第772話 その剣士、オーツロ
クラスクはどっかと座席に深く腰掛け、目の前のハンドルに左足をかけて、足の親指と人差し指の間にハンドルを挟んで器用に回しつつ暴走する車を巧みに操りながら右足でアクセルを踏み込んでいる。
それも今やアクセルベタ踏みではなく、小刻みに足を離したり強く踏み込んだりしながら、巧みに加速したリ抜いたりしつつ制御不能一歩手前の速度域でその蒸気自動車をコントルールしていた。
とはいえ完全に制御できているわけではない。
むしろ半ば暴走している状態で事故らないギリギリを攻めているような状態だ。
己が丹精込めて組み上げた蒸気自動車がこんな使われ方をしているのを見れば、まず間違いなくシャミルはブチ切れることだろう。
だがクラスクは今を切り抜けるのに全力だった。
これまた高価なロケットランチャー(もどき)を雑に街道脇に放り捨てると、次のランチャーを肩に担いだ。
このあたりの当たり前のように消耗品に大金をつぎ込める気風の良さと平気で使い捨てられる金銭感覚のなさがクラスクの強みであり、ひいてはそれがクラスク市そのものの強さでもある。
「モウ一発イットクカ」
続いて背後にある錬金術式の噴進弾投射機をひっ掴み、肩に担いでもう一射。
前方に強聖水の雨を降らせながら慌てて避ける魔族どもの間を縫って強引にその先へと突っ込んだ。
魔族たちがなぜかそれ以上城へと近づこうとしない、彼らの包囲網の内側へ。
その瞬間、クラスクの頭部にガツンと強い衝撃が走った。
ちょうど鈍重な金床を持ち上げて、後頭部に思いっきり打ち付けられたような鈍痛、続いて激痛。
だがクラスクの周囲には何もない。
隠れ潜んでいた魔族がいたわけでも、何らかの魔導術の攻撃を受けたわけでもない。
ただ突然頭部に強い痛みが走ったのだ。
それも一瞬ではない。
心を苛み脳を破壊せんとするかのような強い強い痛みが、津波のように立て続けに襲ってくる。
一瞬くらっとなり意識を失いそうになったクラスクは、けれど素早く舌を噛んで無理矢理意識を取り戻し、唇の端から血を迸らせつつアクセルをさらに踏み込んだ。
魔族どもの視線が集まるのがわかる。
背後から妖術と魔術の狙いが付けられているのをその肌で感じる。
「サテ……モウひト走りダ」
クラスクはここからが本番と、再度噴進弾投射機を放り捨て、最後の一発を座席から担ぎ上げると……身を乗り出しつつ己の背後へと向けた。
× × ×
「どうした。騒がしい」
城壁の上、歩兵たちがざわめいているのに気づいたその男は、急ぎ螺旋階段を駆け上る。
「オーツロ様! ハッ! それが……単騎この城へと向かう怪しい者が現れまして」
オーツロと呼ばれた若者は見た目だけなら15,6歳ほどに見える。
ただそれは彼の人種が元から若く見られがちだからであって、未だ幼さを残す顔立ちでありながらもその表情は精悍そのものだし、実際の年齢はもう少し上だろう。
特にその目だ。
彼の瞳だけはどこか子供っぽい愛嬌が垣間見えるその容貌の中で歴戦の凄味を放ち異彩を放っている。
白銀に輝く鎖鎧。
背中には真紅のマント。
またその腰には大剣…鞘の長さ的が5フース半(約165cm)ほどはあるのでおそらくは両手剣であろう…の鞘が挿し込まれているのだが、その装備の仕方が少々独特だった。
大剣を腰帯に差しているのである。
何を当たり前な……と思うかもしれないが、大剣を含むいわゆる洋剣は本来吊るして下げるものであって、腰に差すものではない。
こうした吊り下げ型を『佩く』と呼び、日本で言えば太刀などがこれにあたる。
吊り下げる事により鞘が腕の位置よりだいぶ下がるため、鞘に手をかけ横に引き抜くだけで簡単に抜剣できる。
