第62話 それぞれの事情~ゲルダの場合(後編)~
「ということは、生まれてすぐに御両親ともいなくなってしまったんですよね」
「まーそうだな」
ミエの言葉に素直に頷くゲルダ。
「つまりなんじゃ、幼少期は教会の孤児院かなにかにいたのか」
「まさか! やらかい子供が大好物の人食い鬼の血が混じった奴だぞ? ガキだらけの孤児院なんかどこも門前払いだっつの」
ゲルダはシャミルの問いを片手をひらひら振って否定する。
「まああれだ。その街にゃおふくろの姉…要は叔母さんだな。がいてさ、まあこの人もおふくろに負けず劣らず変わりもんで、妹が腹を決めて産んだ子なら私が育てる義務がありますとかなんとか。だからそれからはしばらく叔母さんの家で育てられたんだ」
おおー、と他の三人から感嘆の声が上がる。
「御立派な方ですねえ!」
「随分と奇特な奴もおるもんじゃ。まあ世の中そういう奇特で回っとる部分もあるしのう」
「おふくろさんのひとも、おばさんのひとも、いいひと……!」
サフィナが瞳を輝かせてぺちぺちと拍手する。
多少共通語が怪しいのはまあ御愛嬌として。
「ゲルダが優しいのも、おふくろさんのひとと、おばさんのひとが優しい、から?」
「優しいとか言うない! 照れんだろ! あとそっちも笑うな!」
サフィナの純真な瞳を前に思わず赤面したゲルダは、そんな光景を見ながらニマニマしているミエとシャミルにがー!と怒鳴りつける。
「ええい話戻すぞ! ともかくガキの頃はその叔母さんちに世話になってたんだけどな…まあ今考えりゃあすげえ迷惑かけてたんだろうなって」
どこか懐かしむような、少し寂しそうな表情でゲルダは語る。
「他の家の子供はなんであんなに小さいのか。なんであんなに弱いのか。なんであんなに…脆いのか」
自分の掌を見つめながら、幼少の自分がしでかしてきた数々の事件を追憶する。
自分より遥かに小柄な年上の男の子達。
ゲルダは彼らのいじめの対象だった。
危険極まりない人食い鬼との混血という話題性。
大きすぎて目立つ体。
多少虐めても親が見て見ぬふりをする相手。
子供と言うのは親の思想や偏見に敏感なものだ。
ゆえに刺激を求めて止まぬ幼い子らにとって、ちょっかいをかける大義名分を与えられた彼女は格好の標的だったわけだ。
浴びせかけられる罵声。
サンドバッグのように殴られたり、蹴られたり。
ゲルダを触って一斉に逃げ出したり。
石投げの標的にされたり。
ありとあらゆる子供らしい理不尽をその少女は受け続けた。
けれど…迷惑だから止めて欲しいと出した右手の軽いひと押し。
彼らのような全力ではなく、ほんの軽く小突いただけのその掌の先で…
数m吹き飛んだ少年がごろごろと石畳の上を転がり、そのまま動かなくなった。
たちまち大騒ぎになり叔母が慌ててやってきて向こうの家に謝罪して回る。
幸い命に別状はなかったのと度を越したいじめが明るみに出たこと、そして相手の親もその偏見やいじめを助長していたことが一助となって、その時はなんとか事なきを得た。
けれど…種族の差は如何ともしがたい断絶を生むものだ。
たとえその少女に悪気がなくっても、ちょっかいをかけてくる側が一方的に悪いとしても、それでもその大きすぎる被害が不和と差別を助長する。
「その後もまあ色々やらかしてね。おばさんが近所の連中に何度も何度も何度も何度も何度も繰り返し謝る背中を見て…ようやく気付いたんだ。おかしいのはアタシの方だって」
叔母への罪悪感が募って、居心地がどんどん悪くなっていって…
「あとはまあ、叔父さんとも色々折り合いが悪くてね。そんで黙って家を飛び出しちまったのさ。ま家出だね。ただそれでも…その街の生活は、その後の事を考えれば天国みたいなもんだったけども」
小さく嘆息し、ゲルダが少しだけ肩を落とす。
「天国…? それで?」
