第668話 森の案内人
「こーんにーちはー…」
ようやく森に辿り着いた一行は街道から横の森を覗き込み声をかける。
姿はないけれどエルフ族が関わっているというのならこの距離まで巨人族が近づいて気づかぬはずがない。
「……この森に何用だ。移住希望者か?」
がさり、と近くの藪の向こうから何者かが姿を現し誰何する。
エルフ族だ。
話しているのは普通の共通語である。
ただ背に弓を負ってはいても構えてはいない。
どうやら巨人というだけで敵対的にはなっていないようだ。
「イジュウキボウシャ?」
「…この森に住みつきに来たのかって聞いてるのよ」
首をひねるヴィラに向かって、耳の横に座っているシャルが告げる。
ヴィラは共通語を覚えたてであまり難しい単語を知らぬのである。
「イジューシャキボーちがう」
「い・じゅ・う・き・ぼ・う・しゃ!」
「それ」
耳打ちと呼ぶにはやや大きすぎるシャルのツッコミに頷いたヴィラが自分達の用件を告げる。
「けんがく? にきた」
「そうか。森の木々を勝手に折ったりせんように」
「わかった。気を付ける!」
「よろしい。では好きにするといい」
それだけ告げるとそのエルフは再び藪の向こうに消えた。
こう歩き去ったというより本当に消え失せたように見えた。
ぎょっとして身を乗り出しきょろきょろと見回すヴィラだったが、先ほどのエルフの背中を見つける事は遂にできなかった。
「いない! きえた!」
「まあエルフだからね…」
エィレの台詞にヴィラがきらっきらに瞳を輝かせた。
「エルフきえるの!? エルフすごい!」
「いえそういうわけじゃなくって…ねえシャル?」
「エルフって消えるのね! すごいわ!」
「シャルまでー!?」
思わずツッコミを入れてしまうエィレだがそれは仕方ない。
シャルは常識人のように見えるが人魚族である。
人魚は地上世界についてあまり詳しくない。
知識も伝聞や噂話が主である。
それに加えてシャルは地上について学ぶ間もなく攫われてしまったのだ。
地上の異種族についての造詣など詳しくないが当たり前なのである。
もちろん今の彼女は地上世界についてある程度詳しくはある。
ミエ達に助け出されたあと地上世界について色々と学んだからだ。
ただその知識は彼女が実地に出歩いたクラスク市の市内のものに限られる。
街中にはエルフの姿は多くない。
ドワーフや小人族などは結構な数がいるがエルフはかなり少ないのだ。
しかも街中のエルフを観察していたとしても今のように突然消え失せたりすることはまずないだろう。
今彼女達の前で披露した≪姿隠し≫は森の神から生み出された彼らならではのものであり、その真価は森の中でこそ発揮される。
街中のエルフはいわば陸に打ち上げられた魚のようなものなのだ。
「まあここが彼らの本拠であるがゆえ地の利があるのだろう。そう驚くにもあたるまい」
そうフォローしながらもユーアレニルがこっそり視線を斜め左の方へ向けていたことにエィレは気づいた。
おそらくそちらの方に先のエルフが去っていったのだろう。
そう推察できるだけでエィレにはどこにいるのかさっぱりわからなかったし、ユーアレニルがどうやってそれを見破ったのかもわからなかったけれど。
「まあともかく森の周りを少し歩いてみるとしよう。ミエ様が仰るには森林浴と言うらしいぞ」
「おー、リンリンヨク!」
「森林浴だ」
散歩がてらに森の周囲の歩く一行。
たかが森ではあるけれど、ヴィラもこれほど大きな森を間近で見たことはないし、シャルに至っては地上でまともに外を歩くこと自体稀なのでそもそも森自体間近で見たことがない。
なにせ彼女の場合うっかり己の種族が露見してしまったらそのまま拐かされてもおかしくないのだ。
一人で人気のない場所を出歩きたくないのも道理であろう。
そしてエィレもこの規模の森を見るのは初めてだ。
なにせこの規模の森になれば大抵エルフが住んでいる。
