第531話 謎の集団
街中を歩くミエとイエタ。
激しく馬車が行き交い、テラスでは昼間から酒を酌み交わす客がいる。
取り戻された平和。
だが『戻った』と表現するにはいささかその町は浮ついていた。
街では口々に、そしてあちこちで噂されている。
話題というのは他でもない、市長の赤竜退治についてである。
竜退治…というのはこの世界に稀に発生する偉業である。
ゆえにパレードが終わって数日経っても、未だ街のあちこちでその噂が続けられている。
ミエからするとみんな少々騒ぎすぎなんじゃないかしら、と思わなくもないのだが、それについてはミエの感覚の方がおかしい。
彼女とこの世界の人型生物とでは根本的に自己の種に対する認識にズレがあるからだ。
ミエがかつて生きていた世界に於いて、人類を脅かす存在はいなかった。
天災やウィルスなどによって大きな被害を受けることはあっても、総体としての人類の勢力が揺るぐことはない。
『万物の霊長』などという言い方もあったほどだ。
けれどこの世界に於いてはそうではない。
地底から湧いてくる侵略者たち。
辺境に蠢く化物ども。
瘴気と魔物。
そしてその背後で暗躍する凶悪な魔族。
人型生物を頂点と呼ぶには、この世界には危険で強大な存在が多すぎる。
ゆえに人型生物には常に自分たちがこの世界に於ける『弱者』であるという意識が付きまとっていた。
さらに、その頂点として認識されているのが竜である。
竜種は皆厄介な存在であり、その真似事に過ぎぬ偽竜すら脅威となり得る連中だが、その中でも真竜は別格である。
地底の脅威も魔族の侵略もいずれも集団や組織に対する脅威だ。
だが真竜は基本群れることはない。
その脅威はとにかく圧倒的な個の力にこそある。
単体で村や街を襲い、伝説に於いて国家すら滅ぼす存在なのだ。
どの相手も厄介で危険で最大限に警戒すべきとされながら、それでも真竜が別格扱いされやすいのはそうした理由がある。
ゆえにこそ竜を退治した者、というのは派手に喧伝され、大いに話題になる。
千年近く生きた古老級の竜種となればなおの話で、さらにそれがこの地方を長きにわたり苦しめ続け、幾多の彼にちなんだ地名を各地に残す因縁の赤き竜ともなれば層倍であろう。
ミエの故郷ではなかなかに理解しにくい感覚かもしれないが、娯楽の少ない地域で地元の人間がオリンピックで金メダルを取ったとか、相撲で横砂になったとか、或いは世界最高峰の山の登頂に成功したとか、そういった感覚に近いかもしれない。
「これはミエ様」
「イエタ様も!」
「ハハハ! 竜殺しの女傑に乾杯!」
「カンパーイ!!」
当然その敬意はクラスクに同伴した仲間たちにも向けられる。
なにせ竜退治を成し遂げた御一行だ。
しかもそれが全員この街の出身者である。
気分がよくなりついでにほろ酔い気分になるのもだから仕方のない事なのかもしれない。
「ああもう皆さんお昼っから出来上がっちゃってー…」
というわけで現在この街は真昼間っから酒を飲んで浮かれて騒ぐ連中が後を絶たない。
特に農作業に従事する者は日雇いで賃金を得られるため小銭さえあれば数日休んで騒いでも特に生活に響かない。
まあその分貯金は貯まらないだろうが。
おかげでこうして飲食店が大繁盛している、というわけだ。
「うーんお店が繁盛して喜ぶべきか賃金労働者の労働力としての欠点が露わになったことにもっと危機感を抱くべきなのか難しい問題ですねえ」
浮かれる彼らににこやかに手を振りながらミエがそんな述懐を漏らす。
「街の方々が怯えから解放され笑顔を取り戻したのならとても良いことだと思いますわ」
「それはそうですけどー。そうなんですけどー」
ぽんと両手を合わせにこやかに微笑むイエタに同意しつつも複雑な表情を浮かべるミエ。
互いに善良を絵に描いたような似た者同士のミエとイエタではあるが、こうした部分はだいぶ感覚が違うようだ。
『為政者としての視点』の有無と言ってもいいだろう。
「確かに街が栄えるのもみんなが楽しげなのも素晴らしいことです。素晴らしいことですが! 大事な事なので二回言います! 素晴らしいことですがー! 発展と爛熟は紙一重! 栄華と退廃も紙一重! なのです!」
ふんすと鼻息を荒くしながらミエが力説する。
「数日の熱狂で再び元に戻るならいいんですけど、これに馴れて明日も明後日も…と続けると凋落の始まりになりかねません。お祭り騒ぎも大いに結構。ですが律するべきところはちゃんと律してもらわないと……」
独り言のようにぶつぶつ呟いていたミエは、知らず周囲の注目を一身に集めていた。
そしてその言葉が一息ついたところでイエタが嬉しそうにぱちぱちと拍手をすると、周囲が一気にどっと沸いた。
「いいぞーミエ様ー!」
