第606話 財貨の山の下にて
「フニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!?」
閉鎖されたその部屋に、獣人族の絶叫が木霊した。
それは猫の獣人、アーリンツの声だった。
「ほ、本気で言ってるのかニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「ちょっとアーリさん声大きいです声!!」
時はサフィナとワッフがこの世界のエルフの聖地のひとつ、西の神樹へと赴かんとするさらに少し前。
クラスク市上街中央部やや東寄りに鎮座する居館、その内の宝物庫に、彼らはいた。
この街の首脳陣達が一堂に会しているその場所には、現在うず高く積みあがった黄金がまさらに山脈が如く聳えており、天井近くまでその頂を伸ばしている。
財貨も財貨。
財産も財産。
まさに巨万の富である。
このうち手でかき集められる程度の金貨を袋に詰めただけで庶民なら一生遊んで暮らせる額だ。
街の運営費としても正直過剰とすら言える金額なのである。
…まあ贅沢に際限はないので、いつだって『欲をかかず贅を尽くさなければ』という限定句が必要だけれども。
「はい! なんかネッカさんの話ですと魔導術を使うとその魔具の元の持ち主がわかるんだそうで!」
「はいでふ! でふでふ! 〈来歴探知〉の呪文があれば魔具の性能鑑定の他に元の所有者なんかも調べる事が可能でふ!」
ずぼっ、という音と共に何か硬くて小さいものが土砂のように崩れ落ちる音が部屋に響いた。
金貨の山の中に埋まっていたネッカが山頂付近で首を突き出し、その余波で彼女の近くにあった金貨が飛び散り山腹を雪崩となって流れ落ちた音だ。
下の方では金貨をおはじきのようにして遊んでいたサフィナが崩落を予見して崩れ落ちる前にすたすたと華麗に回避……しようとして床に散らばっていた金貨に足を取られすっころび、黄金雪崩の余波を受けて半分埋まりかけおぶおぶと両手をばたつかせていた。
そんなサフィナをゲルダ…当時はまだ出産前で、腹がやや張っている程度の頃だが…がその腕を掴みずぼっと金貨の山から引っ張り出す。
川から上がった獣のようにぶるぶるとその身を震わせるサフィナの身体から金貨が飛び散って、近くにあった小さな石像に当たった。
いや、石像だけではない。
二人のすぐ近くには様々な品が床に並べられていた。
奇妙な偶像。
儀礼用の錫杖。
ねじくれた香炉。
古めかしい燭台。
翡翠でできた女神像。
銀色に輝く人間族サイズの首輪。
宝石がたくさんついた煌びやかな鞘。
…などなど。
そうしたさまざまな品が所狭しと並べられており、それらにはいちいち紙片が張り付けられていた。
そしてその紙片にはその品物の名称、魔法的な品なのか否か、魔具だとしてその効果は、その効果を起動するための合言葉は…など様々なメモ書きが記されている。
そう、かの赤竜イクスク・ヴェクヲクスの巣穴より持ち帰った巨万の財宝…その中から金貨や宝石以外の品を探し出し、今まさにネッカが鑑定の真っ最中なのである。
「とゆーことで元の持ち主が見つかるんでしたら返してあげないとなー…って」
ミエの言葉にはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…と深い深いため息をつくアーリ。
「あれなんか変でした?」
「変も変ニャ。圧倒的におかしいニャ」
「そん
なに」
アーリの反応にびっくりするミエ。
そんな様子を眺めながら肩をすくめるシャミル。
「ひとつよいかミエよ」
「はいはいなんでしょうシャミルさん」
「お主『国際法』についてどれだけ知っておる」
「ええっと…」
唐突な話題を振られ、ミエが顎に人差し指を当てながら考え込む。
「人型生物が共同で事に当たらないとならない存在や事象について定められた各国の法律の上の超国家的な法…でしたっけ?」
「まあおおむねそのようなものじゃな。国際間の協調や国家同士の会議などについても定められておるが、やはり主たるものは種族の垣根を越えて対処せねばならん脅威に対する法律群じゃ」
「確か瘴気に対する『瘴気法』、地底の住人達に対する『地底法』、魔族に対する『魔族法』…でしたっけ?」
「うむ。それに竜に対する『討竜法』を加えた主たる四大脅威を『脅威法』と呼んだりもするの」
「へー、へー、へー!」
感心したミエが幾度も声を上げる。
「で、じゃ。そのうちの一つ『討竜法』が他と大きく違う事は以前に話したの。覚えておるか」
