第815話 避難誘導
「皆さーん! 魔族です! 魔族の襲来です!」
「とっとと避難しなさい! 西門の上から魔族が来てるわよ! ほら! のんびりしてる余裕ない! 上みなさい上ー!」
「まぞく! てき! まぞく! てき!」
エィレ、シャル、ヴィラの三人が口々にそう叫びながら避難を呼びかける。
未だ事情を把握していなかった者達も空を見上げようやくその異常さに気づいたようだ。
「ところでエィレ! これミエたちは気づいてるんだよね?」
「たぶん……ううん絶対気づいてるはず!」
「ならなんで拡声器で知らせないの!?」
走りながらシャルが抱いて当然の疑問を呈する。
「知らせてる……んだと思う! さっき遠くでなんか放送の音聞こえなかった?!」
「あ……そういえば聞こえた気がする! 遠すぎて何言ってるのかよくわかんなかったケド」
「まぞく! てき! まぞく! てき!」
エィレに言われたことを小走りでしばし考えたシャルは、ハッとなってぐりんと再びエィレの方に顔を向けた。
「じゃあもしかしてこれも魔族の仕業!?」
「わかんない。たぶん違うと思うけど……」
他の場所で何かしらの放送があった。
おそらく魔族襲来に関するものだろう。
中街の方から聞こえてくる微かな喧噪からもそれは察せられる。
つまり街としては魔族襲来を察して放送で呼びかけているはずなのだ。
だのに彼女たちのいる場所にはそれが届いていない。
ここは下クラスク西……すなわちクラスク市西部の下街で、未だ木造建築もあちこち建っている整備が遅れている場所のひとつだ。
だから拡声器の設置が追い付いていないのか、それとも設置はされていたけれど何らかの事故で断線し修復できていないのか。
現状では判断材料が少なすぎてよくわからない。
確かにシャルの言う通り魔族の計画である可能性も捨てきれない。
ただここは下街で、まだ街に慣れ切っていない者達、いわば新参者たちが住み暮らしている場所なのだ。
重要施設も少ないし、街の重要拠点に務めている者もほとんどいないはず。
つまり戦略的価値の低い場所である。
重要度の高い中街では無事注意喚起の放送が行われたのに、この下街では魔族より妨害される、というのは些か妙だ、
普通に考えたら逆ではないか。
それがエィレが少ない情報から出した推測である。
無論魔族は高度な知性を有する存在であり、エィレ達が及びもつかぬ何らかの深謀がある可能性は否定できないけれど。
「とにかくどんな理由でもこのあたりに警報が届いてないのは間違いないの! 今のとこ魔族が侵入してるのはこの西城壁からだけみたいだしこのあたりが一番危険なのは間違いないんだから!」
「たし」
「かに」
歩調を緩めて会話していた二人は再び足を速め、ヴィラの後に続く。
「おや、どうしたいアンタら」
「クェットナモさん!!」
いつのまにやら西部の深い場所まで来てしまっていたようだ。
クェットナモは娼婦である。
そう、このあたりは以前取材したこの街の娼館の前であった。
「大変なんです! 上! 魔族が!」
「へえ? 魔族? 魔族ってのはちゃんと下ついてんのかね。具合はどんなだろ」
「言ってる場合かー!」
好きだから娼婦をしているというクェットナモらしい素朴な疑問にシャルが思わずツッコミを入れる。
ちなみに魔族がより上位の魔族に成り上がる仕組みについては以前ネッカが説明した通りある程度推測で来ているのだが、その大元となる下級魔族がどうやって誕生しているのかは現在でも謎のままである。
ただ魔族の出世の特殊性から考えると同族同士が交配して同族が生まれると言うのは考えにくく、まず大量の下等魔族…それも小鬼以下の最下層、粘魔族などが大量発生する『仕組み』があるはずだ。
というかそもそも下級魔族どもの遺体を魔導師達が検分したが彼らには雌雄を示すものも性器のようなものも確認できなかったというから、おそらく男女の営みという行為自体彼らには不要のものなのだろう。
クェットナモには甚だ御不満なな結論だろうが。
「おおいアンタ、いっつも声かけてるのに無視してさ。今日こそ寄ってきなよ」
そんなクェットナモがいつも通りすがる不愛想な若者に声をかける。
エィレ達に注意喚起されたのに、しかも遠くの空を魔族どもが飛んでいるのを目にしていながら、である。
「す、すごい職業意識……」
「エィレあんたも感心してる場合かー! こいつどーみてもただのスキモノじゃん!」
