第647話 カワイイを求めて
〈変身〉は『変化』系統の呪文であり、そのもっとも代表的かつポピュラーな呪文でもある。
自身もしくは対象を指定した種族に変身させるもので、対象も人型生物に留まらず巨人や魔獣、動物、植物、妖精、竜種からスライムのような原形質に至るまで幅広い。
ただし実体を持たぬ生物…すなわち風や火の精霊、或いは死霊や悪霊と言った幽体になることはできない。
この呪文によって変身した生物は変身後の姿の肉体的特徴を得る。
すなわち巨人族に変身すれば巨人の怪力を得られるし、熊に変身すれば強力な爪や噛みつきで攻撃する事が可能だ。
一方でその生物が有している特殊能力は使用できない。
例えば魔導師がこの呪文で竜に変身すれば竜の巨躯と怪力、それに爪や牙を得られるし、その背中の羽で空を飛ぶことも可能だが、物理障壁や魔術結界を獲得することはできないし炎を吐くこともできず、≪畏怖たるその身≫を用いて対象を恐怖に包むこともできなければ炎(或いは冷気など、竜の種別による)に対する耐性なども得られないのだ。
そうした意味に於いてはこの呪文が変えるのは対象の『見た目上の』種族である、と定義する事ができる。
対象の本質的な種族は変わらぬままなのだ。
逆に言えば例えば竜種が魔術によって人型生物に変身していたとしても、変わらず『竜殺し』は効き目があることになる。
そうした内面的な、本質的な種族すら変える上位の変身呪文もあるにはあるが、こちらは相当高度な術である。
世界中を見渡しても使える者はおいそれとはいないだろう。
さらにこの呪文のもう一つ問題がある。
『持続時間』である。
「このまじない、夕方くらいまでしかもたない。だからその前に街でないとダメ」
「ああ…一日限りの姿なんだね」
「そうー。がっくし」
エィレの言葉を肯定しながら肩を落とすヴィラウラ。
知識や情報を得る『占術』系統の呪文が戦争などとともに発展したきた魔導術の基礎であるとするなら、ものの本質を根本的に変える『変化』系統の呪文は魔導術の花形と言ってもいいだろう。
味方の兵士の筋力を増し、羽を生やして空を飛び、指先から放った光で相手を石に変え、小鳥に変化して敵陣深くまで潜り込み、鼠となって秘密を盗み聞く。
『変化』の系統は戦闘にも移動にも、さらには知恵を働かせれば潜入工作や情報収集にも活用でき、応用範囲が広いからだ。
ただし何かを別の何かに変えてしまうというのは非常に高度な魔術方程式であり、式を組む難度がとても高い。
また無生物を無生物に、のように近しい性質のものに変えるのは比較的容易だがそうでなければ難度が格段に跳ね上がる、といった特性もある。
例えばこの街の宮廷魔導師長にして魔導学院学院長であるネッカが得意とする土や石に関わる『変化』系統の呪文…〈泥化〉や〈泥を石に〉などは『土を泥に』あるいは『泥を石に』変成させる呪文である。
それらは無生物な上にいずれも性質が近く、親和性が高い。
そのため永続的に性質を変える事ができるのだ。
逆に言えば生物を別の生物に変えるのは難度が高い。
だがあまり術の位階を上げすぎると今度は唱えられる者が限られてしまう。
結果として…生物への変身呪文は幾つかの制約がつくこととなった。
そのひとつが先述の通り対象の種別・種族が本質的に変わらぬこと。
そしてもう一つが持続時間の短さである。
そう、永続的に対象の性質が変質してしまう〈泥化〉などの呪文と異なり、〈変身〉の呪文はあくまで限られた時間だけ対象を変質させる呪文であり、ゆえにヴィラウアの言う通り時間と共に効果が切れてしまうのだ。
「魔術のサービスお金かかる。だからはやく街の中! はやく!」
「わ、わかった!」
ヴィラウアにせかされるようにして街の中に入るエィレ。
二人はたちまち雑踏の中に飲み込まれていった。
「このあたりは小鍛冶街だから武器とか防具とか売ってるよね」
「そうみたい」
「ヴィラは新しい武器新調するの?」
エィレの問いにヴィラウアはぶんぶんと首を振る。
「武器とかいらない! ええっと、ぼっち? これぼっち?」
