第821話 魔族地上部隊
地上を進軍する魔族どもには羽がない。
下級魔族の中でも飛行能力を持たぬ魔族どもなのだ。
地上軍の魔族は大きく分けて三種。
うち二種は人型、一種は非人型である。
…少なくとも表面上はそう見える。
一種は人型……というがその中では顔の比重がやや大きい。
有体に言えば顔がとてもでかい。
背丈は人間族と大差なく、首から下の骨格もそれに近いが、その上に乗っている……というか垂れさがっている顔の大きさが実に身長の半分ほどもある。
顎髭を蓄えた、どこか戯画化したようなその顔面を前に突き出し、二股に分かれた槍を構えた彼らが魔族軍の前衛を務めている。
これを槍魔族と呼ぶ。
一見するとコミカルな見た目だが、その実態はとんでもなく厄介な難敵である。
まずその槍。
槍魔族が手にした槍は呪われており、これで受けた傷は自然治癒しなくなる。
それどころかその呪いには治療呪文の逆位相の力が込められており、低位の回復呪文などで傷を治してもその傷口からみるみる血が噴き出て回復効果を無効にしてしまうという恐るべき槍なのだ。
傷を治療しようと思ったら、まず呪文に寄らぬ手当によってしっかりと傷口を塞ぎ、その上で回復呪文を用いなければならぬ。
当然ながら戦場に於いてそこまでする余裕などなく、つまり戦闘中は魔術で簡単には治療できぬ出血とダメージを延々と受け続けることになるわけだ。
ちなみに槍魔族以外がこの槍を持ってもその効果は得られない。
さらに使い手である彼ら自身も強敵で、彼らが自然宿主である病をまき散らし、彼ら自身はぴんぴんしているのに彼らと戦った連中は翌日から次々に倒れ悶え苦しむ。
この病気によるダメージもまた自然治癒で治ることなく、魔術的な〈病除染〉などを唱えた上で魔力で上回らねば治療ができぬ。
その上で槍魔族どもは魔族としては珍しく自身が戦闘狂であり、理性を失い暴れまわる狂戦士でもある。
己が傷つくことも恐れず敵陣に突っ込み、治らぬ傷と病をまき散らす様は己の身が大事な魔族どもの中ではだいぶ特異であり、それだけに警戒が必要だ。
もう一方の魔族はその姿が……わからない。
とは言っても別に姿を消しているというわけではない。
全員が全く同じ金属製の鎧を纏い、頭部もフルフェイスのヘルメットで覆っており、魔族としての姿が全く分からないのだ。
これをその見た目から鎧魔族と呼ぶ。
鎧魔族は我先にと先陣を切らんとしている槍魔族どもと比べて隊列をしっかり組んでおり、精神感応の能力もあってその行軍に一矢の乱れもない。
彼らは魔族の中でも格別に集団戦を得意としており、集団で行動する事に特化した妖術を幾つも備えている。
例えば集団でその鎧を一斉に振動させることで不快な高周波を発し、術師の詠唱を阻害する能力。
複数で同時に組んで戦闘を行う事で攻撃や防御に補正を得る能力。
複数で同時に突進することにより相手を吹き飛ばし強引に移動させる能力。
これらの能力は全てそれらの行動を同時に取らんとする彼らの数が増えれば増えるほどその効果を増大させる。
まさに集団戦のエキスパートと呼んでも差し支えない魔族どもなのだ。
その上彼らは魔族としての基本能力や耐性に加え決して眠ることのない≪不眠≫、麻痺や眩暈、立ち眩みなどを起こさぬ≪朦朧化耐性≫、直接死をも足らすあらゆる効果を受け付けぬ≪即死耐性≫と言った行動不能に至りかねぬ状態に対する多くの完全耐性を有するため、魔術などによる搦め手が非常に通じにくい。
いわば間接的に彼らを仕留めようとする行為はほぼ封殺され、魔族ゆえ魔術結界に護られた彼らを遠方から攻撃魔術のみで仕留める事も難しく、硬い鎧と物理障壁に護られた彼らを弓などの射撃武器で倒し切ることも困難なため、結果接近してひたすら物理的に殴るより他ない。
集団戦を最も得意とする相手に集団で挑むより他ないのである。
戦えば必ず血みどろの消耗戦を強いられる。
そういう意味で魔族の中でも特に注意すべき一団、それが鎧魔族なのだ。
