第543話 食人鬼ユーアレニル
ラルゥと連れ立って目に見えぬ垂れ幕をめくり、村の外に消えたネッカ。
あとには奇妙な村人たちと巨人族ヴィラウアだけが残される。
「ハハハ! だいぶんに大きいな! これまでは人型なら私が一番大きかったのだが!」
朗らかに笑うその男…先刻ネッカにユーアレニルと呼ばれた人物は身の丈8フース(約2.4m)とかなりの長躯であるが、ヴィラウアの身長は12フース(約3.6m)ほどもあるので、大きさ的には彼女の方が圧倒的に上だ。
ただそもそもが目の前の男は色々と奇妙である。
まず巨人族としてはやや痩躯である。
巨人族は皆その巨体を支えるために強い筋力が必要で、そのお陰でどの種族であってもがっしりした、いわゆる『太い』体格をしている。
まあヴィラウアはそれが嫌でたまらないのだが。
それに比べると彼の姿はやや痩せて見える。
背丈に比べて痩せ気味なのでとてもすらりとした印象があり、ヴィラウア的にはとても羨ましい。
それも貧弱と言う感じの痩せ方ではない。
こう細い体にみっしりと筋量を積んだような、いわゆる巨人族の生来のそれとは異なる『鍛えた』肉体なのだ。
ヴィラウアはそういう肉の付き方をしている同族をこれまで見たことがなかった。
そして種族。
食人鬼である。
字の如く人を喰らう巨人族だ。
それが人と一緒に暮らしている。
その違和感がヴィラウアを困惑させた。
巨人種の中には人を喰う種もいる。
村の奥にいるトロルなども強い肉食性であり、人型生物が近くにいれば喰うだろう。
まあそんなトロルが当たり前のように村にいるのもそもそもおかしいし、先ほどの村娘…ラルゥと言っただろうか…が通り過ぎるのをそのまま看過するのもおかしいのだが、トロルの場合人型生物を食事として考えた時まだ鹿や猪などと同列であって、特に優先順位が高いわけではない。
まあとはいえそれらが横に並んでいたら人型生物を襲うかもしれないが。
なにせ人型生物は足が遅くて野生の獣よりずっと狩りやすいからだ。
だが食人鬼は違う。
彼らは好んで人肉を喰らうのだ。
主食が人型生物なのである。
彼らがこんな人里近くにいる……いやそれ自体はおかしくない。
なにせ食人鬼はわざわざ人里近くの洞窟などに居を構えるのだから。
主食である人型生物を『摂取』するための狩り場を近くに配置しておくのはむしろ当然のことだろう。
そうして彼らは村一つ全てを喰らい尽くすと、また別の村の近くに潜み暮らす。
田舎村などが目を付けられれば数年で全滅必至の最悪の生活サイクルである。
その意味では略奪はするが村をそうそう滅ぼしはしないオーク族の方がまだマシだという者もいるくらいだ。
まあオーク族がいたずらに村を滅ぼさないのは翌年にまた略奪するためなのだから、どちらがマシという事もないのだけれど。
逆に言うと、そんな食人鬼をわざわざ人型生物の住み暮らす場所……その城壁があの不可思議な垂れ幕越しに見える……の近くに住まわせているこの街の、というかあのネカターエルという呪術師の考えている事がよくわからない。
けれど今のヴィラウアにとってはそれすらも二の次だった。
彼女がもっとも目を引いたのはその食人鬼が纏っている衣服である。
色は青。
半袖半ズボンでとても生地が薄い。
表面はザラっとした感じだがとても清潔感があり、何かの模様のようなものが編み込まれている。
単純にして素朴。
それでいてとても清涼。
ヴィラウアはその衣装にすっかり釘付けになってしまった。
「ハハハハハ! この服が気になるのか?」
ぶんっぶんっと大仰に首を縦に振るヴィラウア。
その食人鬼の男性は親指で己の服を指し示しニヤリと牙を剥き笑う。
「これは『ジンベイ』。ミエ様ご考案の服だ。今の時期だとちょっと寒いかもだが夏場はいいぞー。涼しくて動きやすくてな!」
