第855話 状況証拠
「先刻説明した通り時間を停止されたら対処のしようがないでふ。でふから基本発動前に止める、が最も有効なんでふが……その止める手段がほとんどないんでふ」
ネッカの発言にクラスクは首を捻る。
「詠唱中に攻撃シテ呪文消散狙うノハ?」
クラスクが戦士系として最も有効な対処を指摘するが、ネッカは無言でかぶりを振る。
「上位魔族以上なら妖術で〈大転移〉程度は使えると思いまふし、そもそも武器の届く範囲で唱えてくれるとは限らないでふ。さらに戦闘中に魔術妖術を使用しても隙を作らぬよう訓練もしてると思われまふ。何より……」
「何よりナンダ」
ネッカはそこまで言いかけたところでその後を言いにくそうにいったん切った。
だがクラスクはすぐに続きを促し、ネッカはそのまま言葉を継いだ。
「その、個として強大すぎて、おそらく多少の手傷を受けた程度では精神集中を乱されるようなことはないと思うんでふ」
「ナルホド」
ネッカの言葉にはその『圧倒的個』に挑む無謀自体についての懸念が含まれていたけれど、クラスクは全く気にしない。
挑まなければならないなら挑むべきだし、もし相手が危険な能力を有しているとしたら全力で対策を取らなければならぬ。
無謀がどうのなど言ってられないのである。
「なら他ノ呪文要素邪魔すルノモ難シイカ」
「はいでふ」
クラスクの言葉にネッカは静かに頷いた。
「〈時間停止〉自体はまず間違いなく魔導術でふ。発動したら圧倒的有利な呪文でふので対策として呪文の発動自体を阻害する、というのは方向性として正しいと思いまふ。どんなに危険な呪文でも呪文である以上正しい手順で唱えないと効果を発揮しないでふから」
「ワカル」
うんうん、とクラスクは頷いた。
「強大な呪文なので『動作要素』『音声要素』『触媒要素』『焦具要素』は全て必要と仮定しまふが…まず魔族の本体は巨大な事が多く、クラ様がいくら怪力でも全体の動きを押さえるのは難しいと思いまふ」
「つまり『動作要素』邪魔デきナイ」
「はいでふ。そして神聖魔術の〈静寂〉などで音を封じるのも難しいと思われまふ。魔術結界が強すぎて他の魔術で補助強化したとしてもこれを突破できないと思われまふので……戦場で儀式魔術でも用いない限りは、でふが」
「それハ無理ナノカ」
「……難しいと思いまふ。長時間複数の術者が精神集中と詠唱を戦場で続ける、ということでふから成立自体しないかと」
ネッカは眉根を寄せてそんな風に答えながら少しだけ目を細めた。
ただいずれにせよ現時点での結論は変わらない。
「つまり『音声要素』も邪魔デきナイ」
「はいでふ。触媒はこちらの目のつくところに身につける事はまずないと思いまふから無理でふし、焦具は……魔族の場合自身の身体に生えている身体部位などを焦具にしている者も多く、これまた邪魔するのは難しいと思いまふ」
「ずルくナイ?」
「人型生物と違って竜種や魔族などは自身が強い魔導的神秘の化身みたいなものでふからそういった事も可能なんでふ」
「…つまり『触媒要素』モ『焦具要素』モ邪魔デキナイ」
「はいでふ。おそらくは」
むむむ…と腕組みをして首を捻ったクラスクは最後にそこに辿り着いた・
「……ナラあれハドウナンダ。ネッカが以前やっテタアー」
「対抗魔術でふか?」
「それデシタ」
「そうでふね…」
クラスクの言葉にネッカは暫し押し黙り考えを巡らせた。
確かにそれならば目があると彼女は考えているようだ。
「対抗魔術で〈時間停止〉を止める事は理論上は可能でふ。ただ……〈解呪〉程度では魔力上限が低すぎて高位魔族の唱える呪文に対抗することはまず無理かと思われまふ。〈魔術強化〉した〈大解呪〉でもだいぶ分が悪いかと」
「上位呪文デ上書き…ハ無理カ。ナラ完全に同じ呪文唱えタラドウダ。それナラ相手ノ呪文ドンナニ強くテモ打ち消せル言っテタ」
「はいでふ。どんな強大な呪文でも全く同じ呪文を唱えたなら彼我の魔力の差に関わらず打ち消しが可能でふ。可能なんでふが……ネッカにはその呪文を修得するすべがないんでふ」
「うン……?」
少し気になる言い回しをされた気がして、クラスクは首を捻った。
「学院にその呪文ハ……」
「ないでふ。うちの魔導学院の蔵書には〈時間停止〉は存在しないでふ」