この国の……いやこの地方のエルフ族は基本人間族と仲が悪いのだ。
もし迂闊に近づいて王女が射殺されでもされたら一大事である。
ゆえに彼女はこれまで大きな森に近づくことは禁じられていたのだ。
「へー、海藻の森もすごいけど地上のもこれはこれで大きいわね」
「私もこんなに近くで見たのは初めてです」
シャルとエィレが感心したように森の木々を見上げている。
「…山の方の森よりちょっと木が小さい?」
ただヴィラは森自体を見たことは何度もあるため、他の森と比べる事ができた。
この森の『若さ』が気になったようである。
「であろうな。この森はつい最近できたばかりの若い森だ。エルフ族が早育ちのまじない…精霊魔術、だったか、をかけておるから急速に育っておるがな」
「ですよね。だってそもそもここって確か…ええっと……」
エィレは脳内で家庭教師から教わった王国の地図を思い浮かべる。
「確か『狩り庭』……無人荒野って呼ばれてたあたりじゃないです?」
そう…その森のあった辺りは、確かにかつてそう呼ばれていた。
半年前まで、およそ千年近くの間。
「おお、流石によく知っておるな」
「それがあっという間に森に……」
「うむ。それについては申し訳ないが私もあまり詳しくは知らぬのだ。現代の知識を学ぶばかりで過去まで学んでおる暇がなかったゆえな」
「そうなんですか…」
ユーアレニルは随分と博識で、そのお陰でエィレは彼ならなんでも知っていると思い込んでいたけれど、どうやら彼も必死に知識を学んでいる最中らしい。
まあそれを言い出すとそもそも博識な食人鬼、という前提がおかしいのだけれど。
「というわけで解説役を用意しておいた。さてこの辺りで待ち合わせのはずだが…おおい、姉弟子殿!」
「呼ばれてホイきた!」
「え…?」
ユーアレニルが森の方に向かって大声で叫ぶと、数瞬の後森から何者かが飛び出してきた。
地上でなく、木々の枝葉の間から、字の如く『飛び』出して来たのである。
「ほっほーユーはまだ見習いの分際で随分とまあ女を侍らせてさあー。いい御身分じゃないのーこのこのー」
それは一見すると小娘であった。
見た目は小柄な…小人族ほどの背丈の娘で、その身に比してだいぶ大き目な三角帽子を被り黒いローブを身に纏っている。
そして彼女の『上』には箒があった。
いわゆる空飛ぶ魔法の箒である。
彼女はそれに両の膝窩…つまり膝裏でぶら下がり、森を抜け空を飛んできたのである。
「ええっと…ノーム族…?」
「ホイホイせいかーい! ノーム族の魔導師さんだよー」
片手をひらひらさせながら挨拶するノームの娘。
「…姉弟子殿」
「なんじゃらホイ、ユー君」
見上げる形でそのノームの娘に視線を向けるユーアレニル。
姉弟子、と呼ぶ以上魔導師としての先達ということだろうか。
背丈的には圧倒的に彼の方が大きいのだけれど。
「助っ人としてわざわざやって来てあげたこの姉弟子にもっと尊敬の眼差しを向けてくれてもよいのだよ君ー? 何か言うことはないのかねー?」
「その格好ですとローブが下にずれ落ちて太股と下着が丸見えですな」
「いやんエッチ」
エィレ達の上空で箒にぶら下がったまま浮遊している彼女のローブは重力に逆らえず、彼女の太腿とその黒い下着の端が露わになっていた。
ぽ、と頬を染め片手で己のローブを抑えるノームの娘。
「なになに? 姉弟子の下着と瑞々しい太腿を見て欲情しちゃった? ユー君ったらこのこのーこのすけべー」
「いえそのような肌を見せられると食欲がわいて困ります。自制はできますが一応食人鬼ですので」
「性欲じゃなくて食欲かよ! 性的な意味じゃなくて物理的に食べたいのかよ! 怖いわ!」
びし! と片手でツッコミを入れるノームの姉弟子。
そして手をツッコミに使ったことで再びずり落ちるローブ。
露わになる黒い下着。
「いやんエッチ」
…どうやら随分とノリの軽い姉弟子のようだ。




