第809話 攻城の穴
「はてさて……どうしたものかな」
衛兵隊副長ウレイム・ティルゥは魔族どもの攻撃をひょいとかわすと背後の羽魔族の羽を見もせずに斬り落とす。
悲鳴と共に地表に堕ちてゆく羽魔族。
「精神感応ねえ……確かにすごく面白いけど全員で同じ思考を共有してるわけじゃない。あくまで伝えあってるだけだ」
四方からの三叉槍を相手の肩を蹴って飛び上がり、羽ばたく羽魔族の一体の頭部に着地してやり過ごす。
「だからこうして予想外のことが起こると反応が一瞬遅れる。余分な情報を受け取って混乱するんだな。ふむふむ」
そして己の足場とした魔族の首を斬り落とし、次に空を飛び強襲せんとしていた蝙蝠獅子の背に飛び乗った。
「お前らもこうすれば攻撃をやり過ごせるぞー」
「「「無茶言うなー!」」」
そして部下たちからの怒涛のツッコミを喰らった。
「この新兵器どうしましょうか!」
「適当に撃て」
「適当て」
城壁南部、ここは現状魔族どもの数が最も少ない。
そもそも魔族どもの大半は北部の闇の森方面からやって来たはずで、北側からの襲撃が多くなるのは当たり前だ。
特に南方の直近には花のクラスク村があり、森の中には巡回のオーク兵もいる。
元より姿が消せる蝙蝠獅子どもはともかく、他の魔族どもが隠れる場所を確保できなかったということなのだろうか。
花のクラスク村にはそこまでの軍事力はなかったはずだが。
とティルゥは少しだけ首をひねる。
さて衛兵隊副長ウレイム・ティルゥは己の愛剣を存分に振るいつつ魔族どもを惑わせ牽制する。
計算と計略を旨とする魔族どもにとって鋭い直感と思い切りの良さで剣を振るうティルゥの挙動は予測困難で、それだけに強い警戒を以って当たられていた。
「にゃ……?」
くらり、とティルゥの意識が明滅する。
思考に霞がかかったかのようになり、上空にいる魔族…己を指さしている魔族への印象が変わってゆく。
「妖術って奴か!」
だが認識が書き換わるより早く、近くの魔族の頭を踏んづけて空中の相手に一瞬にして間合いを詰めて、その心臓に己の剣を突き立てた。
そしてそのまま相手の胸板に両足を乗せ、城壁の外に蹴り落とすと同時に剣を引き抜きとんぼ返りを打って歩廊に着地する。
「む……やはり魔族どもは厄介だな。気を付けねば」
「副隊長さっきの『にゃっ』ってすごい可愛かったです」
「たわけ」
兵士のラブコールに軽く釘を刺しつつ上空に視線を走らせる。
現状このあたりでまともに魔族に攻撃が通じるのは自分だけ。
己が落ちたら終わりなのだ。
ティルゥは少しだけ気を引き締めた。
「まったく……防衛戦は得意じゃないと言ったんだがな」
羽魔族どもは生来の妖術を幾つか操ることができる。
効果としては魔導術の〈暗示〉、〈対人魅了〉、〈恐怖〉、さらには〈自己偽装〉などであり、系統としては幻術や心術が多い。
回数制限こそあるものの皆使い方次第でとても有用かつ強力な効果である。
〈自己偽装〉は肉体を変質させるわけではないが見た目を偽装できる呪文で、これと〈対人魅了〉などを併用することで人間族の集落に潜伏し、〈暗示〉などで魔族に有利な街づくり……いわゆる『巣作り』をするのが彼ら本来の役割……だった。
だが人型生物達は魔族どもと戦ううちにその戦術を進化させ、教会が設置されている村や街であれば日々の祈りで魔族の瘴気を洗い出し村に彼らが潜んでいる事を炙り出してしまう。
その結果彼らは人里に隠れ潜むという任を解かれ、替わりにより上級の魔族どもが人皮を被って街中に潜伏するようになったのだ。
いわゆるいたちごっこ、という奴である。
