第817話 ≪再生≫
「ちょ……きゃっ!?」
「なに……わっ!?」
すってーんと転ぶシャル。
ずるりと足を滑らせ尻もちをつくエィレ。
二人はほぼ同時に自分達の足に絡みついているのが長い長い帯であることに気づいた、
そしてその帯の伸びた先が……先ほどカーペットのように平面となり潰された魔族に続いていることも。
「そんな……! 魔族は死んだら復活できないんじゃ……?」
魔族達が有する高速の回復能力。
その正体は超高速で行われる自然治癒である。
人型生物の傷が安静に療養しているとゆっくり塞がり癒えていくように、魔族の傷もまた放置しているだけで治療されてゆく。
ただその速度が目で見てわかるほど尋常でなく早い、ということだ。
非情に恐ろしい能力である一方、それはあくまで自然治癒能力の延長でしかないため死んでしまえば働くことはない。
彼らは強力な物理障壁や魔術結界を備えておりほとんどの攻撃をシャットアウトできるがゆえ不死身が如く振舞えているけれど、瘴気の外での彼らの護りは決して万全でも万能でもないのである。
ことに相手が魔族だと承知した上で対策を取り挑んでくる場合は猶更だ。
だからこそ魔族達は慎重に慎重に戦うのである。
だというのに先ほどヴィラから明らかに致死ダメージを喰らい潰されひしゃげたはずのその魔族は、上体を起こしながら全身に巻き付けていた帯を操りエィレとシャルの足を絡めとっていた。
その傷がエィレの素人目にもわかるレベルで高速で塞がってゆく。
…実のところ帯魔族と呼ばれる彼らは魔族の中でも特殊な物理障壁を有しており、それを無効化する武器……『善属性の武器』や『銀製でかつ魔法の武器』などで攻撃されない限りその傷を≪再生≫することができるのだ。
≪再生≫と≪高速治癒≫は、違う。
どちらも受けた傷を回復させるという意味では一見変わらないように見える。
だが両者には決定的な違いがある。
再生能力を有する場合、その再生能力を阻害する攻撃でない限り、対象を殺すことができないのだ。
もちろんダメージは蓄積される。
だから頭部を殴られれば気絶もするし出血多量で昏倒もする、
だが≪再生≫不能なダメージでない限りそれらは対象を死に至らしめない。
喩えナイフで相手の身体を滅多刺しにしようと、手足や首を斬り落と、心臓を貫かれようと、である。
そして≪再生≫能力が傷を治療し続ける限り、彼らはどんなダメージを負ってもやがて立ち上がり、体力の続く限りまた戦い続けることができるのだ。
炎や酸で傷口を焼かない限り無限に再生する戦鬼や、聖水などを振りかけない限り傷口が瞬く間に塞がる吸血鬼などがその典型である。
また通常の魔族の治癒能力はある程度以上の欠損は治らない。
例えば手足が千切れた場合など、それは彼らの治癒能力によって元に戻す事はできないのだ。
不運にも手足を失うような大怪我を負った事がある者でなければあまり知ることはないのかもしれないけれど、腕などが切断され順調に自然治癒した場合、切断面を皮膚が覆うようにして塞ぐ。
切れた腕が生えてくるわけではないのである。
まあこの世界の場合魔術の治療なくば雑菌などがはびこってそんな奇麗な自然治癒はまず望めないだろうが。
だが≪再生≫能力の場合は違う。
≪再生≫の場合千切れた手足がそれこそにょっきりとまた生えてくるのだ。
ともあれその帯魔族はヴィラの攻撃により致死量のダメージを受けたように見えていたけれど、実際にはそれは彼を死に誘う傷ではなく、一見即死したと錯覚するレベルダメージを受けながらも時間経過と共にここまで回復していたわけだ。
実に恐ろしい相手と言えるだろう。
「ちょっとヴィラ! なにやってんの! あいつ起きてるわわ、よ……!?」
そう言いかけたシャルがびっくりして目を丸くした。
彼女の隣、イエタの秘術により正体を露わにした巨人族のヴィラ(おかげでシャルは大きく見上げなければならなかった)が、怯え震えおどおどしながらまるで逃げ場でも探しているかのようにあたりを不安げにきょろきょろ見回しているのである。
