第479話 魔術のセキュリティ
「迷宮の隠し部屋やそこで見つかる書籍ニャンかで警戒すべきなのは〈紋章〉〈魔文〉あたりニャ。中身についてはネッカの方が詳しいはずニャ」
「は、はいでふ。〈紋章〉は壁や書物などに描かれる魔術的な紋章で、これを見た相手に魔術的効果を与えまふ。大概抵抗不可でふね。多くの種類がありまふがよくあるのが発狂とか即死とかでふ」
「そんなものがよくあってたまるか」
ネッカの説明に心底嫌そうな顔でシャミルが呻いた。
「〈魔文〉はどんな種族でも読める特殊な魔的文字で、これは書物の文章の中などに追記されることが多いでふ。これも幾つか種類があって、読んだ相手の寿命を奪ったり突然爆発して周囲の相手ごと焼き尽くしたり読もうとしたそばから書物の中身がどんどん消えていったりとかの効果が一般的でふ」
「そんなものが一般的であってたまるかー!」
これまた心底げんなりした顔でシャミルが叫ぶ。
「とゆーわけニャ。いいかニャ? この場所は見た感じ古代期の何者かの個室で、部屋の入口は呪文によって隠蔽。鍵も〈魔錠〉だったニャ。とゆーことは普通に考えてその仕掛けを施したのは当人で、となれば当然部屋の中にもなんらかの魔術的な仕掛けがあることを疑うべきニャ」
「「「なるほどー」」」
アーリの滔々とした説明に一同が感心する。
「ってネッカはそっちにいるんじゃないニャー!」
「す、すいませんでふ! こーゆー貴重な場所にこれまで行ったことがなくってでふね…!」
「あー…」
ぺこぺこと頭を下げるネッカにアーリはようやく得心する。
こうした場所に一度でも訪れたことがあれば貴重な書物や知識を得られるし、古代のなんらかの魔術の発見があるかもしれないし、そもそも書物だって好事家に高く売れたことだろう。
そうした経験が一切なかったという事は、ネッカは冒険者当時とことん魔導師に相性の悪い冒険をしていた、ということになる。
アーリは彼女のかつての境遇に少し同情した。
「と、ともかく調べてみまふ! 少々お待ちくださいでふ!」
ネッカは慌てて〈魔力探知〉の呪文で部屋の中を検分する。
「ん-…この書棚とこっちの書棚、ぞれぞれそこの数冊ずつまとまってる本の向こうの壁に何らかの魔力反応がありまふね。おそらくは〈紋章〉のどれかで、本を取るとその向こうの〈紋章〉が目に入って効果を受ける、といった手合いと思われまふ」
「ぎゃーがくしゃごろし!」
まさについ先刻ネッカが指摘したような行動を取ろうとしていたシャミルが絶句して後ずさる。
「なにかわかるかニャ?」
「ちょっとまってほしいでふ…ん~…こっちのは上位の〈精神〉効果でふねー。該当する位階でネッカが知ってる奴でふと〈麻痺の紋章〉か〈発狂の紋章〉あたりでふかね。まあネッカには使えないでふけど」
「他にはなんかあるかニャ?」
「はいでふ。あれとあれとあれとこれとこの本から微細な魔力を感じまふ。系統としては防御術でふから読むと爆発して部屋全体を焼き焦がす〈爆発の魔文〉あたりかと思われまふ」
「…まさにわしが読もうとしておった本じゃ」
うへえ、と言った表情でシャミルが呟く。
「アーリとネッカいなかったら死んデタナ」
「まったくじゃ」
己の軽挙を反省しつつ、シャミルは不満そうに頬を膨らませる。
「となると目の前に宝の山があるのにわしらは指を咥えて眺めるだけなのか。その呪文をかけた奴こそ爆発してしまえ!」
「かけた当人と術者が許可した相手だと発動しないはずでふ」
「うがー!」
見事にやり込められて吠えるシャミル。
「折角の情報。俺も知りタイ。方法ナイのカ」
「あるニャ」
「ありまふねー」
「あるんかい!」
クラスクの問いにあっさりそう答える二人にシャミルが思わず本気でツッコむ。
よくわからぬままに息の合ったやり取りに拍手するイエタ。
「〈爆発の魔文〉なんかは要は文字なんでふから、〈消去〉の呪文で消せばいいんでふ」
「〈消去〉?」
シャミルが不思議そうに眉をしかめ、ネッカがこくこくと頷く。
「はいでふ。元々は羊皮紙とかに羽ペンで書きものをしてる時にうっかり書きミスをした時羊皮紙の上から誤記を消すための呪文でふね。初歩中の初歩の呪文でふ」
「おお! それは便利じゃな! …む、そうか、魔文字とやらも結局はただの文字なんじゃからその部分を消してしまえば…」
「でふでふ。あらかじめわかっていれば対処可能でふ」
「なるほどの。では〈紋章〉とやらもそれで対処できるんじゃな? 文字なんじゃから」
シャミルのもっともな問いかけに、けれどネッカはふるふると首を振った。
「〈紋章〉はずっと高度な呪文でふから、初歩呪文の〈消去〉では消せないんでふ」
「なんと。では向こうの本は指を咥えてみておるのみか」
「いやいやそんなことはないニャー」
シャミルの言葉を受けて、アーリがやれやれやれやれと首を振る。
「〈紋章〉の方は消せないだけニャ。見たら駄目なんニャから最初から目に入らなければいいニャ」
鼻歌を歌いながらアーリがくるくると撒かれた羊皮紙を広げ、ネッカが指し示した書物の裏にそれを差し込み、取り出した小瓶から指先に何かを塗り付けてその羊皮紙の裏に塗布してそのまま壁に貼り付ける。
何か糊のようなものだろうか。
「これで〈紋章〉は隠れたからもう本を取っても大丈夫ニャン」
「「「おお…ー」」」
「では〈爆発の魔文〉の方はネッカが責任を持って消去させていただきまふ。あうっかり失敗した時の事を考えて通路の方に出て作業してきまふ」
そして魔術が施された書物を数冊抱え、ネッカが部屋の外に出る。
「では安全な書物から読ませてもらうとするか…」
散々お預けを喰わされたシャミルがちょこんと椅子に座りいそいそと本を広げて瞳を輝かせながらその内の一冊を開く。
「とゆーかそもそも読めるのかニャ?」
「どうせ古代語じゃろ? この地方のそれなら文化的源流も変わらんし文字も文法も方言程度の差異しかないわい。最悪この場で解読か翻訳できるじゃろ」
「こっちはこっちでとんでもない逸材だニャー…」
アーリは小さく呻きながらかつて冒険者だった頃彼女に出会えなかった不運を悔やむ。
魔導師がいれば呪文でどうにかなるにしても、素で古代語を読める人材はとてもとても貴重なのだ。
そんな事を考えながらアーリはクラスクの方に視線を向ける。
クラスクも彼女の視線にすぐに気づいたが、なぜ己の方を見るのか理解できず腕を組んで首を捻り「?」といった顔をする。
そしてそんな彼を見ながらイエタもまた頭上に「?」を浮かべている。
アーリはかつて冒険者で、各地を巡り旅をしていたことがあった。
王宮にも、市井にも、そして辺境にも、武や知を極めた様々な達人や長者が各地に存在していた。
中にはシャミルくらいの叡智を持つ学者もいたし、キャスくらいの剣技を有する戦士もいた。
クラスク市にいる人材には優秀