第833話 決戦の時
クラスクは遊撃部隊の一員に組み込まれ、冒険者の一団の中で待機していた。
城主代行から軍の指揮に回らぬかと打診を受けたが、それを丁寧に固辞した上でのことだ。
何せ自分の知らぬ軍隊である。
突然指揮官が変われば彼らも混乱するだろうし、オーク族に色々命令されることに難色を示す者もいるだろう。
騎士達の多くは位が高い(そしていささかプライドも高い)貴族階級出身の者達だからだ。
二、三日も時間があればまた話は違ったろう。
それだけの時間があれば兵士達や騎士達と話し込み打ち解けて、彼らを自分の手足のように動かせる自信がクラスクにはあった。
当人には無自覚だが、まさに≪カリスマ≫の為せる業である。
だが今は一刻も時間が惜しい。
こうしている間にも城を取り囲んでいる魔族どもはそこに瘴気地を生み出さんとしている。
そうなれば彼らを殺す…いや滅ぼす算段がほとんどなくなってしまうのだ。
つい先日まではすぐにでも援軍が到着すると首を長くして待っていたけれど、それはクラスク達の報告によって虚偽誤報であることが確認された。
魔族どもの偽情報に騙されて、来もしない援軍をずっと待っていたことになる。
これ以上城に閉じこもっていたらまさに魔族どもの思う壺だ。
ゆえに出撃の一手しかないのである。
「…………………………」
ただ、クラスクは黙考する。
本当にそれでいいのか? と。
彼らの穴を指摘したのはクラスクとネッカだ。
二人の意見があったからこそ城代ファーワムツは出撃を決めたのだ。
そのクラスクが出撃に疑問を持つとはどういう事だろう。
(連中ノ目的ハクラスク市ダッタ)
考える。
考える。
凡そオーク族とは最も縁遠い静謐な心で考える。
常に冷静沈着だから、というわけでは決してない。
クラスク市には妻たちがいる。
特にミエが。
他の嫁と違って戦闘能力皆無のミエがあの街にはいるのである。
その街が魔族どもに襲われている。
通信ができぬため実際のところはわからぬが、そうである可能性が高い、
それを考えた時、クラスクははらわたが煮えくり返るほどに怒りを覚えた。
思考が明滅し、正気が保てなくなり、ところかまわず暴れ出しそうになりそうだった。
だがそれは許されぬ。
一介のオークならいざ知らず、クラスクの立場上それは許されぬ。
そんなことをしてしまえば今日まで積み上げてきたクラスク市の信用とイメージを崩壊させてしまう。
だからクラスクは己の感情を必死に抑制し、抑えに抑えて、どうにかこうにか己の行動や思索と切り離すことに成功した。
いまもって彼は怒っている。
怒り狂ったままだ。
だがそれは彼の思索を乱さない。
太守として街を治めている内に、彼はそういう技術を身に着けていた。
為政者としての≪スキル≫である。
それはまあ、周囲がオークらしからぬと感じるのも当然だろう。
ともあれクラスクは考える。
魔族どもの目的はクラスク市で、そのために自分をこのドルムへと釣り出した。
魔族どもの罠にまんまとはまってしまったというわけだ。
ネッカもついでに来てしまったが、これは向こうの目論見通りではあっても計算通りではあるまい。
そうクラスクは考える。
クラスク単独では危険すぎるこの突入行。
釣り出したついでにクラスクを討ちとれるならそれに越したことはない。
だからそうらなぬようクラスク市側としてはクラスクに強力なお供を付ける。
魔族どもとしては正直誰でもよかったのだろう。
クラスクが連れてくる候補としてネッカ、キャス、イエタあたりの術師が上げられるが、その誰が来てくれても彼らとしては問題ないのだ。
誰であってもクラスク市の防衛力が低下することに変わりはないのだから。
問題はその先だ。
クラスク市にわざわざ報せなければ、ドルムの周辺は近いうちに瘴気地となり、ドルムは落ちていただろう。
そうなれば魔族どもはそこから南、クラスク市を一斉に襲撃し、エルフ達が住まう暗がりの森…エルフ達は豊穣の森と呼んでいるが…により国の中央を分断されているアルザス王国の西半分を制圧するつもりだったはずだ。
そこに、クラスクは違和感を覚える。
なぜそれを待てなかった?
わざわざ防衛都市ドルムへの監視を手薄にしてまでクラスク市を先に攻撃する意図がよくわからない。
情報戦で圧勝していた魔族どもは時間さえかければ確実にこのドルムを陥落できたはずだ。
それをわざわざクラスク市に報せたりするからこうして人対魔族の決戦なんてものが発生する。
連中は瘴気地の外では死んだら死にっ放し。
つまりこんな瘴気が満ちてもいない土地で徒に戦って死にたくなんてないはずなのだ。
ならばそんなリスクを冒してまでクラスク市を先に攻める理由はなんだ?
