第50話 決断、そして相談
日が暮れた村の広場にクラスクとワッフが手を振ってやってきた。
「オウイオ前ラ! ワッフガ大物ノ猪倒シタゾ!」
「本当カ?!」
「アノワッフガナー。前ハコンナニチッサカッタノニ…」
「ソンナワケネエダロ」
指先で小さく石ころ程度の大きさを示したオークが、隣のオークにどつかれる。
不愛想なオーク達が珍しく笑っていた。
彼らは他人の活躍を妬み嫉むよりは尊敬し、称賛し、負けるものかと発奮する。
多くの種族を敵に回しているオーク族にとって、なんであれ戦力が増えるのは嬉しいことなのだ。
「ア、兄貴ィ、アレオレガ倒シタッテ言ウンダベカ…?」
「バカ。そウイウこトにシトけ」
自分の肘をひっぱり小声で情けない声を上げるワッフをクラスクが軽く小突く。
「ワッフが案内すルカら誰カ村ニ運ぶノ手伝っテクレ。俺ハ用ガアッテ行けネエ。運ンダ奴ニハ肉分けルトサ! 太っ腹ダナ! ハハハ!」
「俺運ブ!」「俺モ運ブ!」
我先にと手を上げるオーク達。
ワッフは彼らに揉まれるようにして森の方へと消えていった。
「クラスク。オ前ハ行カナイノカ」
「さっきモ言っタダロラオ。ちょっト用ガアル」
「フウン…?」
ラオクィクは少し不思議そうな顔をするが、そのまま彼に背を向けワッフ達の後を追った。
クラスクは大きな溜息をつくと、我が家へと歩を向ける。
「ミエ、帰っタ」
「お帰りなさいませ旦那様!」
ミエが首ったまに跳びついてキスをして出迎える。
「おー…」
そして小さな呟きを耳にして我に返り、一瞬の硬直の後に耳まで赤くなって手を離し、クラスクからしずしずと距離を置いた。
声の主は二人の様子を見ていた先刻のエルフの少女である。
森の獣に喰われぬよう、先刻倒した猪を木に吊るしとりあえず内臓だけ抜いて置いてきたクラスク達だったが、今度は鳥についばまれる恐れもあって、貴重な肉をいつまでも放置しておくわけにもいかず仲間を募って取りに行かせた。
ろくな道具もなく、またエルフの娘を連れたままの状態で引きずって帰るにはあの得物は少々大きすぎたのだ。
だがその際少女を同道させたままオーク達を誘いに行けばいらぬ噂を呼びかねない。
なので実は先程クラスクはいったん自宅に戻り、ミエに少女を預けてからオーク達の元に向かっていたのである。
「あ、あのね、これは違うの。えっと…」
「違う? いつもはしてない?」
「…してます。はい」
「おー…」
御家庭の事情を見られて耳まで赤くなったミエが視線を逸らしつつ白状する。
いやこの場合御家庭の情事だろうか。
少女は感心したように嘆声を上げ瞳を輝かせた。
ちなみに二人の会話は商用共通語であり、この程度の内容であればクラスクもついてゆけた。
「あ、お酒用意しますね。少々お待ちくださいませ」
「酒ハ後デイイ。ミエ、話シタイこトトガアル」
「…わかりました」
オーク族が酒を後回しにするのはよっぽどのことだ。
村での生活がまださほど長くないミエですらわかる。
彼女は緊張した面持ちでクラスクの対面の席に着いた。
その隣でエルフの少女が興味深そうにそれを見守っている。
「…オ前ノ助け借りタイ」
「……!!」
クラスクの表情はほとんど変わらない。
けれどミエにはそれが沈痛な面持ちに見えた。
一方で今の二人の会話はオーク語で行われていて、エルフの少女にはさっぱり意味が分からない。
ただ二人の様子を興味深げに、覗き込むように見つめていた。
「好キ…好キナ女奪われル。攫われル。そンナ事されタら辛イ。憎イ。オ前来テくれテ俺ハそれニ気づイタ」
「ふえっ!?」
