第739話 魔族の特性
「ええっと……今更ですけどひとついいでしょうか」
「構わない。なんでも言ってくれ」
ミエがあらためて挙手し、キャスが頷いた。
「魔族って強いんですよね?」
「上から下まで差が大きいな。最下級の小鬼などであれば城の兵士達が数人がかりで挑めば倒せるだろうが、まあ種族的という意味ならそうだな」
「じゃあ本気を出せば今回のようなことはこれまでもできたってことです?」
「できただろうな」
「ならなんで五十年もそうしなかったんですか?」
ミエにとってその疑問はもっとだった。
何かの事件が突然起きる。
それは裏を返せばそれまでその事件は起きなかったと言うことだ。
そこには必ず理由があるはずだ。
魔族が高い戦闘力を誇り、知能が高く、竜種などと異なり軍勢を率いる統率力があるというのなら、とっととそうした襲撃行動を取って人類側を滅ぼせばいいではないか。
「命が惜しいからだろうな」
「ふえ……?」
キャスの言葉にミエはあからさまに眉をひそめた。
死にたくない。
それはもちろんミエだって死にたくない。
だがもし魔族が戦いを厭う種族だったとしたら、もっと人型生物との関係にもやりようはあったのではなかろうか。
「ミエ、勘違いするな。連中は別にあまねく全ての命に価値があるなどと考えているわけではない。単に不死でなくなった状態で戦いたくないだけだ」
「ふし……」
ミエはかつて聞いたことを思い返す。
瘴気の中では魔族は強大となり、武器もまともに通らない。
だが瘴気の外に出ると武器が通るようになり、傷を与えられるようになる、と。
「私それって単に条件的なええと……『物理障壁』?的なものかと思ってました」
「もちろん物理障壁を備えてもいる。だがそれだけではないのだ」
「あれの上にまだあるんですか!?」
赤竜との死闘を思い出し思わず悲鳴を上げる。
その言葉を受けてキャスの前に出てきたのはネッカであった。
「ネッカから説明しまふ」
そして黒板に達筆で図と文字を描き説明を始める。
「そもそも魔族は肉や野菜と言った食べ物を必要としないでふ」
「ええっと…人型生物の負の感情とかを啜るとかなんとか言ってましたよね」
「はいでふ。このことから魔族の本質は精神生命体であると推測できまふ」
「あ………っ!」
ネッカの板書と言葉を聞きながら、ミエがハッとした。
「そっか…精神生命体だから感情を食べるし、精神生命体だから物理特性がなくて普通の武器が効かない…?!」
「そうでふね。流石ミエ様理解が早いでふ。厳密には物理特性がないというか薄いんでふが」
「ちょっといいかニャ」
「はい。なんでふか」
ミエに続きアーリが手を挙げ、ネッカがそちらに顔を向けた。
「精神生命体って言う割には魔術とか使って無理矢理殴れてる気がするニャ」
「そうでふね。ただその物理障壁や魔術結界に護られた硬い物理的なものは連中の本体の表面を覆う『皮』や『殻』みたいなものだと考えられまふ。実際高位の冒険者などの報告で『瘴気の中で死闘の末魔族を討伐した』というものがありまふが、その後同様の外見と能力を備えた魔族がたびたび目撃されてまふ。つまり彼ら冒険者が命がけで壊したのは魔族の『殻』のみで、本体は単にその場を離脱しただけだったと考えられまふ」
「「えええええええええええ!?」」
ミエとアーリが同時になんとも嫌そうな声を上げた。
「…あれ退治したんじゃニャかったのか……めちゃくちゃ苦戦した気がするニャ」
「アーリさん退治はしてるんですか!?」
「アーリはサポートしながら見てただけニャ。アーリの昔の仲間はすごく強かったからニャー」
かつてアーリが去ったという冒険者仲間。
彼らは大層強いのだと以前も聞いたことがある。
「あれ、そういえばその人たちって…」
「そうだニャ。今ドルムに詰めてるはずニャ」
「大変じゃないですか!」
「無事だといいんニャけど…ニャんて心配するだけ無駄かニャ。あいつらなら大丈夫なはずニャ」
一人納得して頷くアーリ。
「それで…魔族が強いのはわかりましたけど、それならますますもって疑問です。なんでこれまで攻勢に出なかったんです?」
「その不死性が失われるから、でふね」
ミエの質問に答えつつ、ネッカが板書を再開させる。