ともあれ羽魔族どもが種族特性として身に着けていたそれらの妖術はあまり使われることがなくなった。
せいぜい教会のない田舎村に隠れ潜むのに使用される程度だ。
魔導術と違って妖術は種族の特性として体得するものであって、不要だからとて修得しないとか、別の妖術に切り替える、などといった芸当はできないのである。
ただ街に潜伏することこそ難しくなったけれど、無論それらの妖術は戦闘中にも使用することができる。
対象を心術で絡めとってしまえば後でいかようにも料理できるという寸法だ。
ただ心術には一つ困った問題がある。
対象を友好的に変える[精神効果]は敵対的な相手にはとてもかかりにくいのだ。
まあ冷静に考えれば友好的に接してきた相手に魅了の魔術をかけられて「あら素敵な人だわ」と感じるのは自然な流れだが、自らの命を狙って攻撃してきた、血まみれの鉤爪を構えている相手に魅了の魔術をかけられたからとて「あら素敵な人…」とはなかなか思えないだろう。
もしかしたらそう感じる人もいるのかもしれないが、それはごく少数の特殊な性癖の持ち主のみだ。
…のはずだ。
ともあれ羽魔族どもの妖術は戦闘中に使いにくい。
まともに運用できるのは〈恐怖〉くらいだろうか。
これは対象の心に恐怖心を呼び起こし本来の力を発揮させないものだ。
一般の兵士程度であれば恐怖心から振るう刃も弱くなりそこらの村人程度まで弱体化してしまう恐ろしいものである。
だが…この呪文は相手を恐怖によって無力化する事自体はできない。
身を竦ませ怯え震え身動き一つとれぬ…とまではゆかず、あくまで弱体化させるに留まる。
つまり仮に抵抗に失敗し効果が十全に発揮されたとしても……元から強すぎる相手の場合にはあまり意味がないのである。
ティルゥの場合はまさにそれだった。
彼女に魔族どもの心術はかかっている。
敵対的でも有効な〈恐怖〉が彼女の心に棲みついて、確かにその刃を鈍らせている。
だが彼女は戦士というよりはむしろ『修行者』だ。
強さを求めそのために心を鍛えている彼女の場合、恐怖心で刃が鈍ったとてそのままそれを振り切るだけの強さがある。
つまり現状…数の少ない魔族どもが彼女を仕留める事は難しい。
「おっとっと……これはいかん」
素早く歩廊の上を駆け、新型兵装である連投槍器の周囲に群がる魔族どもに襲い掛かる。
彼女と相対すれば斬られる。
それがわかっているだけに魔族どもは素早く身をひるがえし空に舞い距離を取った。
多少の宙に浮いた程度では彼女の跳躍力に追いつかれてしまうと学習しているからだ。
「助かりました副隊長!」
「守る戦いは苦手だと言ったはずなのだがな」
嘆息しながら周囲の魔族どもに睨みを利かせていたティルゥは、だが困惑したように眉をひそめた。
「お前達」
「ハ! 再装填急ぎます!」
「いやそれはいいんだが」
「いいんですか!?」
「いやよくはないんだが……」
ぼりぼり、と頭を掻きながら、彼女は真顔でこう問うた。
「少しこの場を任せてもいいか?」
「「「無理です! 全滅します!」」」
「だよなあ」
兵士達の泣きそうな顔での返答に、さもありなんと頷いた。
彼女の見立てでも己が抜けたら間違いなくこの南壁は落ちるとそう出ていたからだ。
他の方角からの襲撃に比べ若干マシなはずなのだが、それでも圧倒的な個の力でなんとかもたせている状態である。
彼女が抜ければここは簡単に陥落してしまうだろう。
「だが……」
目を細め、彼女は魔族どもの群れの先を注視する。
それは『西門』。
「いかんなあ……ちとあちらまで手を伸ばす余裕がない。これは些か手が足りんかもしれんぞ」
その西門で……今にも兵士達が押し切られ全滅しそうに見えるのだ。