第54話 知ること学ぶこと
「オーク語の…? なんか面倒くさくねえか?」
ゲルダが片眉を吊り上げつつ後ろ手に組む。
その答えを予測していたミエは丁寧に説明を始めた。
「オークが私達に暴力を振るったとして、仮にこちらに非があったなら言葉がわかれば次からは気を付けることができます。もしこちらに非がないただの八つ当たりだったとしても、その理由がわかれば対策することができます。それに…」
「それに話を聞いてやることそれ自体で、相手の気が晴れて暴力が抑制される可能性もある…じゃろ? 確かに筋は通っておるな」
シャミルの方は興味が増したのか腕を組んでミエの方を見上げた。
「はい。オークと生活する上で異種族の女性が直面するのは彼らの暴力だと思いますが、言葉が通じさえすればその大半は防げると私は考えています。なのでまずこの計画に参加していただく皆さんにはみっちりオーク語の勉強をしていただきます」
「わかった。サフィナ、オーク語勉強する…」
ミエの言葉にサフィナがこくこくこくこく、と幾度も頷き、瞳を輝かせる。
「それは構わんが…誰が教師をするんじゃ」
「それはもちろん言い出しっぺの私が務めさせていただきます」
「お主が? オーク語を?」
「ミエ、オーク語、ペラペラ…一緒に住んでるオーク…くらすく? ともオーク語で話してる…」
サフィナの言葉にゲルダもシャミルも目を丸くした。
「へーなるほどな。道理でオークが嫁とか言い出すワケだ。襲撃にも他の種族の脅迫にも便利だしそりゃ手放したくないわな」
「なんとまあ…あ奴の兄貴分が少々特殊なことはその独り語りで知っておったがそんな事情がのう…しかし会えば略奪か殺害かのオーク族の言葉をあえて学ぼうとは…使う機会どころか学ぶ機会がそもそもあるまいに。いったい記憶喪失前のお主はどんな人生を送っておったのじゃ? 逆にそっち方が興味あるわい」
「あはは…どうだったんでしょうね~…」
ミエは乾いた笑いで誤魔化す。
実際には記憶喪失でもなんでもなく、転生の際に授かったもらいものに過ぎないのだけれど、流石にそれは言わない方がいい気がした。
「ともかくオーク語を学ぶメリットは大きいと思います。そして…この計画に参加してもらう家の場合、オーク側にも共通語を学んでいただきます!」
「まじか」
「んなぬー?!」
「おおー…(瞳を輝かせて)」
三者三様の、だがいずれも大きな驚嘆を以てミエに反応する三人。
まあこの世界のオーク族に対する評価を考えれば当たり前のことではあるのだが。
「それは…なんじゃ。確かにそれができれば間違いなく有効ではあろうが…あ奴らがまともに学ぶと思うか…?」
眉根を顰め至極もっともな疑問を呈するシャミル。
そりゃそうだ、とばかりにうんうんと頷くゲルダ。
同意しているのか真似っこしているのか、隣で同じように腕組みしてこくこくしているサフィナ。
だがミエはふふんと得意げに笑いながら切り返した。
「いえいえ。オーク族だって自分たちのメリットになると理解すれば真面目に頑張ると思いますよー?」
「「「メリット…?」」」
× × ×
「エー! 人間ノ言葉勉強スルノカヨ兄ィ!」
いかにも嫌そうにリーパグが不平を漏らす。
ここはラオクィクの家。
クラスクがちょうど三人のオーク達に共通語の習得について説明していたところだ。
「メンドクセーマジメンドクセー。ナアラオ兄ィ」
「俺ハクラスクガソウシタイナラ協力スル」
「エー」
心底嫌そうな顔のリーパグ。
オークは基本的に頭を使うことが苦手なのだ。
「ワッフハドウナンダヨー。お前ダッテ頭使ウノ苦手ダロー?」
「エーット、オラハ、オラハ…」
リーパグとクラスクの視線に挟まれたワッフはおろおろと視線を泳がせるが、やがて意を決したようにクラスクに問うた。
「ア、兄貴ィ、ソノぎんにむ? ッテヤツガ使エタラ…オラアノ子ト話セルヨウニナルダカ?!」
「ああ。なル」
それを聞いた途端、ワッフは興奮のあまり飛び上がり派手に鼻息を吹き鳴らした。
「ウッヒョオォォォォォォォォォォォォォ!! オラガンバル! 兄貴! オラ頭悪イケド頑張ルヨォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」
「そうダナ。頑張れ」
「ワカッタァァァァァァァァァ! オラガンバルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
