第840話 状態変化
骨魔族と呼ばれる上級魔族…小さな巨人族程の大きさの巨大な骸骨に似た姿であり、ただしその頭部に醜悪な角、そして尻骨あたりから頭上に向けて巨大な蠍のような棘針を伸ばしているのが特徴の魔族だ。
一体何の骸骨なのかと首をひねるようなデザインだが、そもそも骨魔族は独立した上級魔族種であり、これ自体が本体であって別に何かの魔族が腐ってこの姿になったわけではない。
あくまで魔族であって不死者ではないのである。
上級魔族と言っても位階の面で言うならその中でも最下層であり、偉くなった分責任と成果が求められる立場となったわけで、魔族階級の中では上と下の板挟みとなって色々と苦労することの多い種だが、それでも下級魔族の順当な出世コースのひとつであり、上級魔族の入口として人気がある。
骨を模した外観だけあってその外皮は非常に硬く、物理障壁とは無関係にまず攻撃が通りにくい。
ドルム軍のように軍隊全体が魔族の物理障壁対策を取っている集団からするとだいぶ厄介な特性である。
見た目同様危険なその尾には猛毒があり、撃たれると極度の脱力症状を引き起こす。
頑丈な者であれば即死する程ではないが、手に力が入らなくなり戦士なら武器を構えられなくなって、魔導師であれば杖すら持ち上げられなくなってしまう。
もし戦士が板金鎧など装備していたなら全く身動きができなくなってしまうだろう。
さらに周囲に恐怖をまき散らし、妖術で空を舞い、相手を分断する小さな迷路を作り出し、幻影を操る。
今回は妖術による遠隔攻撃を持たぬため空を飛ぶ意味はあまりなく、乱戦のため迷路を作り出すこともできぬが、現状の能力だけで十二分に強力な魔族である。
なお自在に姿を消す能力も持っているはずなのだがこちらは今は使っていないようだ。
ドルム側がなんらかの対策を施しているのだろうか。
骨魔族は配下の帯魔族と槍魔族どもを従え一気に人間達の術師に接近する。
彼の周囲には相手を強制的に恐怖へと誘う領域があり、範囲内の魔族以外の対象の精神をたちまち病ませる事ができる。
そうすれば声が震え身体が強張り呪文詠唱がろくにできなくなってしまう。
特にそうした状態異常を治療する専門家の聖職者を無力化できれば形勢を一気に傾ける事ができるはずだ。
だからなるべく近寄って……
骨魔族に向かって魔導師ヘルギムが呪文を放ったのは、ちょうどその瞬間だった。
鈍色の光は確かに骨魔族を捉え、その肋骨に命中する。
効果はすぐに表れた。
だが骨魔族には最初その自覚がなかった。
パキ、パキ……
ただ違和感は感じていた。
速度を上げているはずなのに、少しでも早く己の周囲に纏った恐怖領域の範囲にあの術師二人を巻き込まないといけないのに。
パキ、パキ……パキン
なぜかどんどん遅くなる。
走れども走れども近づかない。
パキ、パキ……パリパリ、パリン
そして完全に足が止まったところで彼は己の腕の違和感に気づいた。
透き通っている。
腕の先の地面が見える。
透明になっている。
いや、違う。
それは何者かが放った魔術によって無効化されているはずだ。
この戦場で姿を消すことはできぬはず。
ならばなんだ。
これはなんだ。
パリンッ。
指先が砕けて落ちた。
そこで彼はやっと己の身に起こった状態を知る。
ガラスだ。
これはガラスだ。
自分はガラスに変じている。
そう悟った時、彼の意識は消えた。
胸部から広がったガラス化が遂に頭部まで及んだからだ。
骨魔族は完全にガラスの置物と化した。
当然ただのガラスの塊なのでその動きが完全に止まる。
だが彼に指揮され背後から猛追していた魔族どもは急には止まれない。
特に槍魔族などは好戦的で、肩をぶつけ合って我先にと駆けて切たのである。
彼らはそのまま突進をして…勢いあまってその上司の姿を象ったガラスの塊に突っ込んでしまった。
ガシャーン!
音がする。
ガラスが砕け散る音だ。
かつて上司だったそのガラスの塊は、陽光に煌めきながら奇麗な音を立て砕け散り地面へと散乱した。
「やれやれ……時間が経てば元に戻ろうものを。上司殺害では降格も免れまいな」
嘆息しそう呟くヘルギム。
真っ青になり一瞬足を止め棒立ちとなる魔族ども。
そこに……フェイックの周囲を周回していた光の星が流星となって彼らをまとめて貫く。
「こらこら、逃げるんじゃないよ」
「ギャッ!」
そして、致命傷を免れ離脱しようとした魔族の首筋を……背後から駆けてきた盗賊スラックスがその手にした短剣で切り裂いた。
ヘルギムが唱えていた呪文…
〈硝子化〉。
字の如く対象をガラスに変えてしまう呪文だ。
ファンタジー世界では対象を石像へと変える呪文や呪いなどが定番である。
この世界であれば〈石化〉という呪文がそれにあたるが、要はそのガラス版である。
違いとしては〈石化〉が解けるまで永続で石像のままであることに対し、この呪文には持続時間があり比較的早く戻ること。
そして…石像に比べて遥かにもろいことだ。
石は相当に硬い。
己を自在に石像に変え石の硬度で攻撃を防ぐ〈石像化〉という呪文があるし、冒険者定番の防御術〈岩肌〉なども石の硬さから生まれた呪文だ。
〈石化〉の呪文とてそうだ。
単なる敵の無力化手段としてだけではなく、解除方法を知っているのであれば一時的に仲間の身を護るための呪文にもなり得るのである。
だが〈硝子化〉にはそれがない。
戦闘中に子の呪文を喰らえば不安定な状態でガラス像と化し、少し押すだけで簡単に倒れ砕けてしまう。
なんなら走っている最中にガラス化してしまえばそのまま自らの勢いで倒れかねない。
そしてそうなってしまえばもう終わりである。
なにせ〈石化〉と異なりこの〈硝子化〉には持続時間がある。
そしてこうした状態変化系の呪文が解除された場合、変化先の状態のまま元に戻る。
つまり砕けてバラバラのガラス片になった者が元に戻れば……それはただの肉片だ。
おそろしい呪文ではあるが、当然ながら魔術結界を貫かなければ魔族どもには効果がない。
ゆえにヘルギムは事前に別の呪文を唱えておいた。
それが〈結界解析〉である。
これは対象の魔術結界を解析することで、次に唱える呪文の魔術結界突破率を大幅に上げてくれる呪文だ。
ネッカが格上の呪文を唱える際によく使用する〈魔術強化〉と同様の、他の呪文を唱える直前に詠唱する、いわゆる『呪文強化呪文』のひとつである。
軍属の従軍魔導師などが修得している事はまずないが、冒険者の魔導師などであればおよそ必須と言っていい呪文だ。
ただこの呪文自体が中位域のそれなりに高度な呪文であるため修得も難しく、また魔力の消費も安くないため、安易に使用する事はできないが。
「さて『準備』に入る。フェイック。続けて頼むぞ」
「勿論です!」
続けざまに次の呪文に詠唱に入るヘルギム。
カバーに入るフェイック。
そして気づけばどこに姿のないスラックス。
前衛職二人を送り出してなお自分達だけで窮地を切り抜ける彼らは、確かに腕の立つ冒険者のようだった。
「さて……頼みますよ、オーツロ」
一方、団長オーツロとエルフの魔法剣士ヴォムドスィは、さらに上級の魔族とその刃を交わしていた。