「先刻までの武器が効かない、仮に効いて倒しても別の場所で再生する、といった精神生命体としての特性…疑似的な不死は、瘴気の中でしか発揮されないんでふ」
「あ……以前言ってた魔族が瘴気から出ると弱体化するってそういう…?」
以前キャスから聞いた話を思い出しミエが呟く。
「…と、私は解釈していたがな。かつての闇の大戦の折の対魔族戦闘の経験則が騎士団に伝わっていたからだ。だが魔導師的にはどういう解釈なのだ。あれは弱体化なのか?」
「厳密には少し違いまふね。学院の研究をまとめた上で推測すると、彼らはおそらく本来の姿である精神体のままでは物質世界に直接干渉できないんでふ。そのために物理実体を持つ疑似物質的な外殻でその身を覆うわけでふが……」
「なるほど…我々を傷つけるための爪や牙などを外向けに生やすわけか」
「はいでふキャス様。でふが先刻説明した通りこの外殻を自然に纏えるのは瘴気の中だけでふ、瘴気の外で物理的な影響を周囲の及ぼしたいならこの外殻を自身の手で構築する必要がありまふ。この時…彼らは実体を持ってしまうようでふ。瘴気の外で無理矢理顕現した結果外殻との結合が強くなりすぎててこの世界に縫い留められてしまう、と言う説もありまふね」
「それはつまり…武器で倒せるようになる、ということですか?」
きょとんとした表情で尋ねるミエの前で、ネッカが首を振る。
「それだけではないでふ。それ以上でふミエ様。瘴気の外の彼らには実体があるんでふ。つまり一時的に物理攻撃が有効になるんでふ」
「ふえ? それって同じではなく…?」
「単に『武器で倒せる』ではない。『武器で倒せば死ぬ』ということが重要だ。倒しても中身だけ逃げたり別の場所で再生したりもしない、ということになる」
ネッカの説明を継いで、キャスが言葉を紡いだ。
「ニャ。確認いいかニャ? 魔族相手にした事ほとんどニャイから情報不足ニャ」
「言ってくれ」
「肉体があるってことは『蘇生』はどうなんだニャ」
「む……」
「可能ですが……まず無理でしょう」
言葉に詰まったキャスの代わりに答えたのはイエタだった。
「可能だけど無理ってどういう意味ですか? 呪文が魔術結界に弾かれちゃうとかです?」
「魔術結界は死亡している者には発現しないでふ。構造上は本人が無意識で張り続けているものなので。自分の意思で一時的に解除することも可能でふ」
「へえええええええ」
「気を抜くとまた勝手に張り直されまふが」
「うわー知らない知識がどんどん増えます!」
軽く混乱するミエを横目に、キャスがイエタに続きを促した。
「…そういえば蘇生ならばお前の方が専門だったな。で可能だが無理とはどういうことだ。魔族相手の蘇生行為は神が呪文を発動させず抑止させたりするのか」
「それはないでふね」
だがそこに横からネッカが口を挟んだ。
「魔導術だろうと神聖魔術だろうと魔術は魔術式によって組まれていまふ。同じ値が代入されたら同じ結果を返すからこその『式』でふ。魔族だから呪文が発動しない、なんてことは不可能でふ。元からそういう条件の呪文として組まれているなら話は別でふが。神聖魔術は神々から授かった呪文群でふが、だからといって神々が個別の呪文行使を都合よく抑止できたりするわけではないんでふ」
「へー…神様自体が自分の力使われてるのに駄目出しできないんですか」
「式の上ではそうなりまふね。そこのところはイエタ様の方がお詳しいと思いまふが」
ネッカの言葉を受けて、イエタが静かに語る。
「……はい。仰る通り神々は個々の呪文の発動を抑止することはできません。巨視的な視野を持つ神々はいちいち個別の呪文を見張っているわけでもありません。ただ……神の意図に沿わぬ呪文行使が続けばそれは神に流れてくる信仰の力の淀みや歪みとなって現れます。そうなった場合、その信徒自体が神から与えられた奇跡の力の一切を失ってしまうでしょう。こうした状態を私たちは神々との『途絶』や『断絶』と呼びます。呼び方は宗派によって異なりますが」
イエタは静かに語る。
聖職者が魔族を復活させられないその要因を。
「ですので……聖職者は魔族を蘇生させませんし、蘇生を試みようともしないはずです。たとえそれが邪神の信徒であったとしても」