言われてみればネッカはその呪文の説明をする際幾度も推定するような言い回しをしていた。
つまりその魔術の理論は知っていても実物は知らぬのだ。
「ネザグエンづテにアルザス王国ノ魔導学院に頼むノハダメカ」
「ネザグエンさんも、彼女の師であるアルザス王国宮廷魔導師長にしてアルザス王国王都ギャラグフ魔導学院学院長たるヴォソフ様でも、知らないはずでふ」
「マジカ」
神が生み出した呪文しか使えぬ神聖魔術や、精霊ができる範囲の事しか実現できぬ(それでも相当広範囲だが)精霊魔術と異なり、魔導術は研究すればするだけ呪文は増えるし、それを己の呪文書に書き写せば呪文のレパートリーも理論上無限に増やせる。
……が、それは逆に言えば書き写さない限り呪文の数は増やす事はできぬ、ということだ。
自分自身が研究し新たな魔術を開発することは可能だが、それには長い長い時間が必要だ。
上位の呪文などであれば開発に十年単位の時間がかかるなどザラなのだ。
知り合いの誰もが知らぬ呪文を、突然ポンと開発する事はできないのである。
「知っテル奴に心当タリハ」
「おそらくエーランドラ魔法王国魔導大学院十七賢人の御一人、時の司ザウノッシヴ様であればご存じかと思われまふが……教えてくれることはまずないと思いまふ」
「ナンデダ」
「先ほどネッカ達が考えた通りでふ。強力な呪文に対抗するには対抗魔術で打ち消すしかないんでふ。〈時間停止〉は時を司る呪文の中では秘中の秘、最大の奥義でふ。その呪文を他人に教えるという事はその術者の魔導書から簡単に他の術師に書き写されかねないということでふ。そうなれば自分の奥義に対抗できる術者を徒に増やすことに繋がりまふ。自分自身の弱点を自ら外に作り出すのと同じ行為なんでふ」
「ナルホド理屈ダ」
クラスクは唸り声を上げながら納得せざるを得なかった。
自分の身を護るための最大の切り札を、自分が他人に教えてしまったがゆえに対策されて負ける、などというのはあまりにも滑稽で間抜けすぎる。
魔導師連中の思考回路を考えてみてもそんな轍はまず踏むまい。
「…逆に聞くガそんな呪文を奴ハ知っテルノカ?」
「わからないでふ」
クラスクの素朴な疑問に、ネッカは静かにかぶりを振った。
「ただ高位魔族『旧き死』の正体を見て生きて帰った者はいないんでふ。『必ず』『全て』『例外なく』全滅してまふ。魔族は狡猾でふから誰にも知られず殺された方も少なからずいると思われまふので、実際には記録されている以上の犠牲者がいるはずなんでふ。その誰一人として生きて帰っていないんでふ」
「それダケ強イ……イヤ違うナ」
ネッカの言葉の含みにクラスクはすぐに気づき、僅かに沈思した。
「色ンナ奴ガイル。アイツに正面カラ挑みカカル奴モイれバ一目散ニ逃げル奴モイル。離れテ隠れて様子ヲ見ル奴ダッテイルハズダ。ソノ全員が帰っテ来ナイノハおカシイナ」
「はいでふクラ様。心術で魅了するにせよ支配するにせよ、幻影で騙すにせよ、元素術で炎や氷の攻撃魔術を用いて殲滅するにせよ、或いはその肉体の暴力で直接的に殺害するにせよ、大体の手段には何らかの対抗手段があって、それぞれの種族、職業には得手不得手がありまふ。その誰もが対処できず逃げ出すこともできないというのは些か不自然でふ」
「奴にハ単ナル強さ以上ノ『絶対的有利』があルッテ事カ」
「はいでふ。その条件を最も満たすのは時間停止であると考えまふ。『旧き死』が本当に時間魔術の最高峰を修得しているかどうかわからないでふが、状況証拠から疑う余地があるならその中で最も危険なものの対策は考えておくべきかと思いまふ。逆に言えば……」
ネッカはそこで一旦言葉を切った。
「もし相手が取って来る手段がそれ以外…いえそれ以下の手段であれば、クラ様にも対抗の目があると考えてまふ」
「推測されル最悪ノ対策を取れば後ハ全部それ以下カ。ナルホド。その考え方嫌イジャナイ」
少し嬉し気にクラスクは肯首した。
「デ、対策ハドうすルンダ」
「それなんでふよね……事前に打ち消すのは難しい。効果が発動したら止めようがない。肝心の呪文は修得できない。完全に八方ふさがりなんでふ」
「あら、こっちもでそういう言い回しするんですね」
その時……円卓の間の扉を開けて一人の女性が入って来た。