「ちょっとあんたなにビビってんのよー!?」
「違う! シャル! たぶん妖術!!」
「ええー!?」
シャルのツッコミにエィレが素早くフォローを入れて、シャルが愕然とした顔で振り返った。
そう、それは身体に巻き付けた帯を自在に操る帯魔族のもう一つの妖術、≪不安の視線≫である。
≪不安の視線≫は帯魔族が睨んだ対象に発動させることができる。
不安や怯えが心の底から次々と湧き上がり、集中力と落ち着きを奪われた相手は著しく精彩を欠くようになる。
戦場などで使用されるとかなり厄介な能力だ。
「どどどどーする?!」
「どうするって言っても……!」
足元から帯がまるで蛇のようにのたくいながら彼女たちの身体に巻き付いてゆく。
足が締め付けられ移動ができぬ。
手が縛られてシャルの魔術も使えぬ。
そしてこんな時の頼みの綱である巨人族のヴィラは、その最大の欠点である精神攻撃を喰らって現状ほぼ戦力外となっている。
「となると……」
「これは……」
二人は互いに顔を見合わせ、真っ青になりながら呟いた。
「「相当不味い状況じゃ……?!」」
二人がそんな呟きを漏らしたちょうどその時……
「むんっ!」
掛け声とともに巨大な地響きが巻き起こり、近くの地面に小さなクレーターを成形しながら巨体の男が降って来た。
「大丈夫か! お主ら!」
「ユーアレニル!!」
「ユーーーー!!」
そう、隠れ里ルミクニの村長、食人鬼のユーアレニルである。
エィレは純粋な歓喜から、シャルはどこかそれ以外の感情を込めて、それぞれ彼の名を叫んだ。
「探したぞ! ふむ、察するまでもなくあまり親睦を深めている余裕はなさそうだな!」
己の拳を構え、ユーアレニルが叫ぶ。
「とりあえずそ奴を倒してからか!」
そして地面が陥没する程の強い踏み込みで一瞬にして間合いを詰めた。
「きゃっ!?」
「ちょっとなにすんむぎゅっ!」
帯魔族は帯に込めた魔力を強め、エィレとシャルをまるで操り人形のように蠢かし己の前へと運んだ。
勢いがついた二人は互いに強くぶつかり、小さな悲鳴を上げる。
突進してくる巨人族、その食人鬼に対し、肉の壁を造り盾としたのだ。
そしてそれと同時に己の腕と足に巻き付いていた帯を操り前方に射出、二人を遮蔽にして直前までその攻撃を隠蔽、接近したユーアレニルの目の前でエィレとシャルの左右と上から同時に角度を変え襲わせた。
だが……
「おっと危ない」
「!?」
ユーアレニルはその攻撃をまるで舞うように軽やかにかわしてゆく。
十分ひきつけた後皮一枚の距離でその帯を避けた彼は、己に巻き付く前にどずんと足でそれを踏んづけた。
ただの踏み付けではない。
巨人族のそれである。
その踏みつけにより己の身体が引っ張られ、帯魔族はたたらを踏むように前に一歩、二歩とよろめいた。
「乾坤一擲! 詠唱破棄! 〈属性剣〉!」
身振りも手ぶりもなく、ただ一喝しただけ。
だというのになぜかユーアレニルの拳は銀に輝いていた。
そして体勢を崩しながら己の前へとのこのこやってきたその魔族に、渾身の正拳突きをお見舞いする。
帯魔族は咄嗟に手近な包帯を己に巻き付け身の護りとした。
その変幻自在の帯は攻撃にも捕縛にも使えるだけでなく防御にも用いることができ、帯で全身を纏った帯魔族は金属製の鎧を着用したかのような堅牢な防御力を誇るのだ。
……が。
「ッ!?」
ユーアレニルの拳は、彼の鋼鉄で編まれたかのような帯をやすやすと引き裂いて、その拳を彼に届かせた。
悲鳴が、上がった。
ユーアレニルの拳が帯魔族の胴体を貫いたのだ。
先刻までとは打って変わって激痛にのたうち回る帯魔族。
それは彼にある確信を抱かせた。
帯がやすやすと引き裂かれたこと。
激痛が走り傷が≪再生≫しないこと。
それは……つまり。
ただの拳にすぎぬその食人鬼の一撃が、彼の物理障壁を貫通した事に他ならないのだと。