「エエエエエエエエエエ…嫌ナノ俺ダケカヨー」
人間にせよオークにせよ、学ぼうとするのに最も大切なのはモチベーションである。
少なくとも今回の件、ワッフにはそれが十分にあるようだ。
「嫌ダ嫌ダ言ウけドナ、リーパグ。コノ共通語知っテルトイイコトもイッパイあルゾ」
「「「イイコト…?」」」
クラスクの言葉に三人が興味を持って耳を欹てる。
「まず荷馬車を襲っタ時ダ。あイつらズルイカら大事ナ物ドコカに隠シテルかもシれン。お前ら眼に見えルモノシカ奪えネエ。あイつらが喰イモント酒十運ンデテ六隠シタら、オ前ラ四シか奪えネエ!」
「ソレハズルイナ!」
「ズルイ! ズルイ!」
「エーット、十アッテ六隠サレテルカラ十カラ六デ…エエト…」
ラオクィクとリーパグが不満をぶち上げる。
ワッフは両手の指を折りながら数を数え、途中で顔を輝かせて「四ダー!」と叫んだ。
「そうダナ、ズルイ!」
まあ襲撃する方が非道ではないかなどという理屈がオークに通じるはずもないのは当然として、それは狡いのではなく賢いのだとクラスクは理解しているが、あえてオーク寄りの価値観で仲間を煽る。
「ダガあイつらノ言葉わかれバあイつらノ話聞イテ隠シテル場所わかル! 喋らなくテモ教えルよう脅すコトデキル!」
「「「オオオオー」」」
実際にはわかることもあるかもしれない…程度なのだけれど、オーク族には難しい言い回しよりこうした断言調の言い回しの方が説得力があり、興味も持ってもらえることをクラスクは知悉していた。
ミエの≪応援≫により同族に比べそのあたりの知恵がついているクラスクなのである。
「他にモ降伏シタ兵隊ドモガこっそり俺達不意打ちシようト相談シテルかもしれネエ。人間ノ言葉わかれバそれモ全部わかル!」
「「「おおおおおおおー!!」」」
「ナニよりあイつら俺達舐めてル! 俺達ガ人間ノ言葉わかルナンテ全然思っテナイ! ダカラ俺ノ前デ平気デ相談すル! 俺それ全部わかル! 情報あどばんてー…じ? デイッパイイッパイ活躍デキル! あイつらノ言葉わかればオ前らモそれデキル! 活躍デキル!! 仕切りニナれル!!!」
「「「オオオオオオオオオオオオオー!!!」」」
一部ミエから学んだ概念が少々心許ないが、ミエの≪応援≫による一時補正以外でも、彼が共通語を理解できることから発生した同族との情報格差を利用して活躍し頭角を現したのは事実である。
「お前たちいつも俺ト一緒に仕事するわけジャなイ! 他の連中ト襲撃すルコトもアル! そういう時お前らダけアイツらノ言葉知っテル。すごく強イ! 活躍デきル! 一番取れル! 仕切りニなれル!」
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオー!!!」」」
まるで悪徳霊感商法のような語りですっかり人心…もといオーク心を掌握するクラスク。
ミエに夜毎≪応援≫されて、オーク族としては高めとなった魅力値のお陰である。
「兄貴俺達ノ事ソンナニ心配シテクレテ…オーンオンオン! オラガンバルダヨー!」
「ヘッヘッヘ…俺モコレデ兄ィト同ジヨウニ…ヘッヘッヘ」
「ソンナニ上手ク行クカハトモカク、マア他ノ連中ヨリ有利ニナルノハ確カダナ…面倒ナリノ価値ハアルワケカ」
どうやらワッフ、リーパグ、ラオクィクと各々なりに共通語を学ぶモチベーションは確保できたようだ。
もちろんクラスクが言っていることに嘘はない。
オークは怪力と頑丈だけが取り柄の低能馬鹿、というのが一般的な他種族の認識であり、同族以外との交流をほぼ持たないオーク族が他種族の言語を学んでいることなど皆無と言っていい。
それだけに密かに共通語が聞ける/話せるというアドバンテージは他種族を出し抜く意味でも同族内でより活躍する意味でも非常に大きなものであると言える。
いつの時代も差を生むのは情報格差なのだ。
ただクラスクの狙いは無論それだけではない。
現在クラスクとその仲間…いわゆる『クラスク派』は若手の中でも一際注目されているが、それはあくまでクラスク個人に対する注目に過ぎない。
だがクラスクとミエが望む変化のためにはそれでは駄目なのだ。
クラスク以外の仲間達が活躍し名を上げることで初めて
「アレ? 女ヲ大事ニシタ方ガイイコトアル?」
のような認識が他のオークに広がってゆくのである。
「よぉーし納得シタトこデ今からマズ基本的ナ発音ヲダナ…」
と、クラスクがいざ教鞭を取ろうとしたとき…
その家に、全力疾走で転がり込んできた者がいた。