第848話 破壊効果
「ダガ時間短くテモそれデ足止めトカシばらく喰らっタラ割と致命的ダナ」
「そうでふね。もう一つの対策は『破壊』効果でふ」
「破壊効果? 物を壊す呪文カ?」
ぶんぶん、と右腕を振り回し、その後力こぶを作るクラスク。
「破壊! 俺モ得意!」
「はいでふ。クラさまも力で物を壊すのは得意でふね。でふがここで言っているのは《《概念としての破壊》》でふ」
「概念……? つマリ『物壊ス』っテイウ《《結果を作ル呪文》》……ミタイナ奴カ?」
「そうでふ。物品や構造物を破壊する〈物体破壊〉、対象を原子の塵に返す〈分解〉あたりの呪文は効果に破壊という概念そのものを用いているため、対象が構造物である限り必ず壊す事ができまふ。物理的な力や圧力を加えて物を壊すわけではなく、対象に『破壊状態』を付与する事で結果的に対象が壊れる、みたいなイメージでふね。つまり…」
「ナルホド! 空間を固めタ物ハ扱イトシテハ『物体』ニナルカラ『破壊』ッテガイネン……概念? ガ通ルッテ事ダナ?」
「はいでふ。例えばこれをクラさまが手に嵌める手袋あたりに付与して、合言葉で起動できるようにすれば…」
「ソウカ。空間固められテモ対処デきルノカ。ネッカ凄イナ!」
クラスクが瞳を輝かせると、ネッカは恥ずかしそうに頭を掻いた。
「でふが気を付けて欲しいでふ。物体の破壊なので迂闊に物を掴んでる時に使うと自分のものを壊してしまう可能性がありまふ」
「確カに。斧トカ壊シタら大変ダナ」
「あと概念付与系の呪文は割と強力なものが多いので乱発はできないでふ。おそらく一日一回とか、よくて数回くらいでふかね」
「それデ大丈夫ナノカ」
「うう~~ん」
クラスクに問われた時、ネッカは腕を組んで暫し悩んだ。
「魔族の中には妖術を回数無制限で使用できる者もいまふ。なので断言はできないでふが……空間や時間操作の効果は高度な効果で、いかに高位魔族とはいえ無制限で使用できるとは考えにくいでふ。おそらく使用制限があるはずかと思いまふ」
「やっテみなイトわからんカ」
「でふ」
「マアそれデモ最初の一回は確実に対処できルナ。用意しテくれ」
「おまかせくださいでふ!」
こくこくと頷きながら手早くメモ帳に記入するネッカ。
この街名物の白い紙で綴られたメモ帳は今やすっかりメジャーな商品として流通していたが、ネッカのメモ帳はびっしりとした書き込みでむしろ真っ黒になっている。
どうやらだいぶ使い込んでいるようだ。
× × ×
「どうやらその手袋に何か仕込んでいるようだね」
「ソウダ」
グライフの指摘をあっさりと認めるクラスク。
こういう時にブラフなどを交えるのが戦場での駆け引きなのだろうが、どうにもクラスクはこうしたことを素直に認めてしまう癖があるようだ。
先刻グライフがしたこと、そしてクラスクがやったこと。
つまりこれが空間魔術とその対策だったわけだ。
グライフは己目掛けて飛んできた|魔竜殺し《ドラゴン・トレウォ-ル》を目の前の空間を力場として固める事で防いだ。
ネッカの説明にあった通りこの空間固定…魔術用語では『力場』と呼ぶが…は生体を直接固める事はできない。
《《だが魔剣は生体ではない》》。
知性を持ち自在に動けるとしても、それはあくまで剣であり、物体である。
物体であるがゆえに力場の生成制限を受けず、グライフは直接|魔竜殺し《ドラゴン・トレウォ-ル》を周囲の空間ごと固定し無力化したわけだ。
本来であれば持続時間が過ぎるまでそこに完全に固定され、クラスクは武器を一振り失って不利な戦いを強いられることとなっていたはずである。
だが当然クラスクもその対策を積んでいた。
彼の手袋に込められているのは〈物体破壊〉の魔術。
ネッカ特製の『破壊の手袋』である。
魔具を作成する際に力場対策として〈物体破壊〉と〈分解〉のどちらを込めるのかとクラスクとネッカはしばし協議した。
