第610話 不等価交換
「なるほどニャ…つまり国宝を返す代わりに魔印の交換を要求するわけかニャ?」
アーリが言った通り各国の宝である希少な魔具には莫大な価値がある。
しかも本来の価値に加えて彼らはその魔具をかの赤竜に不当に奪われたという屈辱の歴史がある。
幾度も幾度も討伐隊を編成し、休眠期の間に討つべしとかの大迷宮に挑み全滅し、休眠期が明ければ今が好機と外で暴れる赤竜に挑みかかり返り討ちとなり、敗北の歴史を繰り返し屈辱を上塗りし続けてきたのである。
そんな喉から手を伸ばしてでも欲していた国宝を取り戻す為ならば彼らはどんなことでもするはずだ。
ゆえにその返却を交換条件とすればいかにオーク族に拒絶反応があったとしても条約を結び魔印を交換する事が可能となるはずである。
アーリはミエの発想にほとほと感心した。
だが……
「やだなあそんなことするわけないじゃないですか」
「フニャ?」
ミエは、言下に否定した。
「最初に言ったじゃないですか。『何かの対価』で渡したらその時点でうちが中間搾取してることになっちゃいます。それに国交を結ぶっていうのは互いの国の信頼関係あってこそです。国宝を盾に開国を迫ったらそんなのただの恫喝外交じゃないですか。この街のオーク族がそーゆーのから脱却したってのを見てもらいたいのにそれじゃ本末転倒です」
「じゃあどうするニャ」
「この街と魔印を交換し国交を結びましょう! って提案は提案でしますけど、向こうの国のお宝はお宝でちゃんと返します。一緒くたにはしません。それぞれ別件ですから」
「ニャ…じゃあ結局タダで返すって事かニャ?」
「はい。交換条件とかは求めません。ただこう書き添えておきます。『貴国の宝は我が街が大切に保管しております。是非受け取りに来て下さい』って」
「「「あ……!!」」」
そこまで話を聞いて……ようやく一同にもミエの言わんとすることがわかった。
「なにせ国宝ですよ国宝。冒険者とかに依頼したら持ち逃げされちゃうかもですしただの兵士には荷が重いでしょう。となると受け取りに来るのは国王とまでは行かなくともかなり身分の高くて信用のおける重要人物…外交特使あたりでしょうか…なんかになるはずです。ほら、これで『向こうの国の偉い人にうちの街を見てもらう』が実現できたじゃないですか」
「「「…………………!!」」」
滔々と、淀みなく、ミエが語る。
無償だがタダではない、その真意を。
「あーでもなりすましとかで国宝を散逸させちゃったりしたら相手にも迷惑ですからそのあたりのセキュリティはしっかりしたいですねー、魔術的なやつ。親書に一緒に封入したいので、そのあたりネッカさん何か考えておいていただけます?」
「お任せくださいでふ! 必ずご満足いただける魔術的割符を用意しまふでふ!」
ふんすと鼻息も荒くネッカが請け負う。
責任重大な役目だが、どうやらかつての臆病気質はすっかりどこかへ行ってしまったようだ。
「うちの街に招いた外交使節の方はこの街で一夜明かしていただきましょう。国宝の受け渡し自体は翌日に花のクラスク村がいいですね。そうすればうちの街が進んだ文化や技術を有している事も、文明の発展の為に徒に自然を破壊していないことも、どっちもお見せする事ができます。で国宝の受け渡しが終わったら近くの街まではオーク護衛隊をつけましょう。これで道中襲われて万が一国宝が盗まれでもした時の責任の所在がはっきりできますし、近隣の街でもうちのオークさん達が信用されてることをお見せする事もできます」
途中思いついたように幾つか案を付け加えながら、ミエが己の計画の全容を語ってゆく。
その場の一同は唖然としてただ耳を傾けるよりほかなかった。
「それでうちの街の話を持ち帰ってもらって向こうで報告してもらえば偉い人の報告ですから王様…? かどうかわかりませんけど、とにかく向こうの最高指導者さんもうちの申し出を前向きに考えてくれるでしょうし確認の為って新しく人を寄越してくれるかもしれません」
