第84話 ≪疑似スキル≫
圧倒的な強さの族長ウッケ・ハヴシ。
だがオーク達観衆は大いに盛り上がっている。
かつてこの強大な族長を前にこれほど長い間立ち続けた挑戦者など皆無だったからだ。
(ナントカ倒れずニイられテル…ガ)
荒く息をつき、血まみれになりながら、それでもクラスクははっきりと意識を保っていた。
自分に向けられた声援もしっかり聞こえている。
同期のラオの、弟分のワッフとリーパグの、彼らの女達の。
そして…自分の大好きな大好きな妻の声を枯らさんばかりの声援が。
(ミエノ声ハ…イつも俺ニ力くれル…ナ)
ふらり、と一瞬よろめいたように見えて、だが瞬きの間に突進する。
僅かなフェイントをかけて一瞬の間隙を生んだのだ。
だが届かない。
一歩届かない。
体格差からくるリーチの差、互いの武器の間合いの違い。
クラスクの斧が最大限の威力を発揮する間合いは、ウッケ・ハヴシの大斧のちょうど斧刃ひとつぶん内側にあった。
クラスクはなんとか相手の武器を避けてその間合いに潜り込もうとして、けれどハヴシは当然それを読んで外してくる。
こちらが踏み込もうとした瞬間距離を取られ、或いは逆に大きく踏み込まれ、クラスクの斧が必殺に至る軌跡を蹂躙する。
斧は刃の付いている部分が狭い。
重量と遠心力で威力は抜群だが、確殺の一撃を放てる間合いはかなり狭いのだ。
しかもリーチの関係でその最大の威力を発揮する間合いに至るのは向こうの方が早いというのである。
実力以上にその相性の差が大きな枷となってクラスクを苦しめた。
大斧の一撃をかわし、避け、受け、流し、致命を避けながら必死に活路を求めるクラスク。
だがウッケ・ハヴシが振り切ったはずの大斧がいつの間にか逆方向からクラスクの首を狙い、地面に叩きつけさせたはずの相手の斧が即座に跳ね上がってこちらの顎を真下からかち割らんとしてくる。
それは圧倒的膂力と技術力あってこそできる攻防だった。
スキルも強力だが…それ以上にウッケ・ハヴシは単純に戦士として強いのである。
ぽたり、ぽたりと血潮が落ちる。
クラスクが致命傷を受ける代償として体中に受けた傷口から垂れ滴ったものだ。
その若さからは凡そあり得ぬほどのタフネスぶりを見せつけているクラスクは、それだけの出血をしながらもなおはっきりと意識を保っていた。
しかし…彼が一瞬でも足を留めたところには小さな血溜まりが生まれ、それが思わぬところで彼を危機に陥れた。
ズルッ…
(シマ…っ!)
自らが作った血泥に足を取られ、バランスを崩すクラスク。
そんなあからさまなミスを逃すような相手ではない。
ハヴシが一瞬で手首を返し、即座に胴を薙ぐような痛烈な一撃が飛んできた。
かわせない。
これは間に合わない。
クラスクは一瞬完全に観念して…
「クラスクさぁぁぁぁぁん! がんばってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
そして、次の瞬間3mほど横にいた。
「「「!!?」」」
これには流石のウッケ・ハヴシも驚嘆し、裁定者のゲヴィクルも目を疑った。
観衆のオークどもは一瞬の静寂の後どっと盛り上がって…
…そして、当のクラスク自身が一番驚いた。
(ナンダ?! 今ノハ何ダ!?)
