第670話 土地権利問題
「まーそんなわけでここにあったエルフの森はわるーい赤竜に焼かれて住んでたエルフは追い出されちゃったわけさー」
「ほへー、わるーいドラゴン!」
「でもでもさ、その赤い竜って確かクラスクがやっつけてくれたんでしょ?」
「そうなの!?」
シャルの言葉にびっくりして目を丸くするヴィラ。
頭を掻きながら困惑するユーアレニル。
「こらこら、うちの村の成立経緯を説明した時に話したであろう」
「おー…?」
ヴィラが顎に人差し指を当てて首を捻る。
「なんか言われたような気がする」
「ウム。言ってあるのだ」
「でジェイルシャルちゃん…」
「シャルでいいわよ。長いし」
「じゃあシャルちゃんの言う通り、ここを縄張りにしてたドラゴンはうちの太守様の手によって倒されました!」
「おー、すごい!」
ヴィラが大振りに拍手をして、シャルとエィレもそれに倣った。
確かにすごいことだ。
なにせ千年近くに渡ってこの地方に君臨し暴虐の限りを尽くしてきた、御伽噺にすら語られている忌まわしき赤き巨竜を倒してのけたのだから。
「そんでこのあたりの『狩り庭』が竜の縄張りじゃなくなったってことでー、元住んでたエルフ達がクラスク市に訴えてきたワケさー。ここは我らの故郷があった場所なのだから明け渡してくれ、ってね」
「ええっと……」
エィレは首を捻って少し考えた。
確かに故郷を取り戻したい気持ちはわかる。
だがクラスク市が、そして太守クラスクが命がけで竜を退治して手にしたものをはいそうですかと渡していいものなのだろうか。
「そのあたりの法律ってどうなってましたっけ…というかそもそも国際法上はアルザス王国の領土ですよね?」
「うーんそうだね。ただ今回は竜の縄張り、ってのがキモでねえ…」
× × ×
「確かにお主らにはかつてあの地に於いて生活を営んでいた証拠がある。まあエルフ族にとっては千年近く前であっても親や祖父程度の代替わりでしかないからの。直近と言えば直近じゃろうが」
時は半年近く前、クラスク市上街にある居館の応接室。
そこにエルフ達が数人詰め掛けて市に直談判していた。
千年以上前、かの赤竜の狩り庭が無人荒野と成り果てる前、未だ豊かな森が広がっていた頃そこ住んでいたとされるエルフ族の末裔が、かの地に再びエルフの村を作らせろと訴えてきたのである。
「あー…人間だと千年前って言ったら大昔ですけど、確かにエルフ族なら一、二世代前の話ですもんねえ」
椅子に座りエルフ達の折衝しているシャミルの後ろでミエが感心したように呟く。
その背後のソファにどっかと座り耳を傾けているのはこの街の太守クラスクだ。
エルフ達の視線が知らず険しくなり、睨むような目つきでクラスクを見据えている。
まあオーク族は森に住みつくことも珍しくないし、エルフの集落を襲撃することもよくある。
そのために森を平気で焼いたりもする。
エルフ族にとって決して許せぬ存在なのだ。
つい目つきが悪くなってしまうのも詮無きことなのかもしれない。
「これこれ。お主らが己の故郷を取り戻さんと欲するならば自ら出向いてかの赤竜から奪い返せばよかったではないか。なぜそうせなんだ」
「したとも! しようとしたとも! 幾度も! 幾度も!」
シャミルの安い挑発に簡単に乗って激高するエルフ達。
千年近くに及ぶ彼らの挑戦は、だが悉く失敗に終わっていた。
「であろうな。誇り高きエルフ族が竜如きに己の故郷を奪われ生き恥を晒したままおめおめと生き永らえる事に耐えられるとは思えん」
「ちょっとシャミルさんシャミルさん言い方?」
あわあわと小声でシャミルに注意を促すミエ。
だがシャミルの舌鋒は止まらない。
「じゃがそれでも千年かけて果たせなかったのであろう? それをこの街の太守殿は果たしおおせたわけじゃ。じゃからこそお主らはここにいて、竜ではなくオーク相手じゃからと強気に主張しておるわけじゃ。ならばその積年の怨敵を見事討ち果たした相手に感謝こそすれ敵意を持った目を向けるのは些か筋違いではないか」
「む……」
ぐうの音も出ない正論に押し黙るエルフ達。
「ほれ太守殿、お主も何か言ってやれ」
「構わン」
「なに?」
「構わント言っタ」
シャミルの煽りに、クラスクは事も無げに答えた。
「オーク族ガ積み重ねテ来タ負の歴史ハ俺ガ背負ウ。話の通ジルオークそうそうイナイからナ。ダから俺に憎しみの目向けテモイイ。それオーク族の長の責任」
