第533話 求めるもの
「おお、帰ったか」
「お帰りなさいでふー」
「キャスさん! ネッカさん!?」
家に帰ると多忙な二人が珍しくミエより先に帰宅していた。
ミエの息子であるクルケブと双子の娘ミック、ピリックの遊び相手をしながら三人を寝かしつけている。
なかなかに慣れた様子だ。
ちなみに観光地化した花のクラスク村の塀の向こうにミエたちの家はあるのだが、増改築を繰り返される他の家々に比べ彼女らの家は比較的質素なままだった。
家族が増えるにしたがって増築した分しか部屋を増やしていないのである。
ただこれに関して彼女たちには特に不満はなかった。
なにせ皆多忙に次ぐ多忙でほとんど家に帰る暇がないのだ。
せいぜい起きている間は子供の世話をしつつ運が良ければ遅い晩飯を家族一緒に取るくらいしかすることがない。
ほとんどの場合この家の役割は『夜、寝るだけ』に限られるのだ。
まあその『夜、寝るだけ』というのがこの家族にとっては割と重大事なのだけれど。
「すいませんお任せしちゃって! おーよしよし、ってもう半分寝てますね?」
「だいぶ遊び疲れたようだからな」
「オークの子供ってほんとタフでふね…この年齢でこれだとこの先ネッカの体力が持つか不安でふ」
「待て待て。ドワーフ族で無理ならハーフエルフの私ではさらに至難になるぞ?」
そんな軽口を叩き合える程度には皆育児に慣れてきたものらしい。
最初の頃などはキャスもネッカもだいぶんに苦労していたようだけれど。
まあそれを言い出したらミエ自体も子育てには苦心惨憺したものだ。
知識はあっても出産も育児もすべて初体験だったのだから当然と言えば当然だろうが。
だが二十歳まで生きられぬと全てを諦めていたかつての彼女からすれば、結婚も恋愛も妊娠も出産も育児も皆嬉しい労苦に他ならない。
苦労できるだけの時間と人生がある、というだけでも彼女にとっては望外なのだから。
そんな彼女たちの様子を少し離れて見つめていたイエタは、やがてなんとも嬉しそうに微笑んだ。
種族の異なる彼女たちが『家族』になりきっている事が嬉しかったのだろう。
だってそれは彼女の仕えている女神の、そして彼女自身の理想に他ならなかったのだから。
「それにしても珍しいですね、お二人が私より早く帰るだなんて」
ミエの言い分はもっともである。
ネッカは近々開校されるこの街の魔導学院の学院長として様々な準備にかかりきりのはずだし、キャスはキャスでクラスクの護衛以外にも多くの仕事を兼任している。
無論ミエも多忙ではあるけれど、ミエの場合子供がいるためそれでも夕食までにはなるべく家に帰ることにしている。
多少遅れても乳母のマルトが世話をしてくれるとは言え、母親としての仕事はないがしろにはしたくないのだ。
それゆえいつもであればミエが一番最初に帰宅し子供らの世話と夕食の準備、その後キャスとネッカとクラスクが三々五々に帰宅する…というのが普段のスケジュールだった。
ミエより早くまだ日の出ている内にキャスとネッカが家にいるのはだいぶ珍しいことと言っていいだろう。
「まあ今日は新しい家族の大事な日だからな」
「でふでふ」
「まあ……」
キャスの言葉にネッカがぶんぶんと首を縦に振る。
そしてそれを聞いてイエタがぽ、と頬を染めた。
「そういえば今更なんですけど、イエタさんて旦那様のどこに惚れたんですか」
「惚れ、た……?」
「はい。だって好きでしたよね、だいぶ前から」
「…………………」
ミエに言われてしばらく硬直していたイエタは、だがやがてかあああああ…と頬を染め見る間に真っ赤になって両手を頬に当てた。
「ええと、ミエ様」
「はい、なんでしょう」
「ミエ様は、いつからお気づきに…?」
おずおず、と染めた頬でそう尋ねるイエタにミエはきょとんとしたきょとんとした顔をする。
「割と最初から……ですかね?」
「ええ……?」
ミエの言葉を聞いてますます真っ赤になって狼狽えるイエタ。
「だってほら…暇さえあれば旦那様の趣味部屋に入り浸ってましたし、じっと眺めてる視線の先もジオラマじゃなくって旦那様でしたし…」
「まあ教会での勤めの時以外クラスク殿にいつもついて回っている気はしていたな。親衛隊長として一応気にはしていた」
「ネッカはあまり気づかなかったでふね。円卓会議に呼ばれた時びっくりしたり怖がるたびにクラさまの椅子の後ろの隠れる気はしてたでふが」
ミエたちに指摘されるたびにおろおろと狼狽えて頬の赤みをいや増してゆく。
「あ、かわいい」
「ふむクラスク殿が喜びそうなギャップだな」
「流石天翼族でふー…」
そしてそんな彼女を見てその美しさと愛らしさに同性ながら思わず息を飲む三人。
「も、申し訳ありません…その、なにぶん色恋というものに疎くて、自分の心を実感したのもつい先日の事なのです。ですから決して他人の良人に懸想したつもりは…」
