第575話 利害
さて、先ほど述べたアルザス王国の勢力関係から今度は王国側のクラスク市に関する態度を考えてみよう。
一つ目。このアルザス王国の国土を開拓し瘴気を晴らす、という目的に関して、クラスク市とアルザス王国の利害は『ほぼ』一致している。
なにせこれまでオーク族が闊歩していて手が出せなかった王国南西部の瘴気残存地をそのオーク自らが開拓し、みるみると瘴気を晴らしていってくれているのだ。
その上かの邪竜の縄張りとして長らく放置されてきた王国西部の無人荒野にすら手をかけ浄化を進めようとしている。
かの地で作っているのは畑ではないようだが、瘴気を晴らすという目的からは逸脱しておらず、これまた止める理由はない。
クラスク市が保有する広大な耕地からの税収が一切ない事は残念だけれど、それは別に痛手ではない。
なにせ王国が有していた耕地が奪われたわけではないのだ。
何もなかったところに広大な畑が生まれた、というだけで別に現状王国側に損失は発生していないのである。
機会損失、という意味では損はしているのかもしれないが。
二つ目。アルザス王国北方に潜む魔族対策、という意味に於いて、クラスク市と王国は消極的な協調関係にある。
クラスク市のオーク達は現状魔族対策に一切協力していない。
そうした要請を受けてもいなければ応えてもいないのだから当然と言えば当然だろう。
ただ国際法のひとつである対魔族法に於いて、全ての国家は魔族対策に協力し協調すべき、という項目があり、そういう意味ではクラスク市はそれに反してはいる。
…が、これは現状大きな問題にはなっていない。
クラスク市は自らを独立した政治形態を有する自治都市のように扱い、またそう振舞っているが、アルザス王国が公的にそれを認めた事は一切ない。
地底軍の来襲に関しても、あくまで王国内の一都市が奮戦して地底軍を追い払った、という体面を取り繕っている。
アルザス王国が自治都市であればそれは自立した国家と同じ扱いとなり、国際法が適用され協力を要請されるはずだ。
だが国際会議上アルザス王国はクラスク市を自治都市と認めていないわけで、つまり国際法の責任を負うべきはアルザス王国側であり、クラスク市が如き地方の一都市にはそうした責任の主体などない、という立場を取らざるを得ないのである。
言うなればアルザス王国自身がクラスク市を援けている格好となっているわけだ。
ただ王国側としても別段損をしているわけではない。
王国北方には鎮座し魔族どもへの防衛線の要として彼らに睨みを利かせている軍事都市ドルムがある。
当然そのドルムでも瘴気を晴らすべく城の周辺で開拓が推し進められているが、その進捗はより南方の他の都市に比べてだいぶ遅れている。
魔族どもの巣食う闇の森のほど近くにあり、その影響を強く受けてきた土地が強く汚染されているためなかなかに瘴気が抜けてくれないのと、森を抜けた魔族どもが近辺をうろつき、ドルムの兵士共に討ち取られるか退散するまで周囲の瘴気を振り撒いてゆくからだ。
そうなれば折角晴らした瘴気も元の木阿弥。
再び瘴気汚染地へと逆戻りである。
軍事都市ドルムは王都ギャラグフと並んでアルザス王国の要。
そこには精鋭の兵士や冒険者たちが配備され、日夜訓練と見回りが行われている。
戦力的にも兵力的にも十分な数。
だが……それは裏を返せば糧食の消耗が多いという事だ。
そして現状彼らの食料全てを地元で賄えるほどに、ドルムは食料生産が進んでいないのである。
ゆえに不足分の食料は外部から運搬せねばならぬ。
これまではそのルートとして北街道が利用されてきた。
王都ギャラグフより出立し、王国北東部の幾つかの小都市と村々を抜けて軍事都市ドルムへと向かう街道である。
ただこの街道を利用する場合どうしても闇の森の近くを通らざるを得ないため襲撃の危険があり、実際これまでも幾つもの馬車が襲撃を受け、皆殺しにされてきた。
軍務大臣デッスロもこの件を非常に重視しており、やや過剰とも言える兵力を割いて食料の運搬に当たっていたのだ。
だが……クラスク市の出現によって事情が劇的に変わった。
王国南西部に広がっていたオークどもの縄張り。
彼らの襲撃は子孫を得るための女性の略奪と食料確保が主目的であり、大量の食糧を運搬する馬車など格好の獲物に他ならぬ。
なにより現クラスク市の存在する場所はかつて中森部族の族長の支配地域であって…いやそういう意味では今でもそうなのだが…大量の食糧を満載した馬車が強力な彼らの襲撃手から逃れられる可能性は少なかった。
だが今やそのオークどもが街を運営し、護衛まで引き受けてくれるに至った。
それどころかクラスク市と軍事都市ドルムの間に横たわっていた危険地帯…すなわち赤竜イクスク・ヴェクヲクスの縄張りたる『狩り庭』…無人荒野すら彼らの手に落ちて、今まさに開拓の魔の手(?)が伸びている。
赤竜の縄張りは人型生物が恐れて近づかぬがゆえ危険な化物や怪物が好んで住んでいたと聞くが、それらもオーク族が武力によって鎮圧、或いは駆逐したという。
その討伐に於いてはエルフ族がオーク族と共闘したとも聞くが、流石にそれは眉唾だろう。
ともあれ『狩り庭』のあるじはいなくなった。
無人荒野は無人ではなくなった。
それは、つまり。
クラスク市から軍事都市ドルムへの安全な搬入ルートが開けたということを意味する。
北街道に比べ魔族に襲われる危険が少ない。
その他の脅威に対してもオーク護衛隊により高い安全性を誇る。
クラスク市の税金が投入あれ周辺の街道がしっかり整備されている。
さらには直前の街…クラスク市の事だが…にて新鮮で高品質な食糧まで調達できる。
…となればこれを利用しない手はあり得まい。
実際ここ半年で街の北門を抜けてゆく馬車はかなり増えた。
これまでクラスク市の四門のうち北街道だけはほとんど利用されることがなかったというのに随分な様変わりである。
そういう意味では、クラスク市は積極的にアルザス王国に協力しているわけではないけれど、間接的にアルザス王国の国防、すなわち魔族対策の援けとなっていると言っていいだろう。
さて問題はここからだ。
三つ目。
対バクラダ、という意味に於いてクラスク市の立場は明確であり、同時に王国との関係は少々複雑となる。
アルザス王国併合を目論むバクラダ王国とは国境が隣接しているが、その国境線の殆どは白銀山嶺によって隔てられており、平地で行軍できる場所はバクラダ王国北西にしてアルザス王国の南西にある中森しかない。
当然バクラダ王国はそこに兵を集める城塞を作ってアルザス王国侵略の橋頭保としたいところだが…まさにその絶好の立地にクラスク市が造られてしまった。
つまりバクラダ王国としてはクラスク市を攻め滅ぼすか、或いは占領して自分たちで活用したいわけで、クラスク市側としては断固としてそれを阻止したい。
つまり両者の利害は完全に相反している事になる。
となると王宮で考えればバクラダ派の秘書官トゥーヴとは敵対し、それ以外とは基本中立、そして国王とは表向き敵対関係だが裏では協調関係、ということになる。
バクラダ王国から任命された元バクラダ貴族の家系だったアルザス王国国王は、だが本音で言えばバクラダ王国から独立したい。
当然自国への侵略行為なんてもっての他であり、王国南西部に巣食うオーク討伐を理由にバクラダが出張ってこようとするのを歴代国王はこの数十年幾度も…表向きは協力するように振舞いながら…阻止してきた。
そこにオーク族が村を作り、そして瞬く間に街に作り上げてしまった。
さらには地底軍を追い払い、赤竜を討伐しと名声まで上げてくれた。
こうなるとバクラダ側としては不用意にクラスク市を攻められない。
暴虐非道なオークに支配されている街、というお題目を掲げるには名声が高まり過ぎてしまったからだ。
国王の立場からすればそれはとても有難い援護である。
なにせ軍事的に簡単に攻略できぬ、バクラダ王国に対する強固な防衛拠点が王国の人手も予算も一切かけずに誕生してくれたのだから。
ただし、だからと言って国王とクラスク市が現状完全に友好的かと言うとそういうわけでもない。
…クラスク市が自治都市を標榜し、アルザス王国国王のコントロール下にないためである。