「これっぽっちも?」
「そう! それ! これっぽっちもいらない!」
「ふうん…?」
巨人族と言えば戦闘種族のイメージが強く、物語でもだいたい打ち倒す難敵か或いは強すぎて力押しが無理だからと知恵で切り抜ける障害物扱いであることが殆どだ。
馬車などで移動している最中に怪物と遭遇した時の対処なども王宮の家庭教師から教わっていたけれど、巨人族と合った時の対処は一も二もなく逃げる事だった。
巨人側の選択肢が大抵襲撃からの殺害か略奪だからである。
けれど人型生物の街にわざわざやってきて住み着きたいなどと希望する以上ヴィラウアにはそうした巨人族の生業については距離を置いているのかもしれない。
「じゃあじゃあ、ヴィラは街の中に何の用なの? わたし門の前で待ち合わせだからてっきり街の外に出るものかと思ってたけど…」
まあエィレがイメージしていたのは巨人の姿でのヴィラとのお出かけだったのだからそう考えるのは当然だろうが。
「おしゃれ!」
「おしゃれ!?」
完全に予想外の言葉が飛び出してエィレは仰天した。
だが言われてみると確かに昨日着ていた服もあの巨体に合わせてあつらえたカラフルな民族衣装のようなものだったし、今日着ているのも人間族のサイズで仕立てたらしききちんとした服で、いわゆる巨人族のイメージとはかけ離れている。
お洒落に興味があるというのは本当かもしれない。
「わたし『キレイ』、好き! あと共通語べんきょして知った言葉、『カワイイ』も好き!」
「カワイイ…」
「カワイイ」
エィレの呟きにヴィラウアは大きく頷く。
「だから昨日声かけられてびっくりした」
「だから? だからってどういう意味?」
会話の整合性が掴めずエィレが思わず首を捻る。
だがヴィラウアは大まじめにぶんぶんと首を縦に振りこう続けた。
「エィレ、とってもカワイイ! 顔も! お洋服も! すっごく、すっごくカワイイ!」
「ええっ!?」
両手を大きく広げ、雑踏の中ヴィラウアが叫ぶ。
何事かと周囲の視線が一斉に集まって、エィレは慌ててヴィラウアの手を引きその場から離脱した。
「かわいい…?」
「そう、エィレすっごくかわいい。びっくり。だからお友達になれてすごくうれしい…!」
瞳をキラキラに輝かせてヴィラウアは力説する。
褒められるのは嬉しいけれどあまり己の容貌にそうした自覚のないエィレは少々戸惑った。
もちろん賞賛の言葉自体は幼い頃から(今でもまだ幼さを残す年齢ではあるのだが)散々言われているし言われ慣れてもいる。
何せエィレはアルザス王国の王女なのだ。
仕立て職人などの口からそんなおべんちゃらは幾らでも聞いたことがある。
けれどエィレはそれを世辞として受け取っていた。
王族なのだからとりあえず褒められるだろうと、そう割り切って自らの心に虚栄心を満たしたりはしなかった。
権力の座、その庇護下にあって、そうした権力者が陥りがちな驕り高ぶりにその心が侵されなかったのはひとえに彼女の奔放さゆえであろう。
そのお転婆な性格ゆえ城を抜け出すことの多かった彼女は、城にいたどの貴族より市井の暮らしを知っていた。
だから貴族の中だけ、王族の間だけではない人間関係や価値観を彼女は知っていて、ゆえに偉い相手の御機嫌を取るために皆が世辞やおべんちゃらを使う、というものもまた習い覚えていたのだ。
…まあ彼女はそうして己に対する賞賛を心の内でずっと切って捨てていたのだが、実際のところ彼女に対し心からの賞賛を述べた者は少なくなかったのだろう。
エィレの容貌も仕草も全身から溢れ出るその躍動感も、驚くほどに奇麗で美しく、それでいて愛らしい。
当人にその自覚はなかったのかもしれないが。
「わたしもいっぱいいっぱいかわいくなる…なりたい! カタログだけだといろいろ足りない! まじないでニンゲンの姿になるのもお金かかる! だから今日いっぱいお店まわる!」
ぶうんと大きく首を回し、ヴィラウアはエィレの方に向き直る。
「てつだってほしい!」
そんなことを頼まれたなら…エィレの答えは決まっていた。
「もっちろん! お友達の頼みだもん!」




