第763話 対抗策
「クィールナム君、ちょっといいかな」
「社長、どうしたんですか、今私の仕事はないはずですが」
窓のない部屋で机に向かい何か書き物をしていたらしき男が、社長であるガレントの声に顔を上げた。
「彼がうちの通信士、クィールナムだ」
「お初にお目にかかります。修道女のリムムゥと申します」
「ほう、天翼族か」
己の作業を邪魔され少しだけ不機嫌そうだった男……クィールナムは、彼女の種族を知ると少しだけ眉の険を解いた。
どうやら少し興味が湧いたよづあ。
「で、その修道女が新聞社のそれも通信室くんだりに何の用だ」
「不躾なお願いで申し訳ないのですが…貴方を占術で調べさせていただいてもよろしいでしょうか」
「あん……?」
呪文……クラスク市では必要に応じて当たり前のようにネッカやイエタが呪文を唱えているけれど、ほとんどの街ではそうではない。
多くの場合、街中での呪文の使用は強く制限されているからだ。
例えば天翼族が街の中で飛行を禁じられているのは軍事機密などを空から一望できてしまうからだが、魔導師も〈飛行〉の呪文を唱えれば全く同じことができる。
横移動こそできないがより位階が低く多くの魔導師が唱えられる〈浮遊〉の呪文でも上空に浮かび上がるだけでもほぼ同じ効果が得られるだろう。
ちなみにネッカが得意とする〈落垂翔〉の呪文は空中での高速移動を得意とする呪文だがこうした用途にまるで向いていない。
一か所に留まることが難しい呪文だからだ。
他にも姿を消す〈透明化〉、街の魔術的セキュリティを崩壊させかねない〈解呪〉など、街中で使えば幾らでも悪用が効きそうな呪文は数多い。
特に相手が秘密にしている事を簡単に暴き立てることができる占術関連、容易く他者の信用を得たり操ったりできる心術関連、そして当然だが容易に破壊行為を行える元素術関連などはその最たるものであろう。
ゆえに多くの街では市街で呪文を唱える事は制限或いは禁止されており、迂闊に使えばそのまま兵士に連行され、最悪は国外追放処分まであり得る。
街の中で呪文を使うと言うのはそれだけ危険行為なのだ。
とはいえ日常から使用したい呪文もまた数多い。
軽い装備品の手直しができる〈修繕〉や失せもの探しに有用な〈物品探索〉、さらには聖職者が唱える有用な多くの奇跡…食べものの消費期限を大幅に伸ばす〈保存〉、作物の実りをよくする〈祝福〉、さらには多種多様な回復。治療呪文の数々…こうしたものは日常的に使用できるようにしておきたい。
結果として多くの街では呪文単位で使用の可否が決められており、また特定の場所の中なら呪文を自由に唱えて良いとしている。
例えば教会での治療呪文の使用などがそれだ。
だがそうでない状況…たとえば街中でごろつきが暴れていたので攻撃呪文で打ちのめした…のような場合は、たとえそれが正当防衛や必要な行為であったとしても後で兵士などに色々詰問されることは覚悟しておかねばならない。
そんな中常識のある世界で、その天翼族の修道女はクラスク新聞社の通信士に対し占術の使用を要求しているのだ。
通信士は魔術による遠隔通信を行うのが主たる業務である。
そのやり取りには当然ながら多くの機密が含まれており、心を読む〈思考探知〉などは最大限警戒すべき呪文だ。
当然ながらこれも占術である。
そんな相手に占術の使用を要求してくれば、それは彼ならずとも胡散臭げな表情を浮かべようというものだ。
「俺を調べ上げてどうしようというのだ」
「魔族に魅了されていないかどうか確認させてください」
「魔族にぃ……?」
突然振られた話題があまりに予想外だったためクィールナムは思わず目を剥いた。
「その後防御魔術をかけさせていただきます、そしてそれが済んだらクラスク市のクラスク新聞本社に御連絡をお願いできますか」
「む……社長がそう言ったのか」
「いや、俺じゃない。どうやらクラスク市の司教から〈聖戦〉の呪文で連絡を受けたらしいのだ」
「『〈聖戦〉で連絡を受けた』だあ?」
