第72話 蜂蜜酒
「サアテ仕事ダ…荷馬車見ツカルカナ?」
オーク達が今日も今日とて斧を担いで襲撃に向かう。
「大丈夫。臭う」
「臭う?」
「「臭う!」」
「「デカイシノギノ臭イガスルゼェ!!! fuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu!!!」」
互いの手と手を打ち鳴らし、テンションを上げて出発するオークども。
どうにも最近クラスクの女房の語録が彼らの言葉遣いを汚染しているようだ。
さて、そんな彼らの足元を急ぎ足で駆け抜ける小人が一人。
「ミエー! あった! 見つかったんじゃ! 最適な比率!」
あれから数日…未だに延々と蜜蝋を採取し続けているミエたちの元にシャミルがどたどたとやってきた。
「まあ! えっと、ええっと、こういう時は何て言うんでしたっけ…?」
「『でかした!』じゃろ。普通は」
「えーっとじゃあ…でかした! です!」
「うむ! 見事に泡を噴いとるわ!」
「やりましたね!」
手を取り合ってきゃー! と喜びを分かち合う二人。
なおその会話を聞いたサフィナはシャミルのところのオーク、リーパグが彼女の作った毒でも喰らって泡を噴いて倒れているさまを想像し真っ青になり、ゲルダはゲルダでシャミルの深くしゃがみ込んでからの伸びあがるようなアッパーカットを喰らったリーパグが泡を噴いて倒れている様を思い浮かべ笑いを堪えていた。
「お主ら今失礼なこと考えんかったかの?」
「ん…(ふるふる)」
「いや? 全然?」
「ほんとうか~?」
ジト目で睨むシャミルの前でぶんぶんと首を振る二人。
妙に息が合っている。
「じゃあ私は早速仕込みに行ってきます! のでシャミルさん、瓶のひとつは時々蜂蜜を追加して生種として残しておいてください。もう一つはゆっくり煮詰めてドライイーストにしましょう!」
「ああ! なるほど水の中に潜む連中を炙り出して保存するのか。ミエは面白いことを考えるのう」
妙に浮ついているというか、普段と少し様子が違うシャミルにゲルダが首を捻る。
「なあシャミル、なんかいいことあったのか?」
「まあいいことというかなんというか…今まで書物で知識を仕入れるばかりじゃったからのう…こうして実験と検証する楽しみに目覚めたというか」
わくわくが止まらない感じのシャミル。
その間にぱたぱたと家に仕込みに戻ったミエは、戻ってくるときに小鍋を抱えていた。
「あとこれ最初に獲れた蜜蝋です! この前話てた件お願いできますか?」
「ほう! ほほう! 書物で存在は知っておったが抽出方法も実物も初めて見るわ…よし任せておけ。とりあえず試作品を作ればよいのじゃな?」
「はい! お願いします!」
「どれよっこらしょ…っと」
小柄なノーム族のシャミルにとって人間族の小鍋は結構な大きさだ。
その上中身がみっしり詰まっている。
シャミルは鍋を抱えながらえっちらおっちらと再び家に戻って行った。
× × ×
それからさらに数日後…
「旦那様! お帰りなさいませ」
「帰っタ。ナンダ今日ハ家ノ前デノ仕事ハナシカ」
家の外の竈に火を炊いた跡がないことを確認しながらクラスクが帰宅する。
とりあえずの挨拶に夫の首ったまに跳びついて頬に接吻するミエ。
相変わらずお熱い夫婦である。
「はい! ようやく一段落しました!」
にこにこと上機嫌なミエがクラスクに陶器製の杯を渡す。
その中に入っている琥珀色の液体を見てクラスクが眉を顰めた。
そして匂いを嗅いで驚きに目を瞠る。
「これハ…? 酒カ!?」
「はい。蜂蜜酒です」
「ドれドれ…ム! ウマイ! ちゃントシタ酒ダ!」
ぐびりと煽って興奮するクラスク。
オーク族は酒が大好物なのだ。
「よく作れタナ! スゴイ!」
「いえ製法的にはすごい簡単というか原始的というか…むしろ今まで見つかってないのがおかしいくらいなのですが…」
「? そうなのカ?」
ミエの言う通り、蜂蜜酒の作り方は実に簡単である。
上質の蜂蜜を水で2~3倍に薄めるだけでいい。
それだけで酒ができてしまうのだ。
