第69話 貴重などろり
オークの子供達が楽しげに駆け回る中、ミエたち婦人会は井戸の横に集まって縄を綯っていた。
今日はいつもの面子以外に新しく人間の女性が1人加わっている。
おさげの似合う人間族のクエルタだ。
ミエたちの様子をクラスク一派の最近の活躍を見て、オークの1人がお試しで協力してくれるようになったのだ。
一歩前進! とミエたちは大歓迎したのは言うまでもない。
そしてもう1人この縄綯いに参加している者がいる。
オーク族のワッフである。
「すいませんね手伝ってもらっちゃって」
「イインダべミエノアネゴ。今日オラタチ仕事ネエ日ダ。ソレニ殺シ合ウヨリオラコッチノガ好キダア」
縄を綯いながら隣に寄り添って座っているサフィナの方を見てだらしなく笑う。
サフィナも彼を見つめてほにゃ、と警戒感のない笑みを浮かべた。
新参のクエルタがその様子を不可解そうに眺めている。
オーク族と攫われた娘がそんな関係性になっていることがどうにも信じられないようだ。
「あ、ワッフさんの言ってることはですね…」
ミエがすらすらと翻訳してクエルタに伝える。
サフィナはもう日常会話であれば大体オーク語を理解できるようになったし、シャミルに至ってはそれなりに喋ることすらできるようになっていた。
ゲルダも悪口と罵倒に関してなら存分に言えるし聞き取れるようになっている。
この中でオーク語がまったくわからないのはクエルタだけなのだ。
ただクエルタはふんふんと頷きながらもミエ自体にはやや胡乱な目を向けていた。
この世界でオーク語を積極的に学ぼうだなどと、一体何を考えているのだろう、という疑いの眼差しである。
無論ミエはそんなこと承知の上で一切気にせず彼女を遇した。
「ま、そうじゃろうな。それが普通の反応じゃ」
「そうなの?」
わざわざエルフ語で毒づくシャミルに、エルフ語で尋ね返すサフィナ。
シャミルは堪能と言うほどではないがエルフ語を解するのだ。
この中ではこの二人にしか通用しない会話である。
「ま、世界樹の成長には時間がかかるというものじゃ」
「アー…」
難事を為すには地道な努力と長い年月が必要である、というエルフ族の格言に、サフィナはこくこくと頷いて賛意を表した。
ミエがやろうとしていることはとても困難で険しいものだ。
この世界に住む住人ならばそれをよくよく知っているからである。
けれどそんな彼女に協力すると言ったのだから、自分にできることは精いっぱいやろう。
サフィナはそんな決意を新たにして、隣で楽し気に縄を綯うワッフを見つめ微笑み、彼を狂喜乱舞させた。
「そういえばワッフさん、昨日果物たくさん採ってきましたよね」
「サフィナガ果物好キダカラナア」
ミエの問いに当たり前のように呟く台詞に隣りのサフィナがぽ、と頬を赤らめ、逆隣にいるゲルダがにやにやと笑う。
そのいやらしい笑みに気づいたサフィナが頬の赤みをいや増して、ゲルダの太腿をぽかぽかと叩いた。
「ハァ…デモ果物モイイケドタマニハサフィナニ『蜂蜜』デモ喰ワセテエナア」
「『貴重などろり』? なんですそれ?」
ワッフの嘆息に、ミエが不思議そうに問い返した。
「ホラアレダベ。蜜蜂ガ守ッテル巣ニ貯メコマレタ、金色ニキラキラ輝クドロドロシタ液体デ、スンゴク甘イ…」
「ふぇ…?」
ミエが思わず硬直する。
それは彼女の知っている単語ではない。
単語ではないが、それは…
「蜂蜜…あるんですか?」
「ソリャアルベ、ミエノアネゴ。タダ…ヒッ!?」
「ア ル ン デ ス カ」
ギギギ…とその首を機械仕掛けの人形が如く回転させワッフの方を見つめるミエ。
そのあまりの迫力に飛び上がらんばかりに怯えたワッフが恐ろしい勢いでぶんぶんと頷いた。
それを聞いた途端勢い良く立ち上がったミエは…全てを放り捨ててそのまままっしぐらに我が家の方へと駆け出した。
ぽかんと彼女の背中を見守る女性陣。
「だだだだだだだだ旦那様旦那様だーんーなーさーまぁぁぁぁぁっ!!」
「オウッ!? ド、ドうシタミエ!?」
家で失敗作の果実酒を苦々しげな顔で消費していたクラスクが、凄まじい勢いで転がり込んできたミエに目を丸くする。
用事を伝える前にまず荒い息を整え、その後おかえりのキス。
ここまでは既定路線。
「あ、あの…この森、蜂蜜、取れますか…?」
「蜂蜜…!?」
ぴくん、とクラスクが眉根を顰め、真面目な顔になる。
「ミエ、蜂蜜、欲しいのカ」