「そりゃあまあ人食い鬼だからって弓射かけられることもなかったし、剣や槍で追いまわれることもなかったし、アタシを討伐するために冒険者が雇われることもなかったし、毒で弱らされて檻に入れられてサーカスの見世物にされることもなかったし、珍しいハーフだからって捕獲され好事家に売り飛ばされて飼育されることもなかったしねえ」
「そ、想像してたよりも遥かに重い…!」
「この身体に付いてる傷もさ。オークに付けられたのなんてほんのちょっとで、大体はそれより前の痕さ」
体中の傷痕を指差しながらゲルダが懐かしげに語る。
「最後の方は傭兵してたからその時の傷も多いけど、それより前だとアタシを買った物好きに刃のついた鞭で体中いたぶられた奴とかー、何もしてねえのに犯罪者だって捕まって焼きゴテ当てられたやつとかー」
見るからに痛そうな傷の数々に、それ以上のきつい過去。
聞いているだけで気の弱いものなら卒倒しかねないレベルの壮絶さである。
「で最後に傭兵団で夜営してるとこにオーク族の襲撃があって部隊は全滅。唯一女だったアタシはこうしてここに連れてこられたってわけだ」
肩を竦めてこれまでの経緯を一通り語る。
「全滅…ですか」
ミエが声のトーンを落とし、僅かに俯く。
彼女の計画通り今後この村を変えてゆくとして、いずれ村の外から他種族の娘たちを暴力に拠らず招くときが来るとして…
それでも…既にこの村にいる女性たちが無理やり連れてこられた事実は変わらない。
それこそミエの最大の懸案のひとつであり、同時に最大の難問でもあった。
それを目の前に突きつけられた気がして、知らず声が沈んだのである。
「あー、悪いなミエ。確かに全滅はしたけど別にそれでオーク達を恨んでるってわけじゃねえんだ」
「え? そうなんですか?」
「むしろざまあみろとは思ったけどな! ハハハ!」
かつての仲間たち…だったはずの相手が全滅してそんな感想を抱く以上、傭兵団でも彼女の扱いは酷かったのだろうか。
それとも傭兵団そのものが何か問題を抱えていたのだろうか。
ミエはその理由が気にならないでもなかったが、ゲルダが語らなかったのであえて聞かぬことにした。
「そんなわけでさ、実はアタシこの村での生活はそんなに嫌じゃねえんだ。なんせひもじい思いしてへとへとになるまで一日仕事しても金どころかパンの一切れもくれなかった頃に比べたら、ここはなんもしなくても少なくても肉だけは喰えるからな! ハハハハ!」
愉快げに笑うゲルダに思わず絶句するミエ。
この村の女性たちは皆鎖で繋がれ自由を奪われ、それまでの人生に比べ辛くて悲惨な生活を送っていると勝手に思い込んでいただけに、ここでの生活の方が遥かにマシなレベルの人生を経験してきた女性がいるだなどとは思ってもいなかったのだ。
「できるトレーニングが限られちまうから家の中で繋がれっぱなしなのは確かに不便だけど…まあ紐やら鎖やらに繋がれた生活ってのもこの村に来るまでに何度かあったしなー。だから慣れてるっちゃ慣れてるわけだし?」
「ごめんなさい……なんか軽い気持ちで聞いちゃったりしtきゃんっ!?」
ミエが深々と頭を下げたところで、その背中にゲルダの張り手が飛んでそのまま地面に叩きつけられた。
「へぶしっ! アイタタタタタタ…」
「あワリワリ。力加減が難しくてな。そう気にすんなって軽く叩くつもりだったんだ」
よろよろと身を起こすミエにゲルダが謝りながらも笑いかける。
「だからお前のやりたいことってのはアタシにとっても有難いのさ。なんせこうして外を大手を振って歩けるしな! だからまあ、これからも協力するぜ!」
「ハイ…ありがとうございます! 一緒に頑張りましょうね!」
「おお! …あれなんか急にやる気出てきたぞ?」
ミエの≪応援≫が発動し、モチベーションの高まったゲルダは…
その日、苦手な裁縫を随分と頑張ったという。