第827話 教会の中で
「そこの角魔族! オークの兵隊程度では上に報告する功績がちと足りんのではないか?」
サフィナを横に放り出して剣を抜き放ち、足元に風の精霊を纏わせ一気に加速しながら己に注意を向けさせる。
「私はクラスク市軍事顧問キャスバスィ! 貴様が成り上がるなら十分な標的だろう!」
名乗りを上げながら、口の中で呪文の詠唱をする。
相手に当てるためのものではない。
彼女の魔力程度では角魔族の魔術結界をまず貫通できぬからだ。
角魔族が振り向くと同時にじゃらん、という音がして棘付きの鎖が最短距離でキャスを襲った。
当たれば眩暈と立ち眩みを引き起こし、敵の目の前で棒立ちとなってしまう呪いの鎖分銅である。
それを身を沈めぎりぎり頭上でかわすキャス。
一瞬自分がかわしたらそのまま背後のサフィナをそのまま狙う算段だったと察したがそこまで気を回す余裕がない。
背後で「とー」という声が聞こえたのが無事な証と信じそのまま加速する。
「風華斬裂!」
次の瞬間、キャスは目を見開いて己の切り札を解き放った。
それも相手にではなく、己の真横に。
そして次の瞬間、キャスのすぐ脇の空間を直線状の電光が貫く。
角魔族が鎖を放ったのとは逆の手の指先から放った〈電撃〉の妖術だ。
これは本来であれば対象をまっすぐ貫き回避はできないはずなのだが、キャスはそれが稲妻の性質を有している事を利用し己の横に真空の通路を生み出してその軌道を逸らしたのである。
かつて赤竜イクスク・ヴェクヲクスの雷属性へと変換された≪竜の吐息≫相手に放ったのと同じ手口だ。
それには角魔族も流石に意表を突かれたようで、半歩下がって腰を落とし、キャスの攻撃に備える。
巨人が如き長身とリーチの長い鎖分銅を操る自在に事で、角魔族は圧倒的な攻撃範囲を有している。
そして圧倒的な射程距離から繰り出す分銅に流し込んだ魔力で撃ち当てた相手を棒立ちにし、近寄らせる前に確実に仕留める。
これが彼らの基本戦術だ。
つまり相手より遠くから、そして相手より先に一方的に攻撃を当て、その付随効果によって相手の動きを封じ、反撃を受けることなく一方的に嬲り殺すわけだ。
狂暴そうな見た目に反して角魔族の戦術は実に合理的で無駄がない。
だが扱っているのが鎖である以上、放った攻撃は一度引き戻さねば二撃目が打てぬ。
普段であればその鎖の攻撃の速さと妖術の連携で近寄らせず一方的にあしらえるはずなのだが、キャス相手では流石にそうはいかなかったようだ。
引き戻される鎖より早く、一気に角魔族へと肉薄し、愛剣の刃を突き立てるキャス。
だがまるで鉄の壁に刃を打ち込んだような衝撃が走り、手が痺れて武器を取り落としそうになる。
すんでのところでその衝撃に耐えたキャスは、そのまま彼の横を抜け回り込むようにして角魔族とイエタの間に割って入った。
「イエタ! 無事か!」
「は、はい! キャスバスィ様!」
「キャス姉様と呼べ!」
イエタが両手を合わせて答え、キャスが軽口を返す。
とりあえず教会内での最低限の目標は達成することができたようだ。
おそらくこれまで小型の結界術を張って身を護っていたのだろう。
聖職者が有する対邪悪用の強力なものだ。
けれどそれでは身を護ることはできても彼女はこの場から動く事ができぬ。
おそらく彼女の背後にある杯は聖杯だろう。
魔族達の正体を看破し姿を消した者達を露見させるため彼女が用いた、町全体を覆わんとするする大結界術。
そのために聖杯の莫大な魔力が必要だったのだ。
あの結界の起点は教会かイエタかとも思ったが、もしやしたらこの聖杯かもしれぬ。
もし聖杯だとしたら術の維持のためあの場所から動かせないやもしれぬ。
そうでなくとも神から与えられた聖遺物である。
聖職者としてイエタはこれを置き去りにはできぬだろう。
「となると、つまり……」
キャスの役目は決まった。
魔族は姿を変える。
人の姿に化けられる者も少なくない。
さらに今回の攻め手の中には姿を消し完全に透明化できる魔族も多数混じっている。
この状態でイエタの張った結界が消されれば、なんとか伍して渡り合っている今の戦況が完全に崩壊しかねない。
つまりクラスク市側としてはこの結界は断固死守。
それがこの戦いの最低の前提条件となる。
「なんとしても妹嫁を守らなければならぬ、というわけか。わかりやすい」
腰を落とし、愛剣を構え、冷や汗を一滴こぼしながらキャスが角魔族の前に立ちはだかった。
相手があらかじめわかっていれば対策を打てたやも知れぬ。
万全に対策を練っていれば角魔族相手だろうとなんとか渡り合える成算がキャスにはあった。
だが今はその暇がない。
「|そして、彼の者の手にする刃に聖なる祝福を《オワード・タフ・リス・ットード・ウニフゥメ》」
キャスの背後から声が響く。
イエタの唱える神聖語である。
「〈聖なる刃〉!」
それと同時にキャスの手にした剣が白い光を放ちはじめる。
「! そうか、これは有難い!」