唐突な告白に不意を打たれ、ぼっと音を立ててミエの顔が真っ赤に染まる。
好き、という感情に違いはないのかもしれないがクラスクにはその感情に対する照れは特にないようだ。
彼はそのままの口調で話を続ける。
「ダカら他ノ種族ノ連中モ同ジこトきっト思ウ。オーク族ニ好キ、奪われテイッパイ辛イ、憎イハズダ」
「……!!」
夫の愛の告白を聞いて恥ずかしさにもじもじと髪をいじくっていたミエだったが、その後に続いた台詞ではっと我に返ってクラスクを見つめた。
確かに彼女はクラスクの事が好きだったし、他のオーク族に比べてずっと優秀だと(そしてとってもとても素敵だと)思ってはいたけれど。
けれど、まさか。
当のオーク族が自らそれに気づくだなんて思ってもいなかったのだ。
「こノママダトイつカコノ村終わル。族長凄く強イ。デモタくさンタくさン相手イタラ、きっトイつカ負けル」
「族長さん、て…そんなにお強いんですか? 旦那様よりも?」
「…強イ。俺よりズっトズっトナ」
「そんなに…!?」
クラスクはミエを家に迎えて以降自分が以前より遥かに強くなっている自覚も自信もあった。
ミエに応援されるとなんでもできるような気さえする。
けれど…そうした全部を合わせたとしても…きっと今の自分では族長には届かないだろう。
彼がそう結論付けるほどに、この村の長…ウッケ・ハヴシは強いのだ。
「ダカら俺ハこノ村変エタイ。デモオーク族メスガホトンド生マれナイ。他ノ種族ノ女イナイト困ル。デモこノママダト村イつか大変ナこトニナル! そシタら…そシタらオ前トモ…それハ嫌ダ! 嫌ダ! ダケドドうシタらイイカわカらナイ! ミエ。俺ハドウシタらイイ…?」
机の上で組んだ両手の力を強め、眉根を寄せて語るクラスク。
彼がふと視線を上げると…ミエがその身を震わせ、片手で口元を覆って涙が浮かべていた。
「ミエ?! 一体ドウシ…っ」
慌てて立ち上がりかけるクラスクの卓上の両手を、ミエの両手がそっと包む。
彼女は涙を一筋流しながら、クラスクがそれまで見たことのないような柔和な笑みを浮かべた。
それは…慈愛の笑み。
限りなく優しい慈母の笑みだった。
「立派です…ご立派です旦那様。自らそれに気づかれるだなんて…とてもとても凄いことです」
「ミエ…?」
「そして申し訳ありません。本当ならそれは私が言い出すべきことでした。でも言えなかった。オーク族の貴方にそんなことを言ったら…もしかしたら迷惑なんじゃって、嫌われてしまうんじゃないかって考えてしまって…」
「俺ガミエ嫌ウナンテナイ!」
「旦那様…クラスクさん…!」
ミエが包んだ手を握りしめ、互いに指を絡めて立ち上がる。
そして机越しに互いに顔を近づけて…
「おー…?」
「きゃっ!?」
そしてエルフの少女の興味津々な視線に気づきミエは慌てて上半身を逸らした。
「おー…ミエ、キス、しない?」
「あ、あのね違うの! 違うのこれはね…?」
真っ赤になって言い訳するミエを見つめながらエルフの少女は小首を傾げる。
「違う? ミエこのオークとキス、したくない?」
「ナニ、本当かミエ!?」
「いえそうじゃなくてそうじゃなくってぇ…!」
素朴な疑問を向けるエルフの少女。
愕然とした表情のクラスク。
追い詰められたミエは…耳まで赤くして降参した。
「ごめんなさいすっごくしたいです」
「おー…」
恥じらいながら素直に告白するミエと、感心するエルフの少女。
その陰でこっそりホッとするクラスク。
ともあれ…これでやっと二人の悩みは共有できたようだ。
村の改革を、始めなければならない。