第810話 信じて待つ
「ちょっと待てちょっと待て!」
「うわっ! なんだこの硬さ!」
「ヒッ! た、助け……っ!」
三人目の男はそれ以上言葉を発することなく、ただ言葉未満のくぐもった音を放ちながら城壁の内側、その地表へと落ちていった。
地上で柘榴のように弾けた彼の死体はその形容詞が如く周囲に赤い実を飛び散らせ、避難中の街の住人達から悲鳴が上がる。
そこはクラスク市西外大門。
その城壁の上から街へと侵入戦としていた魔族どもと守備兵達が決死の攻防戦を繰り広げていた。
いや、正確に言えば決死なのは衛兵達だけだ。
魔族達の方にはだいぶ余裕がある。
なぜなら西門にいる全戦力……その誰もが彼らが手にした得物でそこにいる魔族どもの物理障壁を貫けないからだ。
全力で剣を叩きつけ、槍を突き刺して、或いはほんのわずかに傷つくことはあるかもしれない。
けれどそうしてなんとかつけた傷は彼らの見ている前でみるみる塞がってゆく。
一方で兵士達の傷はそうではない。
例えば羽を生やした獅子の化物、その鉤爪の一撃を受け裂傷を負ったならベッドの上で安静にして完治まで数か月といったところだろうか。
無論聖職者の治療呪文があれば話は別である。
だが魔族達の襲撃はあまりに急すぎて、城壁の上にいたのは常備で詰めていた衛兵達のみだったのだ。
攻城戦に於いて城内に敵兵を入れる事は死に繋がる。
そういう意味で空飛ぶ敵兵などもっとも難敵と言える。
この街でも飛竜や巨鳥と言った空からの侵入者に対する備えは十分にされてきた。
だがこれほどの数の空飛ぶ『兵士』との備えはしていなかったのだ。
連投槍器のような対魔族に転用できる兵装があるだけまだマシと言えるだろう。
だがその兵装もこの西門にはまだ届いていない。
北門、東門、そして南門に関しては魔族の襲来が知らされた際手近な隊長格がオーク兵や衛兵達に倉庫から例の兵装を引っ張り出させ階段を駆け上り最速で防衛に当たった(厳密にはティルゥだけは何かの気配を察知し最初から城壁の上で待ち構えていて、新兵器は部下に持ってこさせた)のだけれど、西門にはそうした者がおらず、ゆえに備品も届かなかったのだ。
いや、厳密には手近に街の幹部がいたにはいたのだが……
「く、そ……ダメだ……!」
「諦めるな! 一匹でも多く食い止め……るんだ!」
「だからどうやって!?」
そうなのである。
彼らには対抗する手段がない。
絶無なのだ。
魔族達は統制の取れた集団行動をするため誰かが被弾したら即座に後ろに下がる。
自分達を倒し切れる相手でないと判断した魔族どもは強気に動くため、その間他の魔族が前に出て戦う。
彼らの傷は高速で治癒するため後ろに下がった者の傷は瞬く間に塞がって、結果魔族どもは全員無傷、兵士達だけが見る間に満身創痍となり、力尽きた者から蝙蝠獅子に踏み潰され、或いは倒れたまま押し出され城壁の下へと落ちてゆく。
対抗策を持たぬ者達にとって、魔族との戦いはこうした一方的な蹂躙にしかならぬのである。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
……その時、地上へと続く螺旋階段のある扉が勢いよく開いた。
その前には一応扉が開かぬよう羽魔族が張っていたのだが、とんでもない勢いで開いた扉に吹き飛ばされた。
「大丈夫ダカアアアアアアアアアアアアア!!!」
「「「ワッフ隊長ー!!」」」
階下から駆け上ってきたのは大斧を担いだワッフだった。
その背後から彼の部下であるオークどもが次々と飛び込んでくる。
そして…その先頭の数人が大きな箱を担いでいた。
魔族用に聖水を内部の噴霧器にセットされたこの街の新兵器、連投槍器である。
他の場所でそれの恐ろしさを思い知らされている魔族どもが精神感応で周囲に情報を飛ばしており、初めてそれを見たはずの西門の魔族どもも即座に警戒する。
「スグニ第一射! 再装填ダベ! 残リハオラニツイテクルダ!」
「オオオオオオオオオオオオオオ!」
背後のオーク兵どもにそう指示すると、ワッフは自ら先陣を切り魔族どもの群がる歩廊の先へと突撃した。
