第553話 夢のカタログ
「さて仕事をして、お金を稼いで、ごはんを食べて、それでも余ったお金はためておくことができます。貯金とか蓄財というやつですね」
「ちょきん……ちくざい……」
「はい! 貯めたお金は買い物などに使う事ができます。こんな感じですね!」
ミエが取り出したのは一冊の本である。
ただそのサイズが小さすぎて、巨人族のヴィラウアには読むのがちょっと難しそうだ。
「ええっとそうだった大型の方用のカタログは…」
「わしが持って来よう」
「よろしくお願いしまーす!」
家の一軒に入っていったユーアレニルは、やがてくるくると巻いたむしろと本を一冊持ってきた。
見た目だけは先ほどミエが見せたものに似ている
ただ先刻よりだいぶ大きい
ユーアレニルは地面に麦藁のむしろを引いて、その上に本を置いた。
「これならお主でもめくれるであろう」
「おおおおおおおー…」
「こんな感じでめくって下さい。こーんな感じ」
ヴィラウアは書物を見たこと自体はあるが、読んだことはない。
巨人族には製本の技術がないからである。
だから襲撃した戦利品として人型生物の本を目にしたことはあっても、そもそもその用途や使い方がよくわからなかったのだ。
そもそもが共通語で書かれた字もさっぱりわからないのだから、当たり前と言えば当たり前の話である。
ミエに言われるがままに書物の端をそっと指でつまみ、表紙をめくる。
すると彼女の目に飛び込んできたのは……絵だった。
奇麗な絵が描かれ、その下に巨人語で数字が記されている。
「おおおおおおー…?」
「おー…これかたろぐ。この絵のもの欲しい時は下のお金払う」
隣で話を聞いていたサフィナがてふてふと本の横までやって来て、指で指し示しながら説明してくれる。
そこまで言われてヴィラウアにもようやくこの『本』のいうものの意味がわかってきた。
巨人族でも交易はする。
近在の他の巨人族の集落と、それも物々交換だが。
だからヴィラウアはそこに描かれているものも巨人族の文化に合わせて理解した。
これは要は絵つきの交換リストである。
絵に描かれたものが欲しいのなら、下にある数字の分だけ『何か』を差し出せばいい。
そうすれば描かれたものとの『交換』が成立する。
そしてその『何か』もこれまでの話から推測できる。
『ためたおかね』である。
仕事をしてお金をもらい、食べものと税金?だかに支払う以外のお金を貯めておく。
そして貯めたお金をこの本に書かれているものの中から欲しいものと交換する、というわけだ。
つまりお金とは物々交換で考えると『どんな相手でも欲しがる優秀な交換品』ということになる。
「なるほどー…………!?」
しばらく楽し気にページをめくっていたヴィラウアは、あるページを開いた瞬間にぎょっとして目を丸くした。
そして四つん這いのまま身を乗り出してその本に顔を近づけ覗き込むように凝視する。
突然のっそり身を乗り出した彼女が怖かったのか、サフィナは慌てて本の近くから退散してミエの背中に隠れぴょこんと顔だけ出した。
「あら、服に興味がおありなんですか?」
「おおおおおおおおおおー……!」
そのページに記されていたのは衣服だった。
とてもしっかりした、ボタン式の衣服である。
ミエの感覚だと礼服や式服に近いものだ。
さらにページをめくると色んな服が描かれていた。
この服を『お金』を払えばもらえるということだろうか。
なんてすごいんだろう。
なんて素晴らしいんだろう。
夢中でページをめくっていたヴィラウアは、あるページでその動きをぴたりと止める。
そこには…女性向けの服が描かれていた。
愛らしく、そして可愛らしく。
過度に華美ではなく派手でなく、けれどしっかりと自己主張をしている。
いわゆる外行き用の『おしゃれ服』である。
巨人風に言うなら『素敵!』と言ったところだろうか。
「あらーお目が高い。これエッゴティラさんの渾身のデザインですよ。可愛いですよねー」
「えっご…てぃら?」
「この街在住の『服飾デザイナー』ですね。いい腕してますよー」
「ふくしょく…でざいなー……!」
ぱあああああ…とヴィラウアの心の闇が晴れてゆく。
服飾デザイナー…つまり色や形を考えて服を整える人の事だろう。
そういう専門の人がいるのだ。
つまりあの時ヴィラウアが感銘を受けたあの奇麗な服も、きっとどこかの『服飾デザイナー』が造ったに違いない。
「ちょっと値が張るのは勘弁してくださいねー。さすがに巨人族の服となるとサイズの問題があってどうしても…」
「…はらう」
「はい?」
「がんばってお仕事して、お金いっぱい貯めて、ぜったいに、はらう!」
「おー…やる気満々ですね! じゃあ頑張ってください! クラスク市は貴女を歓迎します!」
両手を大きく広げたミエが破顔した。