「はい! できればたくさん!」
「ドれくらイダ」
「どれくらいって…えーっと…」
普通に考えたら丸ごと欲しいところだが、わざわざ尋ねてくるということは夫も蜂蜜が欲しいのだろうか。
確かにあるとすればこの世界では希少な甘味のはずである。
ミエはそう考えて要求量を減らすことにした。
「じゃあその…巣から取れる半分くらいで…」
「半分!?」
むむむむ…とクラスクが顎に手を当て考え込む。
だがミエが強く望む以上それがとても大事なことなのだろうと納得した彼は…しばしの沈黙の後酒の入った杯を置き椅子から立ち上がった。
「わかっタ。任せロ」
「はい! ありがとうございま…す……?」
ミエがお礼を言い終わらぬうちに、クラスクは常備してある手斧を三丁腰に差し、そのまま大股で外に出る。
「オイワッフ! 御夫人方のお手伝いは終わりダ! 蜂蜜取り行くゾ!」
「ワ、ワカッタダ兄貴ィ!」
クラスクの大声にびぃんと直立するワッフ。
『御婦人方』は最近ミエが導入しオーク達に定着してきた女性たちの呼び方である。
それまでのオーク族の表現があまりに女性に差別的侮蔑的だったので、女性に対する敬意を含んだ言い回しを広めたのだ。
ちなみにそれらしい表現がオーク語に一切存在しなかった(厳密にはごく僅かに存在するのだけれど、少なくともこの村は条件を満たしていない)ため、この用語自体は北方語からそのまま持ち込んでいる。
なのでまだオーク語を解さぬクエルタにもその部分だけは聞き分けることができた。
「ワッフ! オ前ハラオ呼ンデ来イ!」
「ワカッタダ兄貴スグニ行イッテクルダァ!」
どたどた、と駆け去るワッフ。
手を振って送り出すサフィナ。
クラスクはその足でどすどすと他の家より一回り大きな、最近増改築されたらしき家に踏み入る。
「オイリーパグイつマで寝テやがル! トットト起きロ! 蜂蜜取りダ!」
「エ? ムニャ…エ? ハチミツ!?」
「テメェハそノ眠そウナ目ェ擦っタらイつモノ調子デ村ノ連中何人カ集めテ来イ! 大急ぎダ!」
「ハ、ハイ兄ィ今スグニィィィ!」
わたわたと外に飛び出るリーパグ。
そしていつものハッタリと挑発とヨイショで瞬く間にオークの助っ人を三人連れてきた。
「え? …ふぇ?」
自分のおねだりが何か予想外の大事になりつつあることに理解が追い付かないミエ。
村の中央にはクラスクの下に6名のオークが集っていた。
なぜか全員武装し、大きな壺を抱えている。
「蜂蜜ダ。ウチノ嫁ガ欲シがっテル!」
「アネゴガ…?」
「ミエ・アネゴガ…!?」
「ヤ、ヤルシカネエ…」
「ヤルナラヤラネバ」
ざわざわとざわつくオークども。
「ミエ、蜂蜜欲しイ! 俺蜂蜜採ル! オ前ラ手伝ウ!」
「マカセロ! 俺達強イ!」
彼らの返事に深く頷いたクラスクが…大きく息を吸って叫ぶ。
「よぉーしお前ラ! 蜂蜜が喰イタイカァ!」
「「「オオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」
片腕を上げながらオーク達が叫ぶ。
オークの子供たちがなんだなんだと集まってくる。
「イイかァ…俺達ハ…強イ!」
「「「俺達ハ強イ!」」」
「蜂蜜奪ウ! オークの仕事!」
「「「蜂蜜奪ウ! オークノ仕事!!」」」
「野郎ドモ出陣ダァ!!」
「「「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」」」
地面を踏み鳴らし、勇壮な横顔で村を出るクラスク達。
「ほほう、まさか蜂蜜採りが間近で行われようとは。これは興味あるのう。お主らも見学しに行かんか?」
「はっはー! 面白そうだな! アタシは行くぜ」
「サ、サフィナも、はちみつすき…」
「私はいいわ…」
ゲルダとサフィナが賛同し、クエルタは遠慮した。
そんな中…ただ一人事態が呑み込めていないミエ。
「ふぇ? え? だって蜂蜜ですよね?」
「蜂蜜じゃよ?」
シャミルが怪訝そうに頷く。
「蜂蜜ってその…蜂の蜜ですよね?」
「そりゃそうだろ」
ゲルダが腕を組んで頷く。
「あのとろっとして甘い…」
「甘くておいしい。サフィナだいすき」
こくこく、とサフィナが幾度も頷く。
おかしい。
証言を集める限りミエの認識しているハチミツとなんら齟齬はないはずだ。
それがなぜこんなにも大事になっているのだろうか。
ミエだけが…わけもわからず左右を見渡し混乱していた。
「…………なんで?」