イエタ自身はその場から動けない。
己自身と聖杯を護る必要があるからだ。
また彼女は攻め手にも欠けていた。
外にいる他の下級魔族どもとは隔絶した圧倒的魔術結界を有する角魔族相手に有効な攻撃呪文もなかったのだろう。
邪や魔、そして悪属性は聖職者の浄化の対象である。
だからもしやしたら彼女も魔術結界を無視するような強力な対魔族呪文を有しているのかもしれない。
また彼女は高位聖職者であり、神の使途を召喚できるだけの実力があるはずだ。
簡単に言えば天使などを呼び出し協力を要請することが可能な域に達しているはずである。
けれどイエタは現状それらを行使できていない。
おそらく〈本性露見〉を唱えた際根こそぎ奪われた魔力が回復しておらず、またそれらを唱えるための条件も整っていないのだ。
つまり彼女一人では強力な角魔族相手に無力だったわけだ。
だが聖職者である。
その本領は単体での戦闘力ではなく補助と治療と回復だ。
彼女がこの短い間に回復した僅かな魔力でも、補助魔術で武器を強化する程度は可能だったわけだ。
「イエタ! 多少無茶をするぞ!」
「はい!」
キャスはじり、と腰を落とし、そのまま一気に角魔族めがけ突進する。
じゃらんと鳴った鎖分銅がキャスの眉間目掛けて放たれた。
微妙に角度がつけてある。
かわせばイエタに攻撃が当たる方向だ。
だがキャスは気にしない。
いや気にはなるが気にしないことにした。
この街で鍛えたオーク兵四人がかりで挑もうと、角魔族の圧倒的な強さの前ではほぼ無力だっただろう。
むしろ彼らが必死に護った上でイエタが攻撃にさらされていたことは間違いない。
だがそれでもイエタは無事だった。
彼女にはこの強力な魔族の攻撃をいなすなんらかの手段があったのだ。
『常に』でも『完全に』でもないのだろう。
その証拠はキャスが来た時の彼女の表情だ。
明らかに安堵の色があった。
相手の攻撃を完全にシャットアウトできるのならああいう表情は浮かべまい。
つまり防ぐ手立てはあるが万全ではないのだ。
だがキャスが前線に立って攻撃を引き受けてくれるのならまだどうにかできる余地がある、といったところだろうか。
「責任重大だ、な……っ!」
鎖をかわした直後、真上から尻尾が降って来る。
先端に鉤爪のようなものがついており、それを束ねて相手を貫くこともそれを開いて相手を掴み持ち上げる事もできる(そしておそらくそのまま両腕で掴まれて引き裂かれる)危険な尾だ。
それを体勢を低く、低く、斜め前方に転がるように交わしたキャスは、床の近くで素早く懐から何かの小瓶を取り出し親指でその蓋を跳ね飛ばす。
そして手早く己の剣の光る刃にそれを振りかけ、そのまま瓶を投げ捨てた。
ぶうん。
角魔族の太い脚がキャスの目の前にあった。
その足先の鉤爪に掠っただけでもキャスの肩が抉れそうだ。
片足で地面を蹴り強引に方向転換。
避けるよりむしろ相手に踏み込むようにして角魔族の目の前で一気に伸びあがる。
母の形見の愛剣の鋭い一撃。
避け切れなかった角魔族の胸元に、その刃の斬禍が走った。
「~~~~ッ!?」
角魔族に僅かな動揺が走る。
物理障壁を貫通された。
さらに傷が塞がらぬ。
つまり己の目の前にいる相手の手にした刃には彼の物理障壁の無効条件である『銀の武器であり、魔法の武器であり、かつ善の武器である』が満たされている事になる。
…キャスが手にしている愛剣は優秀な曰くを持ってはいるが特段悪を討つための聖別された武器ではない。
ただの魔法の武器である。
だが先ほどイエタが唱えた〈聖なる刃〉の呪文によって彼女の愛剣には善属性と祝福属性が付与された。
それに加えてキャスが素早く武器に塗布したもの……あれはノームなどが作成する『錬金術の小瓶』である。
簡単に言えば錬金術によって作成された『瓶に保存された状態で液状の銀』であり、それを武器などに塗布することで『一時的にその武器を銀製であるかの如く扱える』というものだ。
様々なタイプの物理障壁が存在するこの世界に於いては、こうした『一時的に武器に特定の素材属性を付与する』錬金術の需要があるのである。
「さて……どうやらこちらの攻撃も貴様に届くようだが……」
ぎろりと睨む角魔族相手に涼しい顔でハッタリをかけるキャス。
『錬金術の銀』は万能ではない。
瓶の中では液状のそれは、だが外気に触れるとすぐに乾き気化して失われてしまう。
つまりひと瓶に付き効果は数度。
数回斬りつければその刃から銀の特性は失われ、ただの武器に戻ってしまう。
言うなればその場しのぎのような効果に過ぎぬ。
だがそれでいい。
こちらに相手を殺傷せしめる力がある事を示せば、角魔族はキャスを看過できぬ。
魔力を損耗し疲労困憊のイエタより、治せぬ手傷を与えてくるキャスを優先して殺そうとするだろう。
イエタを護るためにはそれはどうしても必要な行程だったのだ。
「さて……一方的な蹂躙ではない『決闘』を、はじめさせてもらうとしようか!」