「シャ……ガ……ム………ダアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
そして大声でそう宣言しながら両手で構えた大斧をぶうんと振るう。
ワッフの叫びには恐ろしい迫力があり、兵士達は目の前に敵がいるにもかかわらず全力で身を沈めた。
次の瞬間……彼らの上を大斧の刃が通過する。
一振、両断。
上下に分かたれた魔族どもの胴体がまとめて転がる。
彼らの傷口は塞がらない。
即死である。
死ねば治癒はできないのだ。
だがワッフの立っている位置からでは、彼が手にした斧のリーチでは到底届かないはずの距離である。
一体何が起こったのだろうか。
『延伸』…これがワッフの斧に与えられた『曰く』である。
単純に言えば斧のリーチを瞬間的の伸ばす能力だ。
ワッフは己の強靭な膂力を頼りに、攻撃の瞬間手にした大斧ののリーチを一瞬伸ばし、本来の間合いの遥か外から魔族どもを撫で斬りにしたのである。
無論のことこの曰くには味方を識別し避ける機能はない。
ゆえに斧の軌道上に衛兵たちがいたならまとめて上下に分割していたことだろう。
だからこそ彼はしゃがめと命じたのだ。
けれどその声は当然ながら魔族どもにも届いている。
魔族は皆知能が高く、当然第二言語として共通語を学んでいる。
人型生物を騙し誘惑し堕落させるのもまた負の感情を得るのに有効な手段だからだ。
だが今の一撃、実際には魔族どもだけがまとめて斬り払われ、衛兵たちは全員無事だった。
この差は一体どこから来たのだろう。
その答えは彼らの体格の差にある。
人間族の兵士を平均サイズとするならまず蝙蝠獅子は大型でかつ四足獣のため仮に伏せていてもワッフの大斧の下に潜れない。
羽魔族どもも人型生物に比べれば二回りほど大きい上に背中の羽がかさばるためこれまた攻撃をかわし切れない。
魔族の中でワッフの一撃を奇麗にかわしてのけたのは小型サイズの小鬼のみだった。
小鬼どもからすればなんとも気分爽快だったことだろう。
いつもは位階が上だからと偉そうに命令しくさる羽魔族どもが皆胴を薙がれ羽を散らせ絶命していったのだから。
それはつい声をついてケタケタと笑いたくなるものだ。
だが彼らの高揚した気分はすぐに修正を迫られることとなった。
彼らは羽魔族や蝙蝠獅子がいたからこそその陰に隠れ攻撃の矢面に立たず兵士達をいたぶることができたのだ。
そんな盾どもがいなくなってしまえば、当然兵士達は残った小鬼を袋叩きにする。
なにせ羽魔族どもと違って小鬼の物理障壁は兵士達の全力攻撃で十分貫通できるからだ。
そうしてその場にいた小鬼どもは瞬く間に…いや瞬く間と言うほどではない。彼らにも物理障壁と高速治癒があるからだ…駆逐され、けれど西方から新たな増援が次々に飛来する。
ワッフが到着したお陰でなんとか持ちこたえられるようになったけれど、それでも彼が来るまでに結構な数の魔族どもが街中に降りられてしまった。
今や街は混乱と混沌と悲鳴で満ちている。
クラスク市は……今や街の中まで完全に戦場となってしまったのだ。
「遅レテスマネエダ!」
斧を振るい魔族どもを牽制しながらワッフが兵士達と合流する。
それに彼の配下のオーク兵どもも続く。
「いえ! 助かりました!」
「他ニ誰モ来ナカッタダカ!?」
隊長格が素早く城壁に駆け登り防衛線を引いた他三方に比べ、この西門だけ明らかに護りが手薄だった。
他に誰もいなかったのだろうか。
「いえ……その」
「リーパグさまが来たのですが…」
だが彼は迫り来る魔族を見るときびすを返し、とっとと階段を駆け降りてしまったという。
つまり逃げたのだ。
兵士達はそう解釈した。
彼らの落胆と言ったらそれはもう酷いものであったという。
だが…
「……リーパグハ何カ言ッテナカッタダカ」
「はあ……俺ガ戻ルマデ持チコタエテロ、と逃げ口上で…」
「ソウダベカ…」
ワッフは知っている。
リーパグとは長い付き合いだ。
リーパグは確かに慎重で臆病でビビりではあるけれど……こういう時にただ逃げ出すだけの男ではないと、ワッフは知っていた。
「ナラ……リーパグガ戻ルマデ持チコタエルシカネエベナ!」
そして、その自慢の大斧を魔族どもに向け高く掲げたのである。