第663話 時が止まった村
「それで…隣村の古馴染みって方が何者かはわかったんです?」
ミエから一応の質問が飛んだ。
だが答えを聞くまでもなくミエには…というか一同にはある程度の答えが予測できていた。
『隣村の古馴染み』など存在しない。
それが、ミエたちの出した答えである。
まず怪しいのがピンポイントにクラスク市を勧めている点。
次にクラスク市にやってきた人型生物以外の者達の幾人かに似通った…『近隣の村や集落の古くからの知り合い』…という証言が存在すること。
そしてその隣人についての詳しい情報は皆一様にはっきりと覚えていないこと。
以上のことからミエたちが導出した結論はこうだ。
魔導術の中でも[精神]系統の呪文は対象の心に作用する。
対象に眠気を催させたり、或いは悲しい気持ちにさせたり、心を怒りで満たして攻撃力を強化したり…などといった呪文群だ。
その性質上[精神]特性を持たぬ存在…知性を持たぬ粘体やスケルトン・ゾンビといった低位の不死者、ゴーレムなどの人造などには全く効果がないが、逆に精神を有する者相手であれば心を操ることは敵の完全無力化から情報収集、より高位の呪文になれば人格支配や記憶操作を行う事で強力な敵を裏切らせ味方戦力にできる…などと戦況をひっくり返すほどの絶大な効果を発揮する系統でもある。
そうした呪文の中には相手の認識を曖昧にし、術者を親しい相手、或いは信頼できる相手と誤認させてしまうものもある。
〈魅了〉の呪文であれば魅了された対象は術者のことをとても親しい相手と思い込むし、〈提案〉の呪文であれば術にかかった対象にとって術者の提案は実にもっともらしく価値のあるものに聞こえる。
まあ対象が人型生物でない場合、より上位の〈人外魅了〉などの呪文が必要になったりする…種族が離れるほど精神構造がズレてゆくため、より高度な術式で補正する必要があるためだ…が、そうした術にかかった相手に、己の正体を偽ってもっともらしい知識や情報を教え込ませ信じ込ませる、といった芸当をすることも十分可能である。
そうした呪文で相手を言いくるめる場合、当人の家族…例えば親兄弟などを偽装した方が信用度は高いかもしれない。
だがその場合同時に術が破れてしまうリスクも上がってしまう。
人の記憶などに影響を及ぼす術だけに、大きな矛盾などがあった場合正常な認識や記憶を取り戻されてしまう恐れがあるためだ。
とするなら己の偽る身分は『近隣の村や集落に住まう親しい誰か』が望ましい。
同じ集落内でなければ普段ほとんど合わぬため記憶との矛盾は生じにくいし、隣村程度であれば親しい相手がいても不思議ではないためだ。
つまり聞き取り証言に登場する件の怪しい人物の立ち位置は、己の身分を誤魔化すのに実に都合のいい距離感なのである。
ただしいかに術で誤魔化すにも限度がある。
巨人族のにとって『隣村』とは普通他の巨人族が住んでいる村を指すだろう。
そこに巨人族以外の…人間族の魔導師などがいて隣村の住人を名乗ってもそれは信用されにくい。
術自体が効果を発揮しない恐れすらある。
とするなら…その『何者か』は以下のことを行ったと推測される。
・人型生物以外の知的生物を対象とする。
・己の種族に対し疑念や距離感を抱いている者を探し出す。
・何らかの手段で相手と同じ種族に偽装する。
・精神効果のある術などを用いて信用を得て、クラスク市の情報を流し、この街に誘導する。
ただ…そこまでわかった上で、その人物の目的は現状不明である。
その人物が示唆したのはクラスク市の存在までで、魔術によるなんらかの精神的な後押しや刷り込みなどがあったにせよ、移住を決断したのはこの村に来た各人の意思である。
