第64話 それぞれの事情~シャミルの場合(後編)~
「「地底…?」」
「うむ」
怪訝そうに顔を見合わせ首を捻るミエとゲルダ。
そしてなぜか顔を真っ青にして震えているサフィナ。
彼女らの前でシャミルが杯を傾け茶を啜る。
「む、苦いの」
「すいません! せっかく森で香草が手に入るようになったからハーブティーでも作れないかなと思ったんですけどまだ思ったような味にならなくて…」
「よいよい。苦いのも嫌いではないでな。で、サフィナは何を知っておる?」
「地底…怖いの。怖いのいっぱいなの。すっごくすっごく気を付けないとダメって、言われたの…」
「…そうじゃな」
椅子に深く座り直し、シャミルは話を続けた。
「地底には深く危険な迷宮と空洞が広がっておって、そこに大きな街や巨大な帝国すらあると言われておる。地上世界との交流はないゆえ詳しくはわからんがの」
「地底世界! 面白そうですねえ。なにかこう夢があるというか…」
「夢なものか。れっきとした現実で、そして脅威じゃ。なにせ地底の連中の最終目的は地上の生物を根絶やしにして己らが地上の支配者となることじゃと言われとるからのう」
「なにそれこわい」
「物騒な話だなオイ」
ゲルダの人食い鬼の件もそうだが、随分と剣呑な話である。
ミエは改めてこの世界の危険について実感し、気を引き締めた。
「…で、先刻言うたその爆発と崩落で地下世界と繋がったそこから、地底世界の住人どもが現れたんじゃ。闇のオークどもじゃな」
「「「オーク?」」」
家の外に目を向けるとオークの子供たちが追いかけっこをして無邪気に遊んだり小さな斧を振るって戦いの真似事をしている。
見ようによっては些か物騒ではあるが、ミエにはそこに邪悪な気配があるようには到底思えなかった。
「旦那様が完全な暗闇でもはっきりと物が見えてるみたいで、だから私オーク族って元々洞窟の中かなんかで暮らしててそれに適応してたのかなって思ってたんですけど…もしかして地底世界の?」
挙手をして尋ねるミエにシャミルが小さく肯首する。
「そうじゃな。オークどもが持つ≪暗視≫はわしらノーム族やサフィナのようなエルフ族が有する≪夜目≫とは違う。≪夜目≫は喩え僅かでも光源があれば広い視界を確保できるが完全な暗闇では役に立たん。一方≪暗視≫は≪夜目≫ほど遠くまで見渡せるわけではなく色も識別できないが、一切光源のない完全な暗闇でもはっきりと視認できる。いわば地上での夜行性と地底での闇への適応との違いとでも言うべきか」
「それじゃあ…その、オーク族は元々地底に住む悪い存在…?」
「『だった』と言うべきじゃろうな。地底で邪悪ななにがしかの尖兵だったオーク族の一部が地上に湧いて出て、そのまま地上に適応して生き延び、繁栄した。それが地上のオーク族、ということじゃろう。今のあやつらがやっておることは確かに苛烈で残酷じゃし、思いやりや気遣いというものに色々欠けておるし、女の扱いもぞんざいじゃし、女心も解さぬし、あとは女の身体の触り方もじゃな…ぶつぶつ」
「どうどう、シャミルさんどうどう」
オーク族への不満があとからあとから湧いて出てくるシャミルをミエが宥める。
というか彼女の場合相方であるリーパグへの不満、と言うべきだろうか。
「ああすまん少し脱線してしうもうた。ともあれ少なくともこの村のオークどもは他種族から見れば酷い連中ではあるがそこまで邪悪とは思えん。やっておることは非道でも自らの種の存続と繁栄のために為しておる行為のように見える」
シャミルの言葉にミエがうんうんと同意する。
隣にいたサフィナも賛意なのか真似っこなのかこくこくこくと頷いた。
「話を戻そうか。地底からやってきたオーク共はそういう連中ではない。享楽や悦楽のために殺人を為すような邪悪な奴らと思えばよい」
「ふうん。なんとなく思い当たる節があるぜ。じゃあもしかしたら人食い鬼なんかもその地底の国とやらの住人なんかね」
「元はそうかもしれんな。まあそんな連中じゃから村は襲われ、蹂躙され、そして滅びたわけじゃ」
「…シャミルは、大丈夫だった?」
黙って聞いていたサフィナが寂しそうな、そして悲しそうな表情でおずおず、と聞いてくる。
シャミルは困ったような笑顔を浮かべ、身を乗り出してきたサフィナの頭を撫で、大きくため息をついた。
「…わしは轟音と地響きと、それにあやつの家から這い出るオークどもを見かけて事の真相を把握した時、真っ先に村から逃げ出してしもうたでな。もしわしが村を回って大声で呼びかけておったなら、わしが死ぬ代わりにもっと多くの村の者が助かったやもしれん…が、まあ検証しておらんことは断定もできん。検証も…もうできぬしな」
「…シャミルさんは悪くないですよ」
「別に慰めんでもよいミエ。わしが臆病者なのはわしが一番よくわかっておる。その臆病者だけが生き延びたというのも皮肉な話じゃが」
「シャミル、悲しい? 平気?」
サフィナが己の頭に乗せられたシャミルの手をのけて、逆にシャミルの頭に手を伸ばしそっと撫でる。
「平気じゃよ。過ぎたことはあまり気にせんのがノーム流じゃ」
「…それはいいけどよ。オークの襲撃から逃げてきたんだろ? それがなんでここにいるんだ?」
ゲルダの素朴な疑問に、シャミルは小さく噴き出し、その後ケタケタと笑い出した。
「いやそれが傑作でな! 燃え盛る村を後に必死で丘を駆け下りて、その先にあった湿地帯でぬかるみに嵌って溺れそうになり、這う這うの体で脱出してずぶ濡れの濡れ鼠となって森の中を彷徨っておったら、別口の襲撃の帰り道じゃったこの村のオーク共とばったり鉢合わせしてしまってのう。そのまま取っ捕まってしまって今ではこの有様じゃ! カカカ!」
「ははーん、さてはアホだな?」
「左様左様。アホなんじゃわしは」
シャミルの末路がゲルダのツボをついたらしく、二人して大声で笑い合う。
だがミエには到底笑い話には聞こえなかった。
「まあそんなわけでな、ミエ。ワシは確かにオークに村を滅ぼされておるしオークに捕らわれた身じゃが、別にこの村の連中に直接恨みがあるわけではないんじゃ。じゃから…お主の改革とやらに手を貸すのは吝かではない」
歯を見せて笑いかけながらそう語ったシャミルは…
神妙な面持ちのミエを前に、少しだけ声のトーンを落としてこう付け加えた。
「じゃからゆめ覚悟しておくことじゃ。お主がお主の道を進まんとするなら…この村のオークどもに直接恨みを抱いとる娘も、いずれ立ちはだかるかもしれんということをな」