第522話 攻城弩弓(バリスタ)
「オーク族が攻城兵器か…飛び道具なら攻城弩弓あたりだろうな。攻城弩弓を運搬しながら千五百ニューロ(約2200m)の山頂を目指す…ふむ、かなり前代未聞な策だがオーク族なら不可能ではないか」
キャスがクラスクの策の実現性について熟考する。
「ただしそれはあくまで何の問題も障害もなかった場合の話だ。アーリ、今の策を実現させようとした場合、対竜種に於いて何が問題になると思う?」
「単純に考えると運んでる最中に空飛んでる赤竜に見つかって焼き殺されて終わり、ってなりそうだニャー」
「ギャー!? 無理ィィー!!」
「音を上げるのが早すぎるわこのたくらんけ!」
アーリの指摘にリーパグが早速音を上げて、あまりの情けなさにシャミルが思わず叱咤する。
「それを防ぐにハドうしタらイイ」
「ニャー…そもそも真竜には多重瞳孔ってのがあってめちゃくちゃ目がいいニャ。だからこっちから見て竜が芥子粒くらいにしか見えてなくても向こうからはこっちがはっきり見えてると思った方がいいニャ」
「それって幻術でどうにかなったりは…?」
魔術について詳しくないなりにミエがとりあえず意見を述べる。
「確かに幻影系統の魔術には視覚を惑わすものがありまふね」
「けど視覚だけ欺いてもダメニャ。竜種には≪音響探査≫があるニャ。仮に見た目を誤魔化せても人型の個体が山腹にいることは跳ね返ってくる音を拾うだけで簡単に飛んでてもわかっちゃうニャ」
「それって幻術でどうにかなったりは?」
魔術について詳しくないミエが素朴な私見を述べる。
「それは…それはどうなんニャ?」
「それって要は音波で対象の位置や形状を把握するエコーロケーションですよね? で幻覚呪文は相手の知覚を惑わせる…ってことは聴覚か触覚の幻覚で誤魔化せたりしないんです?」
「「…………………」」
ミエの話をきょとんとした表情で聞いていたアーリとネッカだったが、その後半を聞いて思わず互いに顔を見合わせる。
「…理屈の上では不可能ではないでふね。対象の形状を把握するのは≪音響探査≫で帰ってきた音波を受信器官で拾ってるからでふから、その音そのものを周囲の地形と違和感なく偽装する魔具があれば…〈幻視〉と〈幻聴〉の呪文を付与したこう…大きな布のような魔具を用意して、それを上からかぶれば…」
「おー…それなら上から見たら誤魔化せる?」
「はいでふ。理論上は」
「んじゃあ横から見たら」
「一発でバレまふね。確実に」
「ダメじゃねーか!」
サフィナが感心する横で、ゲルダが眉根を寄せてツッコんだ。
「いや…案外いけるんじゃニャイか、それ」
ネッカの説明を聞きながらずっと壁際で唸っていたアーリが、何か思い当たる風で顔を上げた。
「でも上からしか誤魔化せねーんだろ?」
「アイツはそもそも山腹に降りてまで確かめてこないと思うニャ」
「あん? どーしてそんなんが言い切れんだよ?」
ゲルダの怪訝そうな問いにアーリは小さく咳払いして話し始める。
「第一に鋭い視覚や≪音響探査≫を使っても見破れないかもしれない存在がいるニャ。盗族や暗殺者の類だニャ。これまでも物陰に潜んだ盗族の不意打ちであの竜が倒せはしないまでもそれなりにダメージを受けたって報告があるニャ。だからあいつらの隠密能力を警戒してわざわざ地上に降りずに上空からの探査しか行わない可能性が高いニャ。火口に降りさえすれば盗族連中はもう追撃できないしニャ」
しれっと部外者のように語るアーリ。
まあこの少し後に自らが盗族であるとばつが悪そうに明かすことになるのだが。
「第二に竜は飛ぶのが苦手ニャ」
「ふぇ? そうなんですか?」
「あの巨体と重量をあの羽だけで支えるのはかなり大変で、空を飛べはするんニャけどお世辞にも軽快とは言い難いニャ。滑空とかするだけなら早いんだけどニャー」
「あー、あれって魔術とかじゃなくて普通に羽で物理的に揚力得て飛んでるんですか? それだと確かにかなり飛ぶのは大変そうですねえ」
「ニャ」
ミエの言葉にアーリはこくりと頷く。
「地上だとものっすごい筋力で見た目よりかなり俊敏なんだけどニャ。ともかく連中は飛ぶの苦手ニャから、急な上り坂や下り坂からだとちょっと飛び立つのに手間取るニャ。だからわざわざ急坂の山腹に降りてきて確認はしてこないと思うニャ。面倒ごとになった時逃走しにくいからニャ」