「さすがクラスク様の第一夫人!」
「きゃー!?」
我に返ってみれば周りからやんややんやと囃し立てられ目を丸くするミエ。
「そうよミエ様その通り! もっとこの宿六に言ってやんな!」
「俺ダッテワカッテル! コレ飲ンダラ仕事行ク!」
まあほとんどの街の者はミエに言われるまでもなくそうしたけじめはつけているようだったけれど。
× × ×
「ふいー…すいませんちょっと目立ちすぎちゃいました」
歓声の中を愛想よく手を振りながら退散したミエとイエタはいつもの雑踏の中に戻ってほっと一息つく。
…いや、つけたと思ったのだが。
「? なんか向こうがざわついてますね」
「そうですね。何かあったのでしょうか」
ミエとイエタが自然と早歩きになりながらやや雑踏が群がっているあたりに向かう。
もし何かの問題が起こっていたらというのがミエの懸念であり、もし大きな事故でもあったのなら急いで治療しなければ、というのがイエタの危惧である。
だが残念ながらというべきか、幸いにと言うべきか、二人の心配は杞憂に終わった。
特に大きな諍いや喧嘩があったわけでもなければ大きな事故が起きたわけでもなかったからだ。
かわりに…そこには、奇妙な集団がいた。
それは往来を歩くいかつい男どもの集まりだった。
全員丈夫そうな…だが妙に焦げ跡や穴の空いた皮の服を着て、これまた丈夫そうな皮の手袋をしており、背中に大きな荷物を背負っている。
ところどころはみ出ているのは金属の槌と…
「かなとこ? ってことは鍛冶屋さんですかね?」
「まあ。鍛冶屋さんのご家族でしょうか!」
少し不思議そうにミエとイエタが顔を見合わせる。
二人とも鍛冶師を知らぬわけではない。
この街にもいるし、なんだったらミエは移住希望者たる鍛冶屋の審査を(壁に隠れて)したことだってある。
ただ二人の知っている鍛冶屋は基本一人だった。
この街に暮らし始めて弟子ができた者もいたけれど(ちなみにその弟子はオークであった。なにせその鍛冶屋は珍しく女性だったからだ)、少なくとも街を訪れた時は一人だった。
今往来の向こうを闊歩しているような鍛冶集団などこれまで見たこともなかったのである。
「ご家族……って割には種族がバラバラですけど……っていうかドワーフもいますね? まあ鍛治屋さんなんですから金属加工が得意っていうドワーフがいても全然おかしくないですけど……ここオークの街なのに気にならないんでしょうか」
気にならぬという事はないだろう。
なにせそのドワーフは幾度も鼻を鳴らしては他の仲間に悪態をついている。
相当この街が気に入らぬらしい。
まあ往来を当たり前のようにオークが闊歩する街などドワーフ族にとっては悪夢以外の何物でもないだろうが。
「オイオイ、ありゃあ『緋鉄団』じゃないか」
…とその時、ミエの隣にいた中年の男性が呟いた。
「御存じなんですかレーグルさん」
「うおっ! ミエ様!? あ、すいません」
突然声をかけられて仰天した男…レーグルは、だがすぐにその語尾を小さくした。
ミエが口元に人差し指を当てていたからである。
もし彼女が帽子でもかぶっていたらお忍びの合図と察してすぐに口をつぐんだのだろうけれど、今日は普通の格好だったため油断してしまった。
どうやらミエがあまり注目を集めたくないらしいと察した彼は、小声で彼女に告げる。
「はい。流れの鍛冶屋集団ですよ。かなり腕が立つ連中だって話です。ですが大抵は大きな戦争があるところにやってくるはずなんですがねえ」
少し不吉そうな物言いである。
それではまるでこの街がもうすぐ戦争に巻き込まれてしまうみたいではないか。
「戦争…鍛冶屋…ってことは鍛冶屋は鍛冶屋でも武器職人ですか」
「はい。防具もいいのを造りますよ。値は張るらしいですが」
ふむ、とミエは腕を組んで考え込んだ。
戦争の臭いを嗅ぎつけてやってくる武器職人集団…平和を旨とするこの街には正直あまりありがたくない存在であるが、アーリと相談した限りこの街にまだ差し迫った危機はないはずだ。
サフィナも何も当座の危険を感知していない。
では一体なぜ……
「……あ」
ふとそのことに思い至って、ミエは小さな声を上げた。
武器や防具を造る職人がわざわざ特定の場所に来る理由。
もしそれが戦争でないというのなら、もう一つ思い当たるものがあるのだ。
『素材』である。
武器や防具を造るならいい鉄が必要だ。
そうした場所であれば鍛冶屋の集団が顔を見せてもおかしくない。
この街は平街であり、近くに岩塩鉱床はあってもいい鉱石が取れるわけではない。
だがそれでも、この街ならではの武器や防具の素材が、確かについ先日手に入っていたではないか。
そう、この世界でも有数の硬度を誇ると言われる……竜の鱗である。