「けどよー、強制じゃねえってことは国宝とやらを持ち帰るだけ持ち帰ってうちの親書を破りしてて終わりってこともあるわけだろ?」
「はいゲルダさん。でもゲルダさんが今仰ったことが大切なんですよ」
「あん…? 破り捨てられることがか?」
「いえいえ。『その前』ですよー」
「??」
ミエの言っている事がよくわからず首を捻るゲルダ。
自分の言ってることで? 破り捨てる前? いったい何の話だろう。
「わっかんねーぞ」
「『国宝を取り戻した後に破り捨てる』ってさっき自分で言ってたじゃないですか。それって裏を返せば国宝が手元に届くまではうちの親書は破れないってことですよね?」
「お? お、おお」
「親書を受け取った以上その国はうちの街と『国交樹立のための交渉状態』に入ったってことです。そしてその親書を向こうは破れません。うちがへそ曲げて『親書を破り捨てるような相手にはやっぱりお宝は返さない。こっちの書いた約束はそっちが破り捨てたから無効だ!』なんて言い出したら事ですからね。なので仮にとっくに破り捨てていたとしても対外的にはそう言えないはずなんです。つまりうちの親書を受け取ってから国宝がその国に届くまでの間、うちの外交官は『現在我が街はどこそこの国と国交樹立のための交渉状態に入っている』って堂々と言えることになります」
「あ……あー!!」
説明されてようやく理解できたのか、ゲルダが呻くような声を上げる。
「で、例えば六つの国に外交使節を送るとして、それぞれの国に到着する日取りを合わせてだいたい同じ期日に着くようにすれば、うちの全ての外交官は『現在他に五か国と国交樹立の交渉中です』って言えますよね?」
「「「あー………」」」
そう、言い張れる。
もし相手に占術で調べられたとしてもその発言から虚偽は検出されないだろう。
だって太守が街と国同士の友好を願った親書である。
それを受け取り吟味するという事は国交を築く交渉状態に入ったという事に間違いはない。
だが相手はその親書をオーク風情の出したものだからと迂闊に破棄する事ができぬ。
かつて赤竜に強奪された、短いもので二百年弱、長いもので八百年余もの間竜の巣穴に奪われ続けた国の宝、取り戻すことを種族の悲願としていた秘宝を無償で返却してくれるというのだから当然と言えば当然だろう。
そうして彼らはオークからの親書を受け取り、大切に保管して、のこのことクラスク市までやってくることになる。
ミエの思惑の通りに、だ。
「で、うちの街から国宝を受け取って帰ってきた向こうの外交官が色々報告して、その上でうちの街との関係を考えていただけたらなーって。まあそこまでしてやっぱりオーク族とは仲良くできない、っていうなら仕方ないですけど…それでも少なくとも『寛大な太守クラスク様が、その慈悲深い御心を以てかの国の宝を無償にて返却された』って喧伝する事自体はできますよね? だってそれは嘘じゃないですもん」
ミエの言葉に一同が呆然として押し黙る。
彼女の言葉、彼女の『策』は決して悪辣なものではない。
国宝を盾に恫喝外交もしているわけでもなければ国宝を対価に魔印を要求しているわけでもない。
受け渡す財宝の価値の莫大さを考えればむしろささやかすぎる申し出であると言ってもいい。
だが善意でくるまれた彼女の策は……オーク族というだけでこれまで拒絶し続けていきた各国をこの街へと誘き寄せる。招き寄せる。
まるで花の蜜を求め群がる虫たちのように。
彼らは無償であるがゆえに抗えない。
心からの親切であるがゆえに拒絶できない。
そしてどこからどう見ても明確に利得の方が大きいゆえに……喩えミエがどんな策謀を用意していたとしても、それに乗るしかないのである。
これこそが吟遊詩人によって後の世に謡い語り継がれるこの街の伝説のひとつ。
のちの史書にすら載っているクラスク市の起死回生の一手。
大いなる転換と躍進の礎。
……人呼んで『竜宝外交』と言う。




