第845話 薙ぎ払う
止まらない。
止まらない。
クラスクの突進が止まらない。
それを押しとどめようとした魔族も、討ち取らんとした魔族も、右に左に斬り捨てられるか体当たりで宙に吹き飛ばされる。
クラスク自体が人型生物と呼ぶには違和感を覚えるレベルで巨大な体躯をしている事を差し引いてもとんでもないパワーである。
そしてその怪力を、『彼』はとても嫌な方法で思い知らされた。
帯魔族である。
クラスクを足止めせんと包帯を彼の右腕に巻きつけながら、全く足が止まらず逆に引きずられ地面を転がりながら引きずられていたあの帯魔族である。
クラスクが己の右腕に巻きついている布帯を自らさらに腕にひと巻きし、その布の中途を斧を持つ己の右手指で掴んだ。
そして背後の帯魔族が地面の突起にぶつかり呻きながら宙に跳ねた瞬間……クラスクはそれを強く握り、放った。
「ムゥン!」
まるで野球投手のように右腕を大きく振りかぶって、オーバースロー気味にその帯ごと背後の帯魔族を己の前方に投擲したのである。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
帯魔族の口からおよそ魔族らしからぬ悲鳴が上がる。
前方で冒険者達にとどめを入れんとした槍魔族がびくりと身を震わせ、その動きがほんの一瞬止まった。
クラスクの読み通り、帯魔族が放った悲鳴が精神感応により強制的に流れ込み槍魔族を一瞬動揺させその動きを阻害したのだろう。
その直後、その槍魔族の後頭部に帯魔族がめこりと命中する。
「ガッ!」
「ギャッ!」
互いに猛烈なダメージを受け重なるように崩れ落ちる帯魔族と槍魔族。
クラスクはそのままとどめをくれんとその二体に肉薄する。
だがその時、羽を広げ空を舞い、魔族の空中部隊が四方から一斉にクラスク目掛けて襲い掛かって来た。
羽魔族が左方から2体、右側から1体。
そして取り囲むように小鬼4体。
都合7体による包囲一斉攻撃である。
彼らはクラスクがその進路から窮地に陥っている冒険者どもの下へと向かっていると予測し、互いに精神感応で示し合わせ、戦場を低空で飛空しながら回り込むように移動、確実にそこに現れ、足を止めるであろう場所で不意を打ち一斉に襲い掛かったのだ。
「来イ」
短い、呟くような一言。
だがそれだけでその聖剣には十二分だった。
呼ばれましたわ! 呼ばれましたわ!
とでも言いたげにまばゆく光り輝き高速で飛来したその剣は、クラスクが横に伸ばした左腕、その掌にまるで吸い込まれるように収まったのだ。
そして魔竜殺しを掴むのとほぼ同時、いやそれより一瞬早く彼の両腕がぶうんと空を薙ぐ。
右手で掴んだ呪いの斧と。
左手に持った聖剣と。
その両者で挟み込むようにして、目の前の魔族二体を薄紙でも切り裂くが如く両断した。
厳密にはこの二振りの得物の挙動はやや異なる。
魔族どもの物理障壁を無視してやすやすとその身体を引き裂いてゆく聖剣と。
そして魔族どもの物理障壁に引っかかりながら気にせずめきめきとその胴体にめり込み断ち砕いてゆく呪斧と。
果たしてどちらに仕留められる方がよりマシな末路なのだろうか。
いずれにせよどちらもただの一撃でそれぞれの魔族の命脈を断ったその二振りは、その軌道からちょうどクラスクの目の前で互いの刃と刃を打ち交わす。
チン、と音がした。
そして次の瞬間猛烈な勢いで、弾けるようにそれぞれの刃が左右へと跳ね飛んだ。
まるで互いに相手を忌避していて、一瞬でも早く相手から離れんとしているかの如き挙動である。
右に跳ねた呪いの斧は宙より襲い来る羽魔族の右腿から左銅をめきめきめこりと切り裂いて、その勢いでそのまま横から背後にかけての小鬼を纏めて薙ぎ払う。
左に舞った聖剣はその軌道にいた不幸な羽魔族を行きがけの駄賃とばかりにやすやすと切り裂いて、クラスクがスッと手を離すと同時に宙を舞い、慌てて身を翻し逃走を図らんとしたもう一体の背後より迫りまずその背中の羽をそれぞれ切って裂き、揚力を失い地べたへと叩きつけられた羽魔族の首筋に真直に突き刺さった。
一瞬の出来事である。
ほんの一瞬で、十体近くの魔族がクラスクの周りに死屍累々と積み上げられた。
ただ、今の攻撃で一体だけ、ただ一体だけ生き延びた魔族がいた。
一番後方で斧の攻撃の端を受けた小鬼である。
彼は己の手にした小槍でどうにか攻撃を受け止め、裂傷を負ったものの致命傷は免れた。
だがどう足掻いても勝ち目はないと踏んだその小鬼は断末魔の悲鳴を上げながら地面に転がり落ち、既に事切れた同族の死体の横に身を隠しながら密かに高速の治癒能力で傷を癒しつつクラスクが立ち去るのを息をひそめ待ち続ける。
……はずだった。
治らない。
傷口が塞がらない。
それどころか先刻の斧に切られた傷口がみるみる広がり、そこから血が止まらず溢れ出る。
なんで?