「真面目な奴じゃのー」
重々しい内容をさらりと言い切るそのオークをエルフ達は驚きの目で見つめる。
その横ではミエがきゃーきゃーと黄色い声を上げながらクラスクに黄色い声援を送っていた。
「で、話を戻すぞ。お主らは確かにかつてあの地に住んでおったのじゃろう。証拠もある。じゃが今のあの地には汝らの生活の『跡』がない。それではお主らにあの土地の権利はなかろうよ。権利の受動的放棄、いわゆる『消滅時効』という奴じゃ」
「へー…時効なんて法律あるんですね。こっちにも」
「国同士の領土争いの解決のために生まれた国際法の概念じゃ。とゆーかお主こそよく知っておるの」
「あはははははは…」
国境地帯のある街を国Aが領有し、それを国Bが占領し、その後国Cが奪い、その後竜に蹂躙されその街が滅ぼされ、最後にその竜が討たれた場合、一体その街はどこの国の所属であり、領土なのだろう。
一向に減らぬ国同士のそうした争いに対し、国際法は明快に答えを出している。
土地の権利は常にもっとも最近その土地を所有していた国のものとする。
ただし国際法の規約を無視して奪った土地はその限りではない。
そして…その地に人が住み生活した跡がないまま五十年が経過した場合、その国はその土地の権利を失う。
この最後の条項がシャミルの言う『消滅時効』である。
五十年は少々長い気もするが、この世界では人間族はだいぶ短命な種族であり、五十年程度大して気にならぬ種も多い。
ゆえに少々長めにとって五十年としているわけだ。
この消滅時効を設定しないと、せっかく開墾して領土を広げたのにやれ二千年前にここに我が国があった云々などのような異種族同士の権利の主張で軋轢が発生してしまう。
寿命の差による感覚の相違により、他種族同士こうした問題は常に発生する危険があるわけだ。
「お主らが住んでおったのは千年も昔。その後かの地は長きに渡って赤竜のなわばりだったわけじゃ。いかに強硬に主張しようとお主らの権利は失われて久しいぞ」
「だが……!」
わかっている。
エルフ族は高度な知性と叡智を携えているのだ。
そのくらい言われなくともわかっている。
わかってはいるが…それでもなお故郷が忘れられないのである。
「なにより今回は赤竜の狩り庭じゃったからな。普通に考えればあの土地の所有権はうちの太守殿にあると言っていいじゃろう。なんなら国際会議を開いて採決を取っても良いぞ」
そう、単に権利が消滅しただけなら実はたいした問題ではない。
その地を己で耕してしまえばいいだけなのだから。
かの狩り庭は領土としてはアルザス王国の一部ではある。
だがアルザス王国は建国してわずか五十年。
当然彼らが国を造る遥か昔からそこに赤竜の縄張りはあった。
赤竜を迂闊に刺激すれば休眠期明けに王国全土に災禍を巻き起こしかねない。
ゆえに触らぬ神に祟りなしとかの地はどの貴族の領土でもなく、また耕作されることなく放置されてきた。
つまり『放棄地』だったのだ。
放棄地であり、そして人が住まぬがゆえにその荒野には瘴気も色濃かった。
となればそこに入植し土地を耕して瘴気を浄化すればそれは耕した当人の土地となる。
『瘴気法』による取り決めだ。
無論国土としてはアルザス王国の一部であるため土地の権利を得ても国に税金は納めなければならない。
どの貴族も納めていない土地は厳密には国王直轄地として扱われるため、この場合国王に税を納める義務がある。
だが…ここに法の穴、法律の隙間がある。
そこは竜の狩り庭であり、竜の縄張りだった。
それはつまり…その土地に関する法律は『討竜法』に則る、という事だ。
『討竜法』によれば竜の所有する全ての財産は討伐者が所有権を得る。
ただしもしその竜が縄張りを所持していた場合、その縄張りは土地の本来の権利者に返還すべし、とある。
逆に言えば竜の縄張りに本来の権利者がいなかった場合、それは『財産』として討伐者が獲得できるのだ。
なにせかの狩り庭から赤蛇山脈までのかの赤竜の縄張りには基本どこにも生活の跡がない。
竜が目覚めると同時に滅ぶ村などに誰が好んで住み暮らすというのだろう。
狩り庭自体もアルザス王国の国土と言うが、王国の民がそこに暮らした歴史は一日たりともなく、そうした意味で権利を放棄したと言われても反論できぬ。
そう、ゆえに現在法に則って考えるならば…
かの狩り庭の所有権はクラスク市太守クラスクにある、と主張することができるのだ。