そこが今回の戦いの鍵になる気がする…クラスクはそんな結論に至る。
「なあなあ、アンタ、オークの冒険者たあ珍しいね」
と、そこまで考えたところでその思考は中断された。
周囲の冒険者たちが話しかけてきたからだ。
「……ソウダ」
「オーク……やっぱりオークだよな? ハーフオークじゃないよな?」
「ホントだ。よく見たらガチオークじゃん」
「へー、珍しいな」
「つか素のオークが冒険者稼業やってんの俺初めて見た」
「俺もだ」
「俺もー」
彼らはクラスクの素性を知らぬ。
だが遊撃部隊に組み込まれている以上冒険者なのだろうと勝手に判断しているだけだ。
「そもそも共通語話せるオーク自体俺初めて見たよ」
「俺も俺も! へーいるとこにはいるもんだなあ!」
彼らの反応にクラスクは少し驚いた。
物珍しがってはいても、彼らにオーク族であることに偏見の目や敵意が殆どない。
彼自身は冒険者の真似事をしたのは一度きりだったけれど、思ったより興味深い連中なのかもしれぬ、と己の内のイメージを更新しておく。
「つかアンタのお仲間はどこだい? オーク族を仲間にするなんて物好き…いや酔狂な連中は」
「それ言い直してねえだろ!」
どっと笑う周囲の冒険者ども。
「そういやどうだな。そっちはいつもの面子だし、俺らのパーティーってわけでもねえし…」
「知らぬ間にオーク族が仲間になっているというのはなかなかにぞっとせんな」
戦士風の男の背後で聖職者らしき中年男性が皮肉めいた口をきく。
「そうダナ。俺モイつの間にカ増えテタラ怖イ。イつノ間にカ減っテルノト同じくらい怖イ」
「ハハッ! 確かにな!」
「そうかあ。ちゃんと役に立つなら増えてくれても構わねえな俺は。減るよかよっぽどマシだ」
「そいつも違いねえ!」
再びどっと湧く冒険者ども。
「仲間……アー、俺のパーティ今ここイナイ。俺今独り」
「そうなのか。でどんなとこ廻ってるんだ? 屋外か? 迷宮か?」
「……直近ダト迷宮ダナ」
直近というか、そもそも一度しかパーティーで行動したことはないのだが。
「迷宮探索かー。じゃあ獲物は? 武勇伝教えろよ。オークなんだし強いんだろ?」
「アー……一番強かったノハ……大トカゲ……ジャナクテ、ドラゴン?」
ざわり、と周囲の冒険者どもがざわめき、目の色を変えた。
「マジカ。倒したのか」
「倒シタ」
「じゃあ財宝ざっくざくか」
「…ソウダナ。ザックザクダッタ」
「「おお~~~~」」
どよめく冒険者達。
だが眉唾だと疑っている風ではない。
「言われてみると装備もお洒落だぞコイツ」
「よく見りゃグローブも新調してんな」
「オークなのに胸元に羽飾りなんてつけやがって…」
「似合ウカ?」
「なんかめっちゃ似合ってるのがかえってムカつくー!」
実際ドルムに雇われている冒険者たちの中には若干だが竜殺しがいる。
だから彼らはできる実力がある者が吐く大言壮語は疑わない。
そしてクラスクはどうやらそれが可能な人物と目利きされたようだ。
「じゃあお前こんんあとこでわざわざ命かける必要ねーじゃん! しばらく遊んで暮らせるだろ!?」
「アー……財宝ザックザクダガ俺の自由ナラナイ」
「あー…」
顔を見合わせて、なんとも同情に満ちた表情でクラスクの方に向き直る一同。
「自由にならないかー」
「ナラナイ」
「それは残念だったなー」
「仕方ナイ。金はチャント使っタ方がイイ」
「お前……お前だって立派に権利あるだろー!? ドラゴン退治したんだぞー!?」
どうやら彼らはクラスクがオークだからその低い知性で騙されてろくな分け前をもらえなかったと解釈したようだ。
実際のところは赤竜殺しで手にした財貨はクラスク市の財源となってしまったためクラスク個人の自由にならぬ、という意味なのだが、クラスクは特に訂正しないことにした。
「ま、そのあたりの話はあとで詳しく聞かせろよ」
「わかっタ。ナラお互イ生き残らナイトナ」
「だな」
「違えねえ」
近くの冒険者たちとニヤリと笑って頷き交わし……クラスクは、己の愛斧を構え直した。
いざ、出撃の太鼓が鳴り響く。