見られるのは慣れているから」
しれっと物騒な事を言われた気がするエィレである。
「ええっと……お名前伺いましたっけ?」
「貴女はエィレッドロでしょう? ジェイルシャルとヴィラウアは村の者だから知っているし…」
「そうじゃなくって貴女の名前!」
「ああ!」
ぽむ、と両手を叩いた少女は静かに笑みを浮かべた。
「クィルガーファよ。よろしくね。ええと……確か人型生物は長い名前を縮めて親愛を表すと聞いたことがあります。そうした意図を込めたいのであればクィルで構いません」
「よ、よろしくお願いしますクィルさん。私もエィレでいいです」
「ならエィレで。よろしくね」
エィレに略称で呼ばれるとこれまた嬉しそうに微笑む。
年の割に大人びた表情なのだが、それだけにその少しはにかみ混じりの笑顔が愛らしい。
「私もシャルでいいわ!」
「わ、わたしもヴィラでいい!」
そしてシャルとヴィラがすぐに相乗りしてきた。
「それでええっと、クィルの種族は……?」
「しらない」
「私達も知らないのよねー…ユーも教えてくれないし」
「え?」
「だっていっつも家で本読んでるか街の本屋で買い物してるかなんだもん。ほとんど接点なしー」
「ぜんぜんしらない!」
「へえ…」
「本屋だけじゃないわ。学院の図書館にも行ってる。ここの学院は若いから蔵書数は少ないけど質はなかなかね」
「学院て……魔導学院の!?」
「? そうよ?」
きょとんと不思議そうな顔で返事をされ、逆にエィレが困惑した。
魔導学院には魔術の巻物以外にも魔術関係の希少な本をはじめ各地の地理などが記された様々な書物が収蔵されており、魔導師の卵たちが日夜そこで勉強しているという。
だがそれらの書物は貴重であるがゆえに基本閉架だ。
つまり貸し出しは許されておれず、学院の図書館で直接読むしかない。
そして彼らは自分達魔導師やその見習い以外の存在が学院の購買部より奥に入ることを快く思っていないはずだ。
ということは…
「つまりクィルさんは魔導師!?」
「はずれ」
あっさり否定され一層謎が広がった。
「でもそんなに入り浸ったらええと、変身魔術の代金だけでも大変じゃない? ほら今も使ってるみたいだし…」
話を聞く限りどうやら彼女は頻繁に街に出入りしているようだけれど。隠れ里の住人が街に入るには人の姿を取らねばならぬはず。
どうやって資金を得ているのだろうか。
そもそも普段家にこもりきりで本を読んでばかりと言うが、いったいどんな仕事をしているのだろう。
「変身魔術? 頼んでないわよ?」
だがエィレに問われたクィルはこれまたあっさりとそう返し彼女の推測を否定した。
「ええ……? じゃあその姿は……?」
「これは自前の妖術ね。私たちの種族は人化の力が使えるの。男性の場合は老人に、女性の場合は私みたいに少女の姿になる事が多いわね。まあ私の場合実際の年齢も少女みたいなものだけれど」
「「「へえええええええええええええええええええ」」」
普段話した事のない相手だからかエィレだけでなくシャルやヴィラも彼女の話題に喰いついてくる。
「街に入るわ! みんな手順通りにお願い!」
「ハッ!」
街の北門に到着し、点呼を取る。
隠れ里の住人一人と衛兵二人。
これを常に組ませて行動させるためである。
この街の衛兵たちの高い信頼を利用して里の者達の異貌を納得させ、その間に街中での活躍と実績を積む腹積もりなのだ。
「では我々は東に!」
「私達は西に!」
それぞれが打ち合わせ通りに散開してゆく。
「エィレ、私達は南でいいのね」
「うん!」
街の南部には大使館街がある。
高いセキュリティを誇るがゆえに大使館の面々はあそこを避難所として活用している可能性が高い。
だが同時に大使館たちは各国の重要人物であり、中には魔族達が人質などとして利用価値が高いと踏む者もいるかもしれない。
ならばあの区画に一番詳しいエィレがそこに向かうべきと言う判断である。
「みんな……頑張って欲しいわね。自分達のために」
そう呟くクィルガーファ……クィル。
街の東部に向かったのはヴォウィコムという名の男だ。
その顔は老人の如く、だが獅子のような胴体と蝙蝠か竜のそれに似た羽を生やし、尾先にはたくさんの棘を生やしている大型の怪物。
蝎獅と呼ばれる本来は人食いの化物である。
だが彼はかつて己を見て慌てて逃げ出した人間族が残したものに興味を持ってしまった。
夜食として食べる予定の『料理』である。
それは屋外ゆえ簡素なものであったが、ヴォウィコムはそれを口にしてその美味に感動してしまう。
こんな美味いものを、奴らは作れるのか。
その感動が、感銘が、彼に人を喰うことを辞めさせた。
優れたものは認めるべきだと思ってしまったのである。
蝎獅は単体で棲息する。
だから周囲の仲間と折り合いが悪くなったりはしない。
ゆえに彼は人を襲い、けれど殺害はせず、様々な調理を彼らから聞き出した。
その過程でクラスク市の噂を聞きつけ、この街にやってきたのである。
彼の夢はもちろん街に自由に入って全ての食堂の全メニューを制覇すること。
だが流石に変身魔術に金を使ってはたくさんの店は回れない。
呪文には持続時間の制限もあっていつまでも街にいられない。
自由に闊歩できるようになれば己の夢が敵う。
それゆえ彼は全力を尽くすのだ。
「さて……それじゃ、私達も急ぎましょうか」
「急ぎたいは確かだけど、でもどうやって?」
「ヴィラの肩にのる?」
「それはイヤ!」
「しょんぼり」
クィルの言葉をヴィラが受けるが、シャルに全力で拒否される。
以前エルフの森に行楽に向かう際それで悪酔いした事があってだいぶ凝りているのようだ。
「ん-……これがさっき言ってた結界? 街中に張り巡らされてるわね。すっごい魔力。なるほど、ここに入るとヴィラみたいに本来の姿に戻っちゃうわけか」
他の者達が街に突入しても、クィルだけは北大門を前に立ち止まりしげしげと何かを見入っている。
エィレには何も見えないけれど、もしやして彼女には本来目に見えぬはずの結界が見えているのだろうか。
「ああ私達も急がないとね。ヴィラだけ後から来れる? 流石に貴女は乗せられない」
「うん?」
「え?」
不思議そうに首を捻るエィレとシャルの前にたたた、と少しだけ小走りで駆け出したクィルの背中から……
突然蝙蝠のような羽が、生えた。