〈物体破壊〉は物体しか壊せず、生物などには効果がない。
戦場となるドルム周辺は草原と荒野であり、破壊して有利な物体があるとは思えず、ほぼ『力場』専用対策となる。
こちらは時間と予算と呪文の位階から1日3回が使用制限となる。
一方の〈分解〉は対象の制限がない。
つまり物だろうが人だろうが原子分解し塵(正確にはより細かい粒子)に変えてしまう恐るべき呪文だ。
だが高度な呪文ゆえこちらを魔具化した場合使用制限は1日1回が限度となる。
クラスクは少し迷った末〈物体破壊〉の方を選択した。
〈分解〉が生物を分解できるのは強力だが、想定される相手は魔族である。
それも超高位魔族だ。
普通に考えて相手の魔術結界を抜く路が見えぬ。
ただでさえ魔具化すると予算の都合上込められる魔力が最低限となってしまうのだ。
魔族相手にこの効果を通すのはほぼ無理筋と考えていいだろう。
とすると戦場でこの効果を『力場』対策以外に使用するのは相手が魔族以外の時ということになるが、ドルム包囲網にそんな連中がいるのか? ということでこちらは見送られた。
まあ実際には瘴気によって魔物化された連中が大勢いたのでクラスクの推測は外れたわけだが、そも魔術結界を持たぬ程度の相手にこんな高位の効果を使うまでもなく、結果クラスクの推察は外れていたが選択は正しかったと言う事になる。
「さてさて、どこまで僕の対策が済んでいるのかな……っと!」
後ろに跳び下がるグライフ。
左手に聖剣、右手に邪斧を握り地を蹴りそれに迫らんとするクラスク。
一瞬目を細めるグライフ。
クラスクの右肩に裂傷が走る。
攻撃魔術によるものではない。
おそらく目に見えぬ力場がそこに生まれたのだ。
だがクラスクは止まらない。
さらに地を蹴り斜め後方に逃げるグライフを猛追する。
ぶうんと振った左剣。
軽いステップでそれを避けるグライフ。
だが次の瞬間斜め下から振り上げられた斧が彼の眼前に迫り、グライフはそれを凡そ二足歩行の身としては不自然な程大きく上体を逸らしかわした。
……かに見えた。
どじゅる、という音がする。
じゅじゅるじゅるじゅるじゅる…という不快な音がする。
一瞬左目の視界が塞がったグライフは、それが己の出血のせいだと察した。
かわしたはずの斧。
その先端が僅かに彼の額を掠った。
そして僅かに掠ったその一撃が彼の物理障壁を越えその人皮越しに彼の本来の皮膚を傷つけ欠片ほどの傷をつけた。
だがほんの少し。
ほんの僅かでも傷がつけばそれでいい。
その斧は血を啜る。
血を啜って己の刃に変える。
啜れば啜るほど強くなり、時にその吸血だけで相手を死に至らしめる。
それがクラスクの持つ魔性の斧の呪われ死本性である。
みるみる血が溢れ出て、僅かな傷口がみるみる大きくなってゆく。
傷を塞ぐには距離を取って吸血を防がねばならぬ。
だがそうはさせじとクラスクが逃げる先にも即座に間合いを詰め追撃せんとする。
指先から爪を伸ばしクラスクを貫かんとするグライフ。
だがそれをクラスクは左手の白銀に輝く剣でやすやすと斬り払う。
守勢に回っている限り近接戦ではクラスクの方に分がある。
となると魔術や妖術で状況を打開したいところだが、魔術には詠唱や身振りが、妖術でも強い精神集中が必要だ。
そんな隙を接近戦で迂闊に見せればたちどころに斬撃の餌となる。
グライフは妖術として〈大転移〉も使用できるが、それすらも念じると同時に潰されるだろう。
クラスクの足の速さ、そしてどこに逃げても瞬時に追尾するその判断力の異様な速さがそれを可能にしていた。
「なるほど…これは想像以上厄介だ」
笑みを絶やさずグライフが呟く。
それは確かに本音だろうが、本気ではあるまい。
クラスクは総即座に断じた。
彼は未だ全力を出していない。
余力を十二分に残した状態でなお己と渡り合っているのだと、そうクラスクは肌で感じていた。