そうした連中が、槍魔族の後方をゆっくりと行軍している。
魔族どもは皆等しく邪悪であり、いかにも身勝手で悪どそうな槍魔族も、一見すると生真面目で高潔そうに見える鎧魔族も、悪であるという点では一致している。
悪であるがゆえに彼らは非常に仲が悪く、特に種が異なるな槍魔族と鎧魔族は、共通する敵がいなければ互いに殺し合ってもいいというほど仲が悪い。
だが彼らには大いなる目的があって、その目的の為なら大同を取り小異を捨てる覚悟があるようだ。
互いになんとも嫌そうな顔(といってもと鎧魔族の顔はヘルムの内側で見えないが)を浮かべながら、それでも団結して進軍している。
さて最後の一種、それが彼らの左右に広がりのたりのたりと畑の上を進む奇怪なゼリー状の魔族どもだ。
これを粘魔族と呼ぶ。
数は彼らが一番多い。
それこそ圧倒的に多い。
見た目はちょうど人間が高熱でどろどろに融解した時、その溶けかかった中途のような、そんなゼラチン状の死体。
それが彼らの外観である。
互いにいがみ合う槍魔族と鎧魔族だが、なぜか粘魔族については見ようともしていない。
特に意識する程の事もない相手と言う事だろうか。
実は粘魔族にはそもそも精神と知性がほとんどない。
蝙蝠獅子どもと異なりれっきとした魔族の一種ではあるのだが、思考を持たずただ周囲の魔族の精神感応によって操られ動く奴隷や駒のような存在なのである。
他の魔族どもが気にも留めないのは当然で、彼らからすれば粘魔族は戦場の人数合わせだったり突破口を開きたいときのいくらでも投入できる死兵であり、そしていざ撤退する時に自分達を護らせる便利な肉壁に過ぎないのだ。
なにせ彼ら粘魔族の階級は最下級。
そして生まれたばかりの最初期の魔族でもある。
こんなでも魔族には違いないので物理障壁を備えてこそいるがその効果は弱く、治癒能力も弱いため戦闘中にダメージをすぐに完治などという事も難しい。
つまり少々タフで倒しにくいだけで殴り続ければ死ぬ。
魔族の中でも唯一人型生物の兵士の力がそのままものをいう相手なのだ。
そんな最底辺の存在であっても他の魔族どもに使い潰される中、周りの連中より功を上げ生き延びる者がいる。
そうした連中はやがて昇格し小鬼などに成り上がる。
そんな(魔族としては)か弱い存在が必要なのか、と言われると、実は制度的にとてもとても重要な存在だ。
なにせ魔族は昇進によって種族を変え、より強力な魔族へと種を変える。
だが功を上げて昇進すると言う事は失策を犯せば降格されると言う事でもある。
そして大きな失策を犯した際の降格先がこの粘魔族なのだ。
それは嫌だろう。
どの魔族だって嫌なはずだ。
ろくに思考もできぬねばねばの原形質にされて、他の魔族どものおもちゃにされて命を適当に使い潰されるだなんてまっぴらごめんである。
どんな魔族だってそう思うに決まっている。
特に上司が降格して粘魔族にでも成り下がったのならそれまでいびり倒していた下級魔族などが必ずその粘魔族を見つけ出し、散々いたぶった末に自殺行為のような任務を与えて殺してしまうだろう。
だから魔族どもはそうはならぬよう、必死に立ち回るのだ。
「七番! 限定操作権、受諾!」
「六番! 限定操作権、受諾さー」
城の四方で魔導語が響き、暫くして地響きがそれに続いた。
城壁の一部がパージされ、ぞれぞれ北西、北東、南西、南東方面へとゆっくり移動を始める。
やがれそれは幻術の偽装を解き、巨大な人型を象った石像となって大地を震わせながら歩き始めた。
石の人造兵である。
北東と南東方面へと歩き出した人造兵は途中で向きを変え、東方向へと進路を取る。
一方北西と南西方面へと歩き出した方は西方向へと舵を切った。
それぞれ地上に湧いて出た魔族どもと対峙するためである。
城に潜入し侵略を完遂薦とする魔族ども。
そはさせじと切り札の人造兵を繰り出し冒険者達を展開させるクラスク市。
城の外で、街の趨勢のかかった戦いが始まった。