第620話 アルザス王家四姉妹
「あの…お姉さま方」
「なに?」
「なにかしらー?」
「ふん、なぁに?」
長女は厳めしく、次女は優しげに、そして三女はそっけなく。
三者三様の受け応えでエィレに返事をする。
姉三人は何やら大事な話をしているようだ。
そしてそれを互いに押し付け合っているように聞こえる。
わがままな三女トゥヴァッソはともかく、優しいアッロティラソと責任感の強いエリザメスが拒絶するのは相当な難事なのだろう。
だがそれが一体何なのか。
後からやって来たエィレにはその主語がさっぱりわからなかったのだ。
なのでエィレはその議題の中身を知って早急に解決し、とっとと部屋に戻りたかった。
色々と考える事があったからだ。
だってクラスクが帰ってしまう。
一両日中にはクラスクが己の街に帰ってしまう。
そうしたらきっともう会えない。
会えないのだ。
エィレは齢13である。
13と言えばまだまだ子供の印象があるが、庶民であればとっくに働いていてもおかしくないし、貴族であれば結婚しても不思議ではない年齢である。
エィレにもいつ縁談が持ち込まれどこぞの貴族に輿入れしないとも限らないのだ。
そうなればきっともう彼に会う機会はないだろう。
なぜなら彼女の嫁ぎ先はきっとバクラダ王国のどこかだからだ。
バクラダとクラスクが治めるというあの街は仲が悪いと女官たちが言っていた。
そんなところに嫁いだら彼の街に観光に行くことさえ難しいだろう。
だからもしかしたら明日が最後。
今生で彼に会える最後になるかもしれないのである。
どうやって会えばいい?
どんな理由なら許可がもらえる?
樹から落ちたところを彼に助けてもらったと正直に話しお礼が言いたいと懇願すればいいだろうか。
それならお父様でも無下に断れないはずだ。
それがいい。
そうしよう。
そのための文言を考えなければ。
父を説得させられるだけの懇願の文句を。
だからすぐにでもこの無駄な会議を終わらせなければ。
「「「………………」」」
だというのになぜだか姉たちは口をつぐんでこの話し合いの主題を教えてくれぬ。
姉たちの扱いにため息をついたエィレはソファに深く腰掛けながら後ろに振り返った。
「じいや。教えなさい。そうでないとわざわざ呼び出された意味がありません」
「は……」
深々と頭を下げながら、彼もまた妙に口が重い。
言い出しにくいことなのだろうか。
「じいや!」
「は! 申し訳ありません!」
エィレに強く叱咤され、ようやく執事がのろのろとその口を開いた。
「それが…その。国王陛下より姫様たちに外交使節の命が下っております。この中から誰かおひとり、外交官となってかの地に出立せよ、と」
「外交官…? 外交特使でなく?」
「は……」
意外な言葉にエィレは眉をひそめた。
目的の国に向かいその地で両国の橋渡しをするのが外交官である。
それくらいはエィレも知っている。
ただそれを王女に任せるというのはだいぶんに珍しい。
王女が外交の任を担うこと自体はよくあることだ。
王族の者であれば大概美男美女揃いではあるし、特に女性であればその見目麗しさや愛らしさから相手国の王や庶民の歓心を買うのに都合がいいからだ。
ただそうした場合王族の娘が受け持つのはたいがい『外交特使』である。
外交特使は外交の任を一時的、或いは臨時に与えられた者のことで、外交特権や国家の委任状などは携えていない。
国の代表として派遣はされるが強い権限は持たぬ、使節としてはほぼ肩書のみのお飾りの存在と言っていい。
いわば人気取りのための外交要員と言えるだろう。
一方外交官となれば向かった先の国に於いて自国の代表として振舞うことが求められる。
状況に応じて外交官の判断が国の判断そのものともみなされる国家委任状などを携えた、非常に責任重大な役目だ。
ゆえにそれを王家の娘にやらせるというのは珍しい。
なぜなら祭事や戴冠の際などに派遣されてすぐに帰って来る外交特使と異なり、外交官は現地での駐在が基本だからだ。
時には数年も帰ってこないような、それも高度な政治的判断が要求される職務に、縁戚外交として使いでのある王女をわざわざ派遣するのはあまり有効な手とは思えない。
なぜお父様はそんなことを命じたのだろう。
エィレは不思議そうに首を傾げた。
「確かにこの街を離れる事になるけど、外交官ならそこまで嫌がる職務でもないんじゃ…」
エィレのもっともな言葉に、だがその場にいた誰もが同意しない。
「それが…その、そうではないのです、姫様」
「じいや、どういうこと?」
「はい……その、今回外交官として駐在して欲しいのは国ではなく…街なのです」
「街?」
「はい。街の名をクラスク市と申します」
「え……?」
ぱちくり。
エィレは目をしばたたかせた。
え? クラスク市?