なぜ治らない?
なぜ出血が止まらずに……
止まらずに、溢れた血潮が宙に浮いて、その斧に吸い込まれてゆくのか。
同じ小鬼から二度目の断末魔が響いた。
一度目は演技である。
だがどうやら彼には演技の才能があったらしい。
先刻と寸分たがわぬ悲鳴を上げて、その小鬼は出血多量のショック死で事切れた。
そして大量の甘味を鯨飲したその斧は、満足とばかりにげっぷとその斧刃を揺らした。
……いや、それとも陽光の加減で影がそう見えただけだろうか。
「大丈夫カ」
「お、おう……」
オーク族に助けられるなどというなんとも稀有な体験をした冒険者達が呆然とした表情でそう返す。
先刻ドルムの城から出撃する前に自分達の集団に混じって確かにオークがいた。
背格好からしておそらく彼だろう。
だがいかにオーク達が優れた戦士だとしても、これほどまでに隔絶した強さの個体など、彼らは今まで見たこともなかった。
「た、助かったよ、礼を……」
「チョット待テ」
口を開きかけた冒険者を片手で制し、クラスクは羽魔族にとどめを入れて悠々と帰還してきた聖剣を左手で掴むとその刀身を己の前に持ってくる。
「コイツ押さえテロ。デきルカ」
そうクラスクに言われた時のその剣の嬉しそうな輝きといったらなかった。
ぱああああああああああああ……! と眩く光り輝いたその剣は、クラスクの手から離れ宙に浮くと、そのままクラスクの右手の斧に近づいて刺々しいオーラを全開にして彼を牽制する。
斧の方は斧の方で紫色の呪詛か殺意かといったオーラを立ち昇らせつつその剣と刃を打ち付け合いぐぎぎぎぎ……とその斧身を震わせた。
「なんだ、それは」
「気にすルナ。この斧チョット呪われテル。周りにイル奴皆殺しにシタイからチョット操らセロイツモ言っテクル。傷口あルトそこから血を吸って敵味方関係ナく啜り殺ス。放っテおくトお前達殺しかねナイから見張り付けタダケ。大丈夫」
「気にするわ!!」
「大丈夫ではねーよ?!」
「物騒なもの持ってるなあ!?」
クラスクのあっけからんとした物言いとその凄惨な内容との落差に思わず全員でツッコミを入れる。
その斧にはどうやら知性めいたものがあるようだが、クラスク愛用のもう一振り、『魔竜殺し』と異なり自律して行動できるわけではない。
本来であれば自身を手にした相手の精神を乗っ取り妻や子供、恋人などの親しい相手を殺して回るのが彼の本分なのだろうけれど、クラスクは精神抵抗が高すぎてこれまで一度たりとも彼の支配下に落ちたことがないのだ。
結果その斧はクラスクにとって単に攻撃力の高い魔法の斧として便利に使われてきたのだけれど……そんな斧にも自発的に行える行為がある。
『血餓』の曰くである。
『血餓』は血を啜り貯めこんで、必要ならその貯めた血を消費することで大きな攻撃力に変換する事ができる曰くだ。
これをその斧は自発的に、回数無制限で行う事ができる。
特にこの斧の『血餓』は強力で、通常であれば傷口に刃を当てた時のみ血を啜れるはずなのに、多少離れたところにいる相手の傷口から血を無理矢理噴き出させ、宙に浮いたその血を手繰り寄せ啜る事ができるというとんでもなく物騒な代物である。
だから槍魔族に塞がらぬ傷口を与えらえた術師など彼からすれば格好の餌であり、その傷口から大量の血を啜ってたちどころに絶命させたしまうだろう。
それを……今相方の聖剣が防いでいる。
口喧嘩(剣同士のもので、人型生物にはさっぱりわからないけれど)をしているのか。それともこの刃を打ち付け合っているのが物理的な戦闘なのかはよくわからないが、少なくとも今この時点ではその斧は冒険者達の傷口から血を啜っていない。
啜れていないの方が正確かもしれないが。
これほど仲の悪い……というか、対立した属性の武器を同時に御せる戦士はこの世界を探してもそうそうお目にかかれるものではないのだけれど、クラスク当人はそうしたことにとんと無頓着である。