こうしないと特に長さのある剣を引き抜くとき、前方に抜き放とうとするその途中で鞘につっかえてしまうのだ。
これは試してみればすぐにわかる。
一方で彼は大剣を腰帯に通している。
これを『差す』と呼び、日本で言えば刀や脇差がこのタイプだ。
剣を佩くことを佩剣と呼ぶが、それに比べ剣を差した場合装備位置がずっと上になる。
吊り下げ型から腰帯の位置まで上にずれるのだから当たり前だろう。
刀や脇差がこの状態から抜刀できるのは刃長が60cm程(或いはそれ以下)と短く、また刃に反りがあるからであり、それを利用することでスムーズな抜刀が可能となっているのだ。
またこの方法だと通常の鞘入りの武器よりさらに高速に武器を準備し、斬りかかることができるようになるため、それらの技術はやがて抜刀術、居合術などとして昇華されていった。
けれど洋剣は基本的に反りのない直剣である。
しかも両手剣ともなれば刀身の長さは日本刀の比ではない。
つまり単純に考えて彼の装備方法は誤っているように見える。
誤っているというか、彼が用いている武器には著しく不向きである、の方がより正確な表現だろうか。
両手剣を『差し』ていては到底抜剣することができないし、無理に抜こうとするならそれこそ一度鞘を腰から外して両手で鞘と柄をそれぞれ握って己の前で引き抜く、などという二度手間が必要になってしまうのだ。
なんとも不合理極まりない。
一体なぜ彼はそのような装備の仕方をしているのだろうか。
戦の素人なのだろうか。
だが彼に剣の覚えがまるでないのかと言うとそうとも言えぬ。
彼に声を駆けられ返事をする兵士達の反応には多分な敬意が含まれており、それは明らかに格上の相手に対するそれだからだ。
「怪しい……?」
「ハ。銀色の馬車に乗ったオーク族です。それが魔族どもの中から飛び出てこの城へと向かっております」
「オーク……連中の手先か? だがオークは馬に乗らんだろう」
「いえそれが……その馬車は引馬がおりません」
「は?」
「さらにそのオークは魔族どもから集中砲火を浴びております」
「なに?」
城壁の上、オーツロと呼ばれた若者は、兵士達の間に割って入るようにして鋸壁から身を乗り出した。
「馬が引いてない馬車ってなんだよ…ってなんだありゃあ!?」
オーツロと呼ばれた男は、それを見るなり噴き出した。
そしてしばらく唖然呆然としてた後、やがてくつくつと笑い出す。
「オーツロ様……?」
「ぷ、くっくっく……あー、急ぎ南門に連絡を。門を開いてアレを迎え入れてやれ」
「アレ……アレをですか?」
「急げ! 魔族どもの包囲網を突破してこの城に救いの手を差し伸べんとしている我らが援軍を見殺しにする気か!」
「ハ……? ハッ!」
わけのわからぬまま、だがオーツロが言うならきっとそうなのだろうと己を納得させて、その兵士は命令を受諾し城壁下へと続く螺旋階段へと駆けていった。
「お前達は魔導師部隊に太鼓で通達! 背後の魔族どもを狙ってアレを援護だ!! 俺は魔族どもに備えて下に行く!」
「ハハッ!!」
矢継ぎ早に兵士達に命令を下したその男……オーツロは、ニヤニヤと笑いをこらえながら急ぎ螺旋階段を駆け下りつつ独り言を呟いた。
「ハハハ! まさか単騎で! それも『自動車』で! 『バズーカ』片手に! ウハハ! そりゃこの状況でここに無許可で入城するにゃあそうするしかねえけどさあ! あれが噂に聞くクラスク市のオークって奴かぁ? 一体何もんだよ! そんな阿呆で大それたこと考えた奴は! ハハハ!」
そして最後に、こう付け加えたのだ。
「ま、そーゆーバカは……嫌いじゃねえけどな!」
……と。