ぐるぐる。
ぐるぐると思考がめぐる。
クラスク市に?
外交官?
王女が派遣?
なんで?
どうゆうこと?
突然降って湧いたその状況に混乱する。
困惑する。
けれどクラスク市、の名を聞いたことで彼の横顔を思い出した。
そして同時に彼の言葉も。
『わからナイなら考えロ。お前は賢そうダ。考えればわかル』
確かにそう言われたはずだ。
そうだ考えろ。
思考だ。
頭を使え。
ぐるぐる。
ぐるぐると思考をめぐらせる。
王女を『外交使節』として送るなら凡そ王国にとって最高に近い扱いと考えていい。
国王自らが赴くことを除けば次期国王である王太子に次いだ格式である。
だがもし『外交官』として王女を派遣するならばそれはほぼ最高峰の扱いと言っていい。
国王は論外として次期国王である王太子を相手国に常駐させるわけにはいかないし、王位継承権の高い第二王子なども同様だろう。
となると相手国に常駐させる最高格はほぼその国の王女、ということになる。
先述の通り実際そうして王女が外交官として派遣された例は殆どないのだけれど。
それはとりもなおさず…アルザス王国国王アルザス=エルスフィル三世が、地方の一都市に過ぎぬクラスク市を外交上最重要の相手と認めた、ということに他ならぬ。
エィレはクラスクの謁見には列席していなかったし食事も共にしていなかったためそこでどのような事が起きたのか正確には知らなかったけれど、女官たちの噂話からなにやら相当大きなことが起こったという事は感じ取っていた。
おそらくクラスクがなにがしか外交上の切り札を出して、それがこの王国が無視する事ができないほどに大きなものだった、という事なのだろう。
そうでなくば王女を外交官として派遣するなどという状況にならないはずだからだ。
よくわからないけど、すごい。
彼女にはその手法がさっぱり想像できなかったけれど、とにもかくにも国相手に街ひとつがそこまでの扱いをさせるほどのものを彼は提示できたのだ。
エィレはその手腕に感嘆した。
ともかくこれで姉たちの様子が理解できた。
クラスク市へ外交官として派遣される。
それはつまりオークの街に常駐するということだ。
まあ普通に考えればそれは嫌だろう。
嫌に決まっている。
事前にクラスクに直接会っていなかったらエィレだとて断固拒否していたに違いない。
それほどにオークというもののイメージは悪い。
クラスク市ほどに不断の努力をしていたとて、遠方の都市に来ればこの程度の扱いなのだ。
まあこの件に関してはミエやクラスクの目が多くの種族を抱える多島丘陵の方に向いていたことと、そもそも王都に於いては秘書官トゥーヴが情報管制を引いていてクラスク市に有利な情報を可能な限り摘み取っていた、というのも大きいのだけれど。
つまり話を纏めると、エィレの姉たちはオークの街であるクラスク市に外交官として派遣されるのを嫌がって互いにその役目を押し付け合っている、という結論になる。
だが…エィレは違う。
アルザス王国第四王女アルザス=エィレッドロだけは違う。
彼女だけは、姉たちとはまったく真逆の想いをその街に抱いていた。
だってもう会えないと思っていた相手だ。
明日か明後日にお別れして、そのままそれっきり一生涯会えぬものと思い極めていた相手だ。
そんな彼にまた会えるかもしれない。
それどころか当分同じ町にいられるかもしれない。
その焼けつくような想いがなんなのか、少女にはまだ計りかねていたけれど。
それでも彼にもっと会いたい、彼と一緒にいたいという己の想いに一片の嘘偽りはないと、少女は結論を下した。
こんなチャンス二度とない。
彼女は決意する。
なんとしても…クラスク市に派遣される外交官に選ばれなければ。
と。