ミエの故郷では蜂蜜酒の起源は1万年以上昔とされ、おそらく熊などが襲って破壊された蜂の巣に雨水が溜まりそれが発酵して酒になったのを人間が発見したのが始まりではないかと言われている。
製法が単純ゆえ、葡萄酒や麦酒などのいわゆる『醸造酒』に比べて遥か古代から存在していた酒なのだ。
だがこの世界では些か事情が違う。
何が要因なのか蜜蜂の大きさや毒性がまるで異なり採取する危険度が非常に高い。
王侯貴族や富豪が金に物を言わせて有力な冒険者などに依頼するレベルなのだ。
蜂蜜は強壮効果や媚薬としての効果があると信じられており、酒に混ぜたり料理にも使われた。
そんな希少なものなのをわざわざ水で薄めようとはしないし、出されたものを残したり、増してや水に浸して数日放置したりもしないだろう。
蜂蜜は浸透圧の関係で水で薄めればすぐに発酵し酒に変わる一方、水などで薄めない限りまず発酵が起こらない。
そのままだと糖度が高すぎるためだ。
さらに別の問題もある。
むしろこちらの方が厄介かもしれない。
この世界の蜂蜜は権力も財力もある者達しか入手できない希少品であり、ゆえにその貴重な嗜好品を守るため、ほぼ確実に教会などに布施をして〈保存〉という呪文を付与してもらう。
〈保存〉の呪文は聖職者が覚える比較的初歩の魔術であり、食品の長期保存や魚や野菜などの鮮度を保つのに欠かせないものだ。
この呪文のお陰で軍隊が行軍する際糧食の腐敗などが発生することはまずないし、農村で取れた野菜を(多少値は張るが)取れたての鮮度を保ったまま都会で味わうこともできる。
当然蜂蜜もまたこの呪文の恩恵に与かっているわけだ。
ただ…腐敗しないということは発酵しないことと同義である。
腐敗と発酵は同じ現象なのだ。
単に人間の役に立つかどうかで区別されている呼び方に過ぎないのだから。
そう、この世界ではなまじ希少であるがゆえに、蜂蜜の発酵利用がこれまで一切されていなかったのである。
「まだまだこちらにたくさんありますよ」
「ナン、ダト…!? そノ壺ガ部酒カ!」
最近家の中に所狭しと置かれた壺の正体に驚愕するクラスク。
「ハイ。製法はもう把握しましたので。蜂蜜さえあればいつでも何度でも同じ味を作れます」
「オオ、オオオオオオ…デカシタ! ミエ!」
「きゃんっ!?」
ミエの両脇に手を差し込み天井近くに抱え上げるクラスク。
酒といえば偶然頼りのオーク族にとって、確実に酒が飲めるという嬉しさは格別である。
クラスクが上機嫌になるのも無理はなかった。
「あは、あははははははっ! もう旦那様ったら!」
「ハハハ! これダけあれバ当分飲めルナ!」
クラスクに抱えられたミエは…けれど大喜びしているクラスクの唇に人差し指を押し当て、首を振る。
「ダメですよ旦那様。全部はダメです」
「ナンダトー!?」
今までミエが見た中で間違いなく一番のショックな表情でクラスクが硬直する。
その間に地上へと降り立つミエ。
「お忘れですか旦那様、私達の目的を」
「目的…?」
目の前の酒にそわそわしながらクラスクが聞き返す。
欲望に半分負けていて思考が疎かになっているようだ。
「この村を変えることです。攫ったり奪ったりすることなく他種族の女性をこの村に呼び込むことです。そのためには…旦那様の発言力を強くしつつ、他のオークさん達に女性の価値を認めさせる必要があります」
「それハわかっテル」
「それならですね…」
ミエはやや声のトーンを落とし、語り掛けるような口調でクラスクに囁く。
「例えば…旦那様がいつでもお酒を振る舞えるオークになれるとしたら…それは村の中で武器になりますか?」
「~~~~ッ!?」
それは…大きい。
とてつもなく強力な武器になる。
酒好きのオーク族にとって、それができるということは凡そ絶対的と言ってもいいアドバンテージに等しい。
「そしてその酒造りの製法を私が…いえ女だけが知っているとういのは…筋書きとしてどうでしょうか?」
にこり、と微笑み己の胸に手を当てるミエ。
ごくり、と喉を鳴らすクラスク。
二人の…改革の狼煙が、その日、上げられた。