ミエの声が届いたと思った途端、突然体が真横にかっ飛んでいた。
それは明らかに自分がやったことだ。
膝が、腿が、足首が、自らの肉体がそう訴えている。
だが、なんでそんなことができるのかがわからない。
ただ直感的に理解する。
今のはミエの声援が力をくれたものだ。
そして…今の動きはきっとあと1回だけできるはずだ…と。
そう、それはミエの声援によるものだった。
もっと言えば彼女の≪応援≫スキルの効果であった。
そして…つい先刻までは発現していなかった力である。
ミエのスキル≪応援(旦那様/クラスク)≫はユニークスキルであるがゆえにレベルが上がりにくい。
だが夫への応援に次ぐ応援を重ねたミエは、まさに今しがた、クラスクをハヴシの≪威伏≫から救った瞬間、そのスキルレベルを一段上げていた。
それによって得られた効果は…≪疑似スキル≫。
1日2回、対象(クラスク限定)が未修得の≪スキル≫1つを、応援の内容に合わせて一時的に修得済として扱える、という非常に強力な効果である。
無論制限は多い。
使用制限の1日2回だが、これは同じタイミングで重ね掛けすることはできない。
初期状態では持続時間も長くはないし、スキルにレベルがある場合レベル1としての効果しか発揮しない。
また修得可能なのは一般スキルのみであり、≪妖術≫や≪魔術修正≫などの特殊スキルは対象外だし、さらにそのスキルを修得するのに必要な前提条件…他のスキルや特定のステータス値、特定種族など…は全て満たしている必要がある。
だがそれらの制限を合わせてもなお、臨時とはいえ≪スキル≫自体を1つ獲得する、というメリットは非常に大きい。
クラスクが現在ミエの≪応援≫によって修得したのは≪刃避け≫と呼ばれる盗族などが好んで覚えるスキルである。
初期レベルにおいて、戦闘中における白兵武器攻撃への回避判定を2回だけ100%上昇させる、という驚異的なスキルだ。
厳密には100%といっても確実に回避に成功する能力ではない。あくまで回避力を100%上昇させるだけである。
現在クラスクはウッケ・ハヴシの≪威伏≫の効果を受けており、回避に大デバフがかかっている。
そのためたとえこの効果を使用したとしても絶対回避に成功する…という状態ではないが、それでもかなり確度の高い回避手段を手にしたと言えるだろう。
これに対抗するには≪必中≫スキルなどでそもそも対象の回避判定自体を無視するか、あるいは魔導術の<石化>などで対象の動き自体を完全に封じてしまう必要がある。
強力なスキルゆえに当然条件は厳しく、前提として非常に高い敏捷度が要求される。
盗族や野伏でもなければなかなかその条件は満たせない。
…が、今のクラスクならば可能である。
これより前の、ハヴシ族長の≪威伏≫に対抗するためにミエが叫んだ≪応援≫が、一時的にだが彼の敏捷度を格段に高めており、一時的に≪刃避け≫スキルの前提条件を満たしていたのである。
(ナンダア…今ノハ…?)
族長ウッケ・ハヴシは怪訝そうに眉を顰めた。
それまでのクラスクの動きは、若造にしては驚くほどに優れたものではあったが、ウッケ・ハヴシがこれまで戦った歴戦の中では何度か見た程度のものだった。
そして彼らは皆ハヴシの斧の前に沈んでいる。
だから今回も余裕を以て勝ち切ることができる…そのはずだった。
だが今の動きは完全に予想外のものだった。
ウッケ・ハヴシは用心深く、それの正体を見切るまでは迂闊には攻撃しない。
だが…
ハヴシにとって間合いの利は完全に自分側にある。
若造の必殺の間合いはこちらの斧をかわして突っ込んだ先…だがそれ以上こちらに近づけば逆に向こうの斧の威力は十全に発揮されない。
もし先程の動きが攻撃に転用できるものなら、さっきの一撃でこちらに有効打を与えられたはずだ。
だがそうはしなかった。
つまりあれは回避専用の動きなのだ。
後ろに逃げるにせよ左右に避けるにせよ間合いを外してくれるならこちらとして困ることはない。
間合いの利を守ったまま攻撃を続ければいいだけのことなのだから。
つまりあの動きをした結果変わるのは仕留めるまでにかかる時間…それだけである。
ウッケ・ハヴシはそう見切ると、唇を歪めて大斧を構え直した。
決着の時は、そう遠くない。
だが…戦いの趨勢は、未だ見えていなかった。