第609話 親書
「なんとかするっつーと、具体的にはどーすんだよ」
「はい! 親書を書きましょう!」
「親書?」
ゲルダが腕を組んで首を捻る。
横目で見上げながらいつもの如くサフィナが隣で真似っこする。
「俺ガ書くこの街公式の手紙ダナ」
「へー、そーゆーんを親書っつーのか」
この手の事に関しては珍しくクラスクが説明し、ゲルダがふむふむと頷く。
またもや真似っこするサフィナ。
「街の運営に関わるならそれくらい把握しとかんか」
「仕方ねーだろこちとらフツーの手紙すら縁遠かったんだぞ。つーかミエに習うまで共通語の会話はともかくろくに字も読み書きできなかったしなー。ま、手紙出す相手もいねーけどな! ガハハ!」
「育ててくれたおば様って方がいらしたんじゃ…」
「傭兵時代に一度故郷に戻ったことがあったけどな。とっくの昔に死んじまってたよ。流行り病だとさ」
「それは…すいません」
「別にいーよ。よくあることだしな」
かつて聞いたゲルダの過去、そこで彼女を育ててくれた叔母という人物。
彼女にとって少なからず大切だったはずの人のあっさりとした死にミエは言葉を失う。
だがゲルダの方は実にあっさりとしたものだった。
傭兵としても生きてきた彼女にとって、死というのはそれほどに逃れ難くまた身近にあったものなのだろうか。
そんなゲルダを少し離れた場所から見つめながら面を伏せているの娘がいた。
イエタである。
彼女にとって今の話は他人事ではなかったからだ。
流行り病、伝染病…ミエの世界でも中世に於いて大いに猛威を振るった厄災である。
なんなら現代に於いてすら世界中で大流行しているほどだ。
ただ衛生観念が欠けていた中世に於いて、その影響の甚大さは今の比ではなかった。
食糧事情的に栄養失調な者も多く、病に対抗できるだけの体力自体がない者が多かったこともその被害に拍車をかけた。
この世界に於いても基本は同じである。
だが……こちらの世界が教科書からミエが習い覚えた彼女の知る中世世界と大きく異なる点がある。
『魔術』の存在である。
特に怪我や病気に対抗する術としては神聖魔術…一般に『奇跡』と呼ばれる聖職者たちが唱える魔術が有用だ。
〈病除染〉という呪文がまさにそれで、字の如く殆どの病気を唱え触れるだけで取り去る事ができる強力な呪文である。
ただしこの呪文を唱えられるのは中位以上の聖職者のみであり、小村の聖職者程度では唱える事ができぬ。
流行り病ともなれば街中に病人が溢れる事になるが、その病を取り去る事ができるのは大きな町の一部の司祭のみだ。
当然彼らの下には多くの病人が群れ集まることになり、教会の前はさながら病人が大量に横たわる地獄絵図のようになる。
だが奇跡と言っても魔術は魔術だ。
神聖魔術の場合魔力行使の主体は神性…すなわち神様自身だが、それを聖職者側が『受信』して己の目の前に顕現させるために魔力を消耗する。
中位魔術であれば為魔力消費もそれなりに大きく、一日に使えてせいぜい数回程度。
それでは街中に蔓延する病を全て癒すことなどできはしない。
となると…どうしても発生せざるを得ないものがある。
『選別』である。
病人の中から、選んだ誰かを治さざるを得ないのだ。
そしてそうした場合優先されるのは常に高貴な者、或いは裕福な者だ。
それは必ずしも貧富の差から来る命の価値の違いを示すものではない。
いや治療を受ける側、或いは受けられない側にはそうした特権意識や嫉妬羨望などがあるのかもしれないが、聖職者側にはない。
少なくとも理想論としては。
単純な話である。
貧しい者の病を取り去ってもそれはたった一人を救ったに過ぎぬ。
だが権力者の病を取り去れば彼らの施策によって多くの者がベッドで寝たり食事の配給などを受けられて、結果奇跡に縋らずとも助かる可能性を少しでも上げられる。
裕福な者を助ける場合も同様である。
彼ら自身に治療施設を作らせるよう約束させたり、或いは彼らから収められた多額の寄付を用いて教会自身がそうした準備を整えることができるからだ。
ゆえに教会としてはどうしても貧しい者への直接の治療を行う回数が減ってしまい、結果そのまま亡くなってしまう者も少なくない。
流行り病で貧しい者が死ぬ、と当たり前のように言い放つゲルダの言葉の内にはそうした教会の選択と選別の結果があり、それがゆえにイエタは心を痛めたのだ。
命に貴賤はないけれど、それでも選ばなければならない時はある。
己がその立場に立った時、決してその選択肢を誤らぬようにせねばと、イエタは改めて心を近い人知れず深く頷いた。
「…で、親書を書くのはよい。じゃがそこに何を書くつもりじゃ」
「えーっと、そうですね。うちの街と仲良くして欲しいってのが主体なんですが、今度はなるべく中身を共通にして、具体的なものにしたいですね。たとえば…」
ミエは己の内にかつて生きていた世界の通商条約の条項を思い浮かべた。
「ええっと…うちの街と相手の国の住人は、お互いの領地に自由に行き来できるように、とかー、自由に移住できるように、とかー、自由に商売できるように、とかー、あーそうですね、相手の国や街で法律に引っかかって裁かれる事も考えないとですから、最低限の身分保障と裁判の権利とー、それに私有財産の補償とー…他にありましたっけ…?」
腕組みをしてううんと考え込むミエ。
目を大きく見開いて彼女の言葉に固まるシャミル、キャス、エモニモ…そしてアーリ。
「ミエ、ミエ姉様、それは…まさか」
「確かにわしは以前自治都市とは国家のようなものだと言った覚えはある。あるが…」
「ミエ様、もしやして”魔印”の交換を企図されているのですか?!」
「ふぇ? なんですかエモニモさん。その魔術的落款って?」
「知らんで言うとったんかーい!!」
「「きゃんっ!?」」
キャスとエモニモの言葉に不思議そうに首を捻るミエにシャミルが怒鳴り、その声にびくりと震えあがったミエ…と大声が苦手なイエタが同時に飛び上がって、わたわたとクラスクの背後に隠れた後そっと顔だけ覗かせた。
「「び、びっくりしました…」」
「仲いいなお前ら」
ゲルダが思わず感心する息の合いっぷりである。
「でその…魔印って結局なんなんです?」
「ええっと…それはでふね…」
と、そこに財宝の山からまた未発見の魔具を引っ張り出してきたネッカが簡単に説明する。
「へー! へー! 国同士が相手を認めた証としての魔具! 小魔印同士の交換! 小魔印の所持数で国際会議に出席できる! 交わした契約に反しない法や条例を発布する時他国の小魔印が押せる! 条約に反してたらどんなに頑張っても印が押せない! 押した書状の内容が相手国にも伝わる!! へー! へー!!」
ミエとしては興味津々感心しきりといった風である。
なにせ元の世界には全く存在しない、魔術の発達したこの世界独特の優れた手法に思えたからだ。
「なるほどー。そんなものがあったんですねー」
「あったんじゃ。とゆうかむしろなんでそれを知らんで先程の内容が空で言えるのかわしの方が聞きたいくらいじゃ」
「ええっとそれはそのー、他の国との通商条約ってそういうものなのかなって」
頭を掻いて言い淀むミエにキャスが腕組みをして頷いた。
「まあそうだな。先程ミエの述べた『相互入国条約』『相互居住条約』『相互経済条約』『相互保護条約』の各条項に、さらに『相互不可侵条約』を付け加えたものがこの国際法に於ける二国間の友好を示すいわゆる『通商条約』と呼ばれるもので、互いがその全てを守ると約定する事で小魔印の交換条件が満たされる。まあ個々の国同士ではさらに追加の条約が結ばれることもあるがな」
「相互不可侵条約! いいですね! オーク族が結ぶのに実に相応しいと思います! 採用しましょう! じゃあそれも含めて旦那様が魔印の交換を目的とした親書を書き上げてそれを使者に持たせ各国に送るという事で」
「じゃからそれが受け取ってもらえぬのことが問題じゃと散々言うとったじゃろうが」
「はい! ですから今回の使者にはこう付け加えてもらいます『我が街の市長…』」
「太守ダ」
「太守ですか」
「太守ダ」
つい先日、赤竜の襲われ甚大な被害を出した南方の街モールツォに支援金と支援物資を送らんとクラスクがまさに今話題の渦中となっている親書を向こうの領主と取り交わし、その書面の中で向こうがクラスクに対し用いたその『太守』という言い回しが妙に気に入ったらしきクラスクは、最近よく自らの呼称をそう直させていた。
まあ自治都市での指導者の呼称など好きにすればいいのだし、確かに最近の発展具合を考えれば太守を名乗っても遜色はないのだけれど。
「なら『我が街の偉大なる太守クラスク様がかの赤竜を討伐し、その財宝の中に貴国の大いなる宝物●●がある事を確認されました。寛大なるクラスク様は貴国が長年に渡りその宝を希求し続けてきたことを存じており、ゆえにこれを機会にその財宝を貴国に返却する用意がある、と仰っております』……こんな感じですかねー。で、そのままこう続けるわけです。『詳細な内容はクラスク様がしたためたこの親書の内に記されております。是非お受け取り下さい』って。これなら確実に親書を受け取ってもらえるし、読んでももらえますよね?」
「「「あ………!」」」
すらすらと出てくるミエの言葉に一同は唖然とする。
ミエは金銭を要求せぬと言いながら、そんな大それたことを考えていたのかと。
だが……彼女の『計画』はそれで終わりではなかった。
いや……むしろそこからが彼女の真骨頂だったのだ。