明らかに胡散臭げな眼を向けたクィールナムは、だがすぐにハッとその表情を改めた。
「〈聖戦〉をわざわざ連絡に使う…? ここに連絡用の水晶球があるのにか?」
彼の机の上には人の頭部程度の物体が置かれており、その上に紫色の布がかけられている。
おそらくその布の下に連絡用の水晶球があるのだろう。
「学院に論文が出てた通信実験のアレか…魔力による通信は大気中の魔力を通して直進する……つまりこことクラスク市の中間地点のどこかに通信を阻害する何かがある……? 〈聖戦〉は魔力による通信ではなく神の声を経由した『下達』だからその制限に引っかからないって事か……? それにしても信者を戦争に駆り出す呪文を使って必要情報の伝達を行うだなど随分面白いことを考える……」
ぶつぶつ、と呟きながら思考を巡らせる。
それはちょうどクラスク市で皆が議論しつつ帰納的に現在の手法へとたどり着いたのと真逆に、結論と結果だけを見て演繹的にそこに至る状況を解き明かすようなものだった。
「なるほど、人型生物なら無駄と魔力消費が多すぎて実用に耐えん呪文でも高い魔力を誇る魔族なら使用可能かもしれん。確かに考慮していなかったな……」
そして彼なりの結論を出す。
「わかった。調べてくれ。向こうとの連絡手段などを鑑みるに確かに俺は疑わしい」
「ありがとうございます」
頭を下げたリムムゥは素早く呪文を詠唱し、まず〈状態確認〉を唱える。
「何かの呪文の影響下にはないと思われます。ご自分でそうした対占術の防御術をかけているのでない限り」
「自分で記憶している限りそれはしていないはずだ。今俺が既に魔族の術中にあって虚言を弄している可能性も否定はできないが」
「問題ありません。〈対邪防護〉をかけます」
「なるほど? せめて通信の間だけでもということか」
「はい。〈破魔〉などが唱えられれば良かったのですが私では未だ位階が足らず……一応教会に収蔵されていた巻物を持って来てはいるのですが」
「あれの巻物は使い捨てで金貨千枚はするだろうしな。そうそうは使いたくないだろうさ。ふむ、俺をのっけから信用していないその選択、嫌いじゃないぞ」
「ありがとうございます」
「「「??」」」
リムムゥの意図をすぐに察した魔導師クィールナムだったが、他の社員たちにはいまいち理解できず頭上に疑問符を浮かべながら首をひねっている。
「あークィールナム君、我々にもわかるよう説明してくるかね」
「〈対邪防護〉は邪悪な呪文や邪悪由来の効果に対する抵抗力を上げる呪文だ、またそうしたソースからの魅了効果やら支配効果などを受けた場合、呪文の効果時間…おそらく数分程度だろうが…の間、その効果は発揮されなくなる」
「ええっと……魅了とか支配されなくなるってことですか?」
「違う。あくまで抵抗しやすくなるだけなので失敗してそうした呪文にかかる事自体はあり得る。ただしかかった上でこの呪文の持続時間内であればその効果を抑止できるのだ」
「ああ……!」
〈対邪防護〉は邪悪な力を阻害する効果を持った防御呪文である。
ただその効果を分類するなら補助呪文というよりはむしろ『個人対象にかける結界』の方がニュアンスが近いかもしれない。
対象への邪悪な攻撃や呪文への抵抗を高め、かつ持続時間内であれば邪悪な精神系の効果がたとえかかったとしても発揮させない。
つまり仮に魔族に魅了されてしまえばその対象は魔族を最高の友人と思い込んでしまうが、もしこの呪文で守られていれば魔族に惑わされることなく通常に行動することができるのだ。
ただし魅了効果自体にはかかったままであるため、もし〈対邪防護〉の持続時間が切れた上で、まだ魔族側の魅了の持続時間が残っていたならその対象は魅了状態になってしまう(正確には元の魅了されていた状態に戻る)事となる。
万全な守りとは言い難いが、少なくとも通信中の正気は確保されるだろう。
「それでは…こちらが呪文を唱えた後……」
「わかった。クラスク市に連絡を入れようか」