「そよー。すきものー」
「そこは否定しなさいよー!!」
妙に息の合った漫才……もとい掛け合いが響き、客たちが乾いた笑いを漏らす。
「てゆーかアンタらも避難しなさいよ!」
「いやー……避難つってもどうせ家の中に引きこもりとかだろ?」
「だったらココで引きこもってても同じかなーって」
と娼館を指さす男ども。
要はほとぼりが冷めるまでどこかでじっとしていなければならないのなら娼館で美女とお楽しみをしておきたいというわけだ。
「すけべ」
「「「うへへへへへ…」」」
シャルにジト目でそう言われ、なぜか照れながら頭を掻く男ども。
人魚族のシャルはとにかく美しい。
とびっきりの美少女である。
娼館の前でそんな美しい女性に頬を赤らめながら上目遣いで睨みつけられ、そのうえ冷たい言葉まで吐かれようものなら、それはそれで男性と言うのは興奮できるものなのである。
断言するがそういうものなのである。
ただ彼らの下世話な望みは残念ながら、というべきか幸いにもと言うべきか、結局叶う事がなかった。
なぜならそのタイミングで遠方の聖ワティヌス教会からイエタの〈本性露見〉が発動されたからだ。
目に見えぬ結界が一気に広がり、街を覆い尽くす。
それと同時に街の各所で騒ぎが起きた。
街の魔術的なセキュリティを突破し人の姿に化けて潜入を果たしていた魔族どもが一斉にその正体を暴露されたからだ。
そして……エィレ達の目の前でも、それは起こった。
クェットナモが勧誘…それとも誘惑だろうか? しようとしていた若者が、彼女の目の前で突然体中に帯を巻いた、まるでミイラのような異形の化物に変貌したのである。
「え……?」
なに、あれ。
今何が起こったの?
突然の現象にエィレが一瞬混乱する。
「なにこれ?! え? 魔力の流れが……」
だが隣で呟いたシャルの言葉ですぐに事情を察する。
おそらくなんらかの占術か防御術による結界魔術だ。
ネッカはクラスクと共にドルムへ出立してしまったのでおそらくネザグエンか或いはイエタあたりが使用したものだろう。
それが魔術や妖術による偽装を暴き正体をつまびらかにしたのだ。
つまり……
「魔族! 人に化けて潜伏てたのね!」
「ええええええええええええ!?」
「まぞく! てき!」
わあああああああ……という叫びと共に蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする周囲の男性客ども。
そんな彼らを尻目に目を真ん丸に見開いたクェットナモは……
「驚いた。アンタ魔族だったんだねえ」
そう呟いて、その魔族の前で腰を屈め彼の股間を確認した。
「ついてないのかー。アンタ女なの? それとも魔族のって興奮しないと目立たないタイプ? どっちにしろ人間族の女はタイプじゃないのかしら。ざんねん」
「言ってる場合かああああああああああああああ!!」
シャルの渾身のツッコミが迸った。
さて唐突に己の正体を告げられ不審に思ったその魔族……帯魔族は、己の手足に包帯が巻き付いているのを見て自らの偽装が暴かれている事を知り、僅かに動揺した。
次々に脳裏に響く警告と報告。
どうやら己だけではない。
街中に潜んでいた魔族どもの偽装が一斉に暴かれたようだ。
それが続報のように次々と飛び込んでくる。
そこから数舜遅れて複数の魔族の脳裏を経由して新たな情報が届く。
この魔術の使い手は高い確度で街一番の司教であるイエタである可能性が高い。
場所はこの街最大の教会である聖ワティヌス教会。
その建物を破壊するか彼女自身を殺害すればこの魔術の効果を破壊できる可能性が高い。
聖ワティヌス教会は上街だが、このあたりは西正門にまで遠くなく比較的距離が近い。
ならばそちらに出向いて彼女の殺害を試みるのが最も功績を上げる近道になりそうだ。
帯魔族はそう判断した。
ただ……今後のことを考えると、この場にいる目撃者どもは生かしては置けぬ。
街の住人達は本来彼らの食料として生かしておくべきなのだが、自分の正体を知っている者は話が別だ。
そうでなければこの先この街に住み続けるメリットが低くなるからだ。
ぼば、という音がした。
その後しゅるるるるるるうるるる……という音が幾つも響く。
彼の体中に巻き付いていた包帯が一瞬で解かれ、褐色の肌を晒す。
そしてその包帯が……一瞬にして周囲に雲丹の棘ように無数に放たれて、逃げようとした男どもを含め周囲の者の自由を一瞬で奪い去った。