アーリはそう語りながらあとでイエタの占術で確認しよう…などと考えながら羊皮紙にメモを書き足してゆく。
「とはいえいかにオークといえどもずっと上に布を引き被ったまんまあの高さの山の整備されていない急坂は登れないじゃろ」
「そうダナ……」
クラスクは腕を組んで少しの間首を捻る。
「こう……あいつが巣の中にイルか出払っテル間ひタすら山登っテ、あいつが山に出入りすル時ダケ隠れるトかハダメカ」
「巣穴にいる時はなるべく控えた方がいいと思いまふ。呪文とか魔具とかで周囲を探ってる可能性がありまふから」
「ニャ……つまり『赤竜があの山を出る日付と時間』と、『再び山に戻ってくる日付と時間』がわかればある程度計算できるってことだニャ」
イエタに頼む占術にその質問を加えようとアーリは素早くメモを走らせる。
「ヨシその路線デ行こう」
クラスクが即断し、街の方針は決まった。
「うちには攻城弩弓とか用意ニャイから急いで調達しないとニャ。あと使い方! しっかり覚えてもらうニャ!!」
「「「オウ!」」」
アーリがびしりとラオクィクら三人を指差して、オークどもが力こぶを見せて応える。
「やれやれ、どうにも大事になってきたのう」
話がまとまり嘆息するシャミル。
「あのー……」
と、そこにおずおずと手を挙げて近づいてくる謎の影。
「なんじゃミエ」
「ええっと、攻城弩弓っておっきい機械式の弩のことですよね」
「まあおおむねそうじゃな」
「それならアーリさんが購入する攻城弩弓にシャミルさんのお力を借りてですね、ここをこう……」
× × ×
攻城弩弓から放たれた矢が次々と赤竜の翼膜に突き刺さり、貫通してゆく。
標高千五百ニューロ(約2200m)の山頂に似つかわしくないその重量物は、イエタの占術によって赤竜の行動パターンを洗い出し、彼がクラスク市の北の村々を焼き払って最後のカウントダウンをしている間に、一台につきオーク十人がかりで必死に山腹を縦に運ばれていた。
クラスク達一行がドワーフの街オルドゥスから迷宮に挑まんとした出立の日、見送りにラオクィクらがいたのはこの攻城弩弓を運搬する仕事がすぐ後に控えていたためである。
そして夕暮れ時、その赤竜が火口へと帰る時間を見計らって皆でネッカが作成した魔具『欺きの掛布』を引き被り、息を殺して彼が火口に消えるまで耐え、その後夜通し山頂目指して運搬を続けたのだ。
矢を一発装填するのに怪力自慢たるオーク達が数人がかりでやっと、という強靭な発条に調整されていたその攻城弩弓は、その時点で既に魔術の加護がなくとも赤竜の物理障壁を突破する威力を備えていた。
その上で、彼らが射出する矢の先端には赤竜イクスク・ヴェクヲクスが身に纏っている物理障壁を無効化する魔力を帯びた隕鉄が使用されていた。
クラスクら火口突入組は〈上位金属変化〉の魔術によって己の武器を一時的に隕鉄と同じ性質に変えて用いているが、この呪文はさほど長い時間持続しないため山頂組には使用できない。
ゆえに彼らの鏃には本物の隕鉄が使用されていた。
シャミルが解き明かした赤竜を護る物理障壁の秘密…あの時キャスが語っていた通り隕鉄はとても希少で数が少ない。
そのほとんどはエルフ族がお守りとして弓矢の鏃に変えて矢筒に入れている。
ゆえにそれを多少集めたところで剣や斧を鍛えるだけの十分な量は集まるまい、と彼らは結論付けた。
だが……多少でもエルフ達から集められた鏃を、加工することなくそのまま射出用の矢に取り付ければ、攻城弩弓から放たれるそれは赤竜の強固な物理障壁を突破する為に大きな力を発揮するのである。
「貴様らァ……ッ!」
あまりにも不遜なオークどもに赤竜の怒りが天を突き、低く、重く唸りを上げる。
竜種と相対する際ほぼ初見殺しとなる彼らの≪畏怖たるその身≫。
けれど火口に群がるオークどもは誰一人恐慌に陥ったりはしなかった。
それもそのはずである。
≪畏怖たるその身≫はその前提条件として『相手の上空を取った時』か『威嚇による咆哮』が必要となる。
『下から上がってきた時』には効果を発揮しないのだ。
「ハハハ何言ッテルカワッカンネーヤ!」
オークの内の一人…オークとしては背の低いリーパグが、赤竜の怒りに震える呻きをせせら笑いながらなんとも奇妙な行為をはじめた。
その不遜なオークの行動を目にした赤竜は……次の瞬間ぞわり、とその背に悪寒を走らせる。
それは……
それは、まずい。