「いえいえ別にいいんですよー。オーク族は別にお嫁さんが一人ってわけじゃないんですしー」
「軽いな」
「軽いでふね」
右手をひらひらさせながら軽く返事をするミエと、少々呆れ気味に呟く他姉嫁二人。
「ただ少し気になったんですけど、その…イエタさんは天翼族じゃないですか。その…美的感覚とかもだいぶ違うと思うんですが、なぜ旦那様を気に入られたんです?」
「ええと……」
はて、とイエタは考え込んだ。
言われてみれば一般的な天翼族の美醜の感覚は人間族やエルフ族のそれと近い。
己が種族の価値観で言えばオーク族は『醜い』と表現して差し支えない部類である。
だがクラスクと相対した時そうした感覚は一切なかった。
というより、どちらかというと…
「そうですね……『安堵』、でしょうか」
「安堵……?」
イエタの呟いた言葉にぱちくり、とミエが目をしばたたかせる。
「はい。クラスク様のおそばにいますと妙に安心するというか、安らぎを覚えるのです。こうなんといいますか…頼もしさといいますか…こう上手く言葉にできないのですが……」
「わかります!」
己の感覚を奇麗に言語化できず言いよどむイエタだが、そんな彼女の手をがっしと握り、ミエがぶんぶんとその腕を振った。
「ふむ、確かに甲斐性はあるな」
「はいでふ! その気持ちすっごくわかりまふイエタ様!」
「なら逞しい男性とか頼りがいのある男性が好みなんですか?」
「さあ……どうなのでしょう」
ミエが食い気味に質問するが、イエタは困惑したように頬に手を当てた。
「わたくし物心つく前に両親を失い教会に育てられましたので、クラスク様のような頼りがいのある方を求めていると言われればそのような気も…」
「思ったよりも返しが重いですね!?」
思わず素でツッコんでしまったミエは、咳払いをして話の流れを元に戻す。
「でもそれでなんとなく納得がいきました。なるほど。イエタさんが旦那様に惹かれたのは『父性』ですか」
「父性……」
幼いころに両親をなくした娘が、教会で純粋培養に育てられた。
そんな彼女が密かに求めていたもの、望んでいたもの。
それが『家族』であり『父親』だったのだ。
確かにクラスクの頼もしさには父性的な側面があるかもしれない。
それは彼とこの街との関係性に理由がある。
クラスクは市長を名乗っているが、選挙によって選ばれたわけではない。
この街の構造上彼は民の代表ではなく独裁者であり、街の住人は全て彼の所有物に等しい。
だがそれは同時に彼にある『縛り』を与えていた。
クラスクが頂点としてそのまま村を、そして街の運営を続けてしまったことで、彼はオーク族の族長としての感覚をそのまま市長職に持ち込んでしまっているのだ。
自分の配下は喰わせねばならない。
怠惰は許さぬが働く意思がある限り仕事を与えねばならない。
本来ならそれは『オーク族のみ』が享受すべきものだったのだが、クラスクはミエのせいで、或いはミエのお陰でその縛りを他種族にも広げてしまっている。
それがこの街の暮らしやすさに繋がって、オーク族の支配下たるこの街に人々を誘引する魅力ともなっているのだ。
いわば彼の族長として他の者達の面倒を見なければならぬという父性がこの街の基幹にあると言っていい。
「あとはこう…その、あの時に運命を感じてしまって……」
「「「ほほう?」」」
ぽぽぽ、と頬を染め両手で火照った頬を覆う。
そんな事を言われればミエならずとも気になろうというものだ。
「それって具体的には……?」
「その、あの時の……キッスが」
「きっす」
鸚鵡返しに呟くミエの言葉にイエタの頬の赤みがいや増した。
「目覚めと同時にわたくしの唇を奪ったあのキッスがとても情熱的で…わたくし法悦を感じてしまいました。とてもとても気持ちよかったのです」
やんやんと顔を振りながらそんなことをのたまう聖職者。
眉根を寄せて青ざめる姉嫁一同。
「いや……確かにクラスク殿は口吸いが上手ではあるが……」
「接吻だけでそんなに……でふか」
ミエが素早く二人の後ろに回って耳打ちで相談する。
「お二人とも……確か奇跡の力って価値観が大きく変わると消えちゃうかもしれないんですよね? 大丈夫なんでしょうか。キッスひとつであれなんですよ! この後本番が控えてるっていうのに!!」
「いやだがそんな事を言われても…(ボソボソ」
「今更引き返せないでふ!(ヒソヒソ」
「今帰っタ」
「「「きゃあ!」」」
「クラスク様!!」
扉を開けてわが家へと踏み入ってくるこの家の主。
扉の外で歓迎の咆哮を上げているコルキ。
とててて…と嬉し気に出迎えに行くイエタ。
一抹の不安を抱えた三人は顔を見合わせて……覚悟を決めて夫を迎えるのだった。
……幸い、イエタの奇跡の力は失われなかったという。
その肉体に新たな価値観は植え付けられたけれど。