こうして……巨人族の娘ヴィラウアはこの街の一員となったのだ。
彼女がカタログのさらにその先にある『商品』に驚嘆するのは…己の手で衣服を購えると知った興奮が少し冷めた、もう少し先の話である。
× × ×
「おー…はしる」
「さっきも走っておったじゃろうが」
「さっきのははしるちがう。ぼーそー」
「ぐむ…っ!」
サフィナの言葉にぐうの音も出ずに押し黙るシャミル。
応急修理を終えた馬なし馬車…もとい『蒸気自動車』の試作機は、蒸気エンジンからもくもくと白い煙を噴きながら農道を走っていた。
ただその速度は先刻に比べると些かゆっくりしたもので、サフィナが時折その自動車からたっしと飛び降りて隣をのんびり歩きながら畑に飛んでいる蝶々を追いかけつつそのままてくてくと歩いて再び自動車に乗り込んでまだ余裕があるほどである。
つまりはまあ、とても遅い。
なにせ今は隠れ里で故障したまま応急修理しか終わっていない状態なのだ。
なるべく無理はさせず街まで戻る事に専念すべき、との判断である。
まあこの速度だと流石に車に乗るより歩いたほうがましな気もするのだが。
「一人だと快適で三人だと速度が出ないのは単純なパワー不足じゃないですかねこれ」
「栓方あるまい。機動確認のために蓄熱池一つ乗せじゃからな。どうしてもパワーが足りなくなるわい」
「電池と違って直接の熱源ですからねえ」
試作自動車についてあれこれい議論する二人。
難しい話に興味がないのか、車から飛び降りて麦畑の下を覗き込み虫を追いかけているサフィナ。
なんとものどかな風景である。
ただ…そんな会話を交わしながらも、ミエとシャミルの表情にはどこか奇妙な緊迫感があった。
まるで敵襲の報告を聞いたかのようである。
「…シャミルさん」
「なんじゃ」
小さな声で、ミエが呟く。
噴出する蒸気の音と地面から響く振動で掻き消されかねないほどの小さな声だったけれど、シャミルはすぐに返事をした。
「あの子…巨人のヴィラウアちゃん」
「ちゃん付けするには少々大きすぎるがの」
「大事なのは精神年齢だと思います! で、あの子が危険を冒してまでこの街に来た理由…かわいい服に興味があるそうです」
「聞いておったよ。良いではないか平和的で」
「はい。それで…そんな街があるって教えてくれたのは隣村の古い馴染みだそうです」
「古馴染み……のう」
「昔から親しくしてもらっていた方だそうです」
「なるほどの。で、名前は?」
「それが……よく覚えてないそうです」
「古馴染みなのにか」
「はい」
そこまで語り合って…二人は黙り込む。
ガタン、ゴトンと二人が揺れる。
硬い地面の小石を踏んで、蒸気自動車が幾度も跳ねる。
その都度小さく体を浮かせながら、二人は押し黙ったままだ。
「…また名前を知らぬ古馴染みか」
「はい」
他の人型生物との融和を成し遂げた大オーク。
かの伝説の赤竜すら討伐してのけた現代の英雄、クラスク。
そんな彼が治める街に。人型生物だけでなく己が種族との折り合いが悪い他の種族も移住を希望して訪れる……それ自体は予想の外ではあったけれど拒絶するほどのものではなかった。
この街にはサフィナがいる。
内通や人食い、或いは邪悪な目的などがあればたちどころに彼女に看破されてしまう。
実際一瞬で正体を見破られ大暴れしてあの隠れ里の住人を幾人も殺傷した者もいたりした。
だが人型生物と文化文明の異なる彼らにはそもそも人型生物の街の噂や情報など滅多なことでは入ってこないはずだ。
この街の噂自体入手のしようがないはずなのである。
にもかかわらず彼らはやって来た。
『風の噂』や『古い友人』から話を聞いたのだと。
だがその風の噂の出どころも、古い友人の名も、彼らは知らぬという。
ネッカに調べさせても彼らが嘘を言っているわけではなさそうだ。
つまり何者か…おそらく魔術を使える何者かが『古い友人』になりすまし、この街の噂を異種の者達に広めているようなのだ。
目的は不明。
目論見も不明。
「やってくる人たちのほとんどは邪悪とかそういうのじゃなくって普通に元の種族の集落じゃ暮らしてけないくらい浮いちゃってる方たちなんで、クラスク市として受け入れること自体は吝かじゃないんですけど……」
「…わざわざ異種の集落を巡ってそうした噂を広める目的も意図も不明じゃからな」
「ですです。一体何を考えてこんなことを……?」
「おー……」
ミエとシャミルの会話の間に、蒸気自動車の横を並走…もとい並んで歩いているサフィナが割って入った。
「おー…あの人たち悪くないと思う。だけど……」
「だけど…なんです?」
ミエに問われたサフィナは……くくく、と首を傾げた後、再び元に戻して、告げた。
「あの人たちにこの街を紹介したのは、あまりよくない『何か』だと思う」