「ええっとえっと、確か…他がだいたい軍団だったり範囲が広かったりで軍隊とか国とかが相手しないといけない脅威なのに対して、竜はどんなに強くても個体だから、少数の勇者さんとか冒険者の皆さんとかでも相手にすることがでできるとかなんとか…?」
「そうじゃ。脅威や被害の規模に大差がなくとも対処する人数が少なく済む可能性があるのが竜の大きな特徴じゃ。無論個々が軍隊の如き強さの連中であることが前提じゃがな」
クラスクら…赤竜討伐のパーティーに順繰りに視線を走らせながらシャミルがそう付け加える。
「私は勘定に入れないでくださいね!? ただの応援部隊だったんですから!!」
「まあそれは置いといてじゃ」
「おいとかないでくださーい!?」
「置いといてじゃ」
「あうう」
必死に反論するミエを一刀の下に切り捨てたシャミルはそのまま話を続ける。
「で……じゃ。人型生物全般の事を考えるであらば、脅威を排除さえしてくれるなら軍隊であろうと冒険者であろう誰だろうと構わんわけじゃ。それができる実力があるのなら、じゃが」
「そうですね」
「じゃが冒険者が竜を討伐できたとして、その財宝で遂に一攫千金…と小躍りしておるところに国の偉い連中がやってきて、『その財宝の内の●●はこの国の宝だから返却せよ』と言われたらどう思う。しかもそんな連中が群れ為してやってきてせっかく死ぬ思いで手にした財宝を次々に奪い去って行ったなら」
「それは…困りますね。苦労したのに」
「そう、困るわけじゃ。もし竜を倒してその巣から巨万の富を手に入れられたとしても、そのような未来が待っておるとしたら…果たして冒険者どもは竜退治に血道をあげるかの」
「うう~~~~~ん」
ミエは腕組みをして考える。
その隣でサフィナが真似っこして腕を組んで身体を傾けている。
自分達が赤竜退治にかけた膨大な手間と金銭的投資。
あれほどではないにせよ冒険者達も出来うる範囲で入念な準備をするだろうし、金をかけて必要な装備を買い集め、或いは作成して竜退治に挑むはずだ。
そうした上でなお命がけとなる竜の討伐の報酬が群がる借金取りの行列のようなものだったら、さぞやげんなりする事だろう。
「体を張って命がけで手にしたお宝を後からやってきて権利を主張するだけの人に奪られちゃったならやる気なくしちゃうんじゃ……」
「そうじゃな。じゃがそれでは困るわけじゃ。脅威に対抗できるだけの力ある存在には是非やる気を出してもらわんといかん」
「確かに」
「そこで…『討竜法』にはこう記されておる。すなわち『竜を討伐した時その巣穴にあった財宝の権利は、全てその竜の討伐者にある』とな」
「「「おおおお~~~~~」」」
ミエだけでなくサフィナとゲルダも感心したように声を上げた。
「おー…いっかくせんきん…」
「夢のある話じゃねーか」
「へー、そんなことまで定められてるんですねー」
三者三様に感心する。
そんな彼女らを見ながらシャミルは腰に手を当ててその質問を口にした。
「つまりお主らがかの赤竜を討伐してのけた時点で、その巣穴にあった魔具や神具どもは全てお主らの所有物と相成ったわけじゃ。わかったかの?」
「はい! わたし達が自由にできるってことですよね!」
「まあそうなるの」
「なら私たちが自由に元の持ち主に返すのも自由ってことですよね?」
「なんでそうなるニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
アーリの絶叫が再び部屋の中に反響した。
「だいたい他のみんなは平気なのかニャ!?」
ぐるりと周囲を見渡すアーリ。
当然皆己に賛同すると見越してのものだ。
だが…
「俺ハミエがそうシタイなら構わナイ」
クラスクがあっさりそう言って。
「フム、街の防衛に使えそうな魔具に興味がなくもないが、クラスク殿がそう言うのであれば私としても異存はない」
キャスが小さく嘆息しながらもさばさばした表情でそう返し。
「ネッカはクラ様の考えに従うでふ」
ネッカはかの防衛線と竜退治を経てだいぶ自信をつけたようだけれど、そうした根っこの部分は前と変わらず。
「とっても素敵なお考えだと思いますミエ様。わたくしも賛成いたしますわ!」
そしてイエタが両手を祈るように合わせて瞳を輝かせそう告げた。
そして…アーリはぐらりと崩れ落ちて両手を床についた。
「そうだったニャ…こいつらアーリ以外全員夫婦で家族だったニャ……!」
……こういう光景も、四面楚歌と言うのだろうか。