その点についてはネッカやイエタ、それにサフィナが保証済みだ。
また移住してきた彼らが現状街に迷惑をかけているでもない。
自分達が人界に住み暮らす困難を理解した上で、各々が自分にできる仕事に従事しているし、そのお陰で助かっている部分すらある。
無論その異貌や種族の悪評などから安易に街の住人と一緒に作業できぬ者も多いし、彼らに適した仕事の斡旋などで苦労することもあるけれど、おおむね平和裏に共存できていると言っていいだろう。
稀にサフィナが怯えるような危険な連中が己の内心を偽って導かれてくることもあるが、それらは全て水際で止められているし、現状クラスク市にはデメリットよりもメリットの方が多いのだ。
ともあれ正体こそ不明だが、そんな人物がまたヴィラウアをこの街に寄越したのでは…とミエも一同も思い込んでいたのだが…
「イナカッタゾ」
だが…スフォーの報告は彼女たちの想像とは少し様相が違っていた。
「いなかった…っていうのはやっぱり隣村にそんな人がいなかったっていうことですか?」
ミエにそう問われたスフォーは、少し言葉を探すようにしてこう返した。
「マアソレハソレデ間違ッテネエカナ」
「…? なんか含みのある言い方ですね。他に何か問題あるんです?」
ミエの重ねての質問に対して…スフォーは肩をすくめこう答えた。
「アヤシゲナ奴ダケジャネエヨ。誰モイナカッタンダ」
「「「うん……?」」」
スフォーの報告に、その場にいた一同が眉をひそめる。
「それは…なんだ。隣村なんてもの自体がなかった、というわけではなくか?」
「ウンニャ。隣村ハアッタヨ。タダソコニャー人ッコ一人…ジャネエカ。巨人ッコ一人イヤシナカッタンダ」
キャスのけげんそうな問いにスフォーは首を振って応じる。
「それはええっと…その隣村は元から廃村だった、ということですか?」
「ソウデモネエナ。巨人ガ住ンデタハズダ。ソレモツイ最近マデナ」
「最近まで…と言い切るってことは何かの確証があるってことでふ?」
イエタとネッカの二人の質問に、スフォーははっきりと頷き己が見た光景を伝える。
「アア。食事ノ跡ガアッタカラナ。少シ腐ッテタガソコマデ古クハネエ。イナクナッタトシタラココ数カ月ッテトコダロ」
ますますもって不思議な状況に、ミエが首を捻る。
「食事の跡…ってことはなんです? ごはん食べてる時にみんなして村を出たみたいな…?」
「ソウジャネエ。飯ノ作リカケノ跡ダ。マア俺ガ中ニ入レルクライデケー皿ダッタケドヨ」
「「「……はい?」」」
ますます妙な話になって来て、キャスが頭を掻きながら一歩前に出た。
「状況を確認したい。それは事件性のある話なのか。こう例えば…その隣村とやらが襲われ巨人たちが全て殺されていた、のような」
食事を作りかけている以上その作り手は最後まで作る気があったといことだろう。
それが途中で打ち切られている以上、食事の最中に何者かが村にやって来てそのまま襲撃された、と考えるのが妥当ではある。
だがスフォーの返事はそうではなかった。
「チゲーヨ。最初に言ッタダロ。村ニャ誰モイナカッタンダ。家ニハ飯ガ作リカケ、川ノ近クニャ桶ガ置キッパナシ。雑草ダラケノ雑穀畑ニャ抜キカケノ雑草ガ枯レテ積マレタマンマ。ダガ村ニャ誰モイネエ」
「それは…殺された後死体が埋められていた、などということではなくか」
「俺ノ見ル限リ村ニャ争ッタ形跡自体ガネエ。血ノ跡モナカッタ」
それは…どういうことだろうか。
つまり川で水を汲み、畑で雑草を抜き、家では食事の支度をしていた原始的ながら牧歌的な暮らしをしていたと思われる巨人族の村から、ただ村人だけがふっと消え失せた、ということだろうか。
それも争った形跡すらなく、唐突に、村ごと。
……忽然と。