「おおおー、ジンベイ……!」
ほおおおおおおお……と瞳を輝かせてその服を見入る。
しかしまたまたミエサマである。
一体どれだけの大呪術師なのだろう。
彼女の誤解がより一層に深まってゆく。
「改めて自己紹介しておこう。わしの名はユーアレニル。見ての通り食人鬼である。魔導師見習いだ!」
「あ、エット、ヴィラウア……ゆーげる?」
聞いたことのない単語に眉をしかめ、ヴィラウアが聞き返す。
「む? 聞いておらんか? では学院長殿…ネカターエル殿は己を何者だと名乗った」
「あ、えっと、呪術師、だって…」
たどたどしく受け答えるヴィラウアの前でその食人鬼は無念そうに額を押さえた。
「かー! 学院長殿! 面倒で説明をはしょりおったな!」
ユーアレニルは小さくため息をつき、丁寧に説明をはじめた。
「まあピンとこないのも無理はない。魔導師は共通語だからな」
「ギンニム…」
「人型生物の大方が共通で使っておる言語だ。その方が互いの種族を超えて会話ができる。便利だろう?」
「おおおー、便利!」
ヴィラウアはその発想に素直に感嘆した。
他種族同士が同じ言葉で会話して仲良くなれる!
それはとてもとても素晴らしいことだと思えたからだ。
「魔導師は巨人族の知らぬまじないを使う者のことよ。確かに巨人語では呪術師としか言いようがないがな。この世の真理を解き明かさんとする賢人のようなものだ。立ち位置的には精霊使いの方がやや近い」
「いいまじない!」
「そうだ。いいまじないだ」
なるほどたしかに。
ヴィラウアはそれを聞いて納得した。
ネカターエルはとてもとても強そうで恐ろしそうだったけれど、邪悪な感じはまるでしなかったからだ。
ヴィラウアはぶんぶんっと頭を幾度も下げて納得の意を示す。
ただ先ほどのネカターエルと名乗る呪術師…もとい魔導師? と同じものを目の前の食人鬼が目指しており、今その見習いをしている、というのはとても意外であった。
食人鬼はあまり頭がよろしくない(それに関しては巨人族もあまり言えたことではない)のだが、そんな種族に務まるものなのだろうか?
「では話を戻すぞヴィラウア。うむ、いい名だな! ではヴィラウア。大事な事なので最初に聞いておく。お前は何故同種を捨ててこの街に来た。人型生物を求める理由を話してもらおう」
「!!」
「言っておくがちゃんと意味のある事だぞ。わしらは人型生物に『怪物』や『化物』と呼ばれておる。当然ながら恐怖や排斥の対象だ。お主にも覚えがあろう?」
「……………………」
苦い心の傷を思い出し、ヴィラウアは無言でこくりと頷いた。
「この街はオークが太守をしておるゆえ他の街に比べればはるかに我らに対して寛容ではある。だがそれは『不可能』が『至難・困難』に変わった程度にすぎん。我らが人型生物と融和するための道はとてもとても険しい。仮に互いがそう思い、そう望んでいたとしても、だ」
その食人鬼の言っている事は難しすぎてヴィラウアにはよくわからなかったが、先ほどネカターエルから聞いた言葉の中から印象に残った単語がその口から飛び出てきた。
「そ、そーごりかい!」
「うむ! そうだ。良い言葉を教わったったな! その相互理解のためには強い意志と忍耐が必要だ。そしてそれらのためには彼ら人型生物と融和…なに? よく意味が分からん? そうだな…ふむ、『なかよく』だな」
「なかよく……なかよくしたい!」
「うむ! その心意気やよし! つまりそのためには『仲良くしたい』という強い動機や理由が必要、と言う話だ」
「どうき…理由……」
「そうだ。お主が彼らと仲良くなりたいという理由はなんだ」
「わたし…わたしが仲良くなりたい理由は……」




