第714話 外交要請
ヴィラとシャルの二人と手を振って別れたエィレは、そのまま駆け足で大使館へと戻った。
大使館正面で直角に曲がり、そのまま玄関を勢い良く開けじいやと勤務中の護衛騎士キジノの脇をすり抜け執務机へとたどり着く。
そして息を整えながら歩調を緩め、じいやが差し出したタオル…よく水を吸うこの街の布だ…で汗を拭って椅子に座った。
「じいや!」
「姫様、如何なされましたか」
キジノが慣れた様子で尋ねる。
「おや姫様、休憩時間は御仕舞ですかな」
「出る前に言い置いた通り休憩時間ではありません。立派な公務です」
「ははは。あれほど浮足立ったご様子で出立される公務がありますか」
「知らなかったのですかキジノ。仕事を楽しみにしなければ務まらぬ職務もあるのです」
「いやはや、それは不勉強でしたな」
「ええ。覚えておきなさい。公務に愉しみを見出さずして外交官など務まるものですか」
キジノの軽口にしたり顔でそう返すエィレ。
無論シャルを記者にスカウトしたので仕事であることは間違いないのだけれど、浮足立っていたのは友人と会えるからであり、そういう意味ではその騎士の指摘は実に的を得ている。
「なるほどなるほど。そうなりますとこの街に来てから常に楽し気な姫様は実に外交官としての適性がおありという事になる。国王陛下も御慧眼でしたな」
「そうですね!」
キジノの言葉に棘はない。
率直な感想なのだろう。
だが傍目から見てそれほどに浮かれていたのだろうかとエィレは我が身を顧みて、今後はもう少し自重すべきかと己を律した。
「姫様、それでこのじいやにどのような御用件でしょうか」
そのあたりでそれとなく口を挟み話を引き戻すじいや。
「そうでした。急いで面談のセッティングを。各国の外交官と会談を行います」
「ほう、こちらからですか」
じいやが少し意外そうに片眉を上げ、いつも閉じられているが如く細められた目を見開いた。
なにせこれまで相手側から会談の要請があってもこちらから要請することはなかったからだ。
「ええ。今回は私からです。そうですね、それぞれの同意を取りたいので三か国の外交官をお呼びしてください」
「「「三か国?」」」
じいやは言葉を発さず、ただ小さく眉を動かしたのみだったが、護衛に立っていた騎士達が思わず大声を出してしまう。
三か国の外交官が一堂に会するなどたとえそれが宴席であったとしてもちょっとした一大事だ。
「それは…三か国を個別にお呼びするという事でしょうか。それぞれが顔を合わせぬように時間を調整した方が?」
「いえ、そんな時間はありません。三か国まとめてでお願いします」
「「「!!」」」
その場にいた一同が息を飲んだ。
アルザス王国側が招聘する他国の外交官同士の会談である。
それだけでいかに重要な案件であるかがうかがえる。
その上三か国まとめてということは相当緊張感のある議題に違いない。
いったいどの国と、どんな内容の話をするのだろうか。
騎士達は事の重大さにざわめいた。
「それで……どの国をお呼びするのですか」
「どこでも構いません」
「「「!?」」」
だが続くエィレの言葉で騎士達もじいやも完全に言葉を失った。
複数の国家の外交官を呼ぶ。
それは当然重大な話し合いになるに決まっている。
ならばその対象は厳選されねばならない。
どの国と何を話し合うかを決める事もまた外交なのだから。
誰を呼ぶのか、そして誰を呼ばぬのか。
そしてその会談を厳重に秘匿するのか、それとも世間に公表するのか。
あるいは口にせずともそれとなく察するようにさせるのか、時間を調整して交渉相手を互いにすれ違うようにさせるのか。
そこまで考えるのが外交というものだ。
その相手国がどこでもいいなどという選択肢はあり得ない。
…あり得ないはずだ。
「姫様」
「じい、なんでしょうか」
「差し出がましい口をきかせていただきますが…それは王国にとって重大な話でございますか」
となれば当然こうした疑問も出てくる。
エィレは年の割には驚くほどに知的で冷静な判断ができる娘であり、まさに王女として、王族の娘として相応しい叡智を備えているとこの街に常駐している王国使節の誰もが認めていた。
だがそれでもやはり彼女は少女である。
まだ大人になり切れていない、子供としての部分も相応に残している娘なのだ。
ゆえに今回のことも外交官としてではなく、子供として発言しているのではないか、とじいやは危惧したわけだ。
だが……
「当然です。我がアルザス王国にとっての一大事でもなければこのような指示を出すものですか」
エィレは言下にそう告げて、彼らの疑念を払拭する。
「確かに私は子供です。その判断や決断に幼さゆえの過ちが含まれている時があるのを否定はしません。ですが今回に限ってはそうした話ではありません。ここの王宮の方々…太守クラスクさまや円卓の方々とも合意を得た上での行動です。だいたい…」
ぎち、と太守用の執務机の奥、その椅子を小さく揺らしながら、エィレはその年恰好から似つかわしくない重々しい声を出した。
「この執務椅子に座っている時に私が我らが王国に関わらぬ話をしたことがありますか」
その言葉の重さに一同は沈し、黙した。
少女が放った言葉とは思えないほどに、その言葉には重みと威厳があったからだ。
まあそもそも普通の子供は己のこと『未熟な子供』だなどと表現しないだろうが。
だがそれならばますますもってわからない。
エィレがそう断言する以上王国にとって重大な会談を開くのであろう。
それは間違いない。
だがそれならなぜ相手は誰でもいいのか。
いったいどんな話し合いをするというのだろうか。
「三か国…繰り返しますがどの国でもいいのですね」
「はい。順番は任せます。なるべく詰めて入れてください」
「順番、ですか…?」
わずかに眉根をひそめたじいやは、だがその後大きく目を見開いて再び眉の下からその瞳を覗かせた。
エィレの真意がようやく呑み込めたからだ。
「まさかすべての外交官と会談を為さるおつもりですか」
「はい。この街に駐在している全外交官に」
「ああ……!」
そしてその返事を受けて騎士達がようやく納得の声を上げた。
つまりエィレが会談したい相手国とはこの街と関わりを持つ全国家なのだ。
だがこの大使館は全員を呼び集めるには手狭過ぎるし、各個人に同意を求めるなら大人数での会合は不向きである。
ゆえに三人ずつ会合を開きたい。
だが集めるのは誰からでもいいし、順番も問わぬ。
エィレが言いたいのはつまりそういう事だろう。
だがそれはそれとして全ての国家相手に一体どんな会談を執り行うのか…
彼らには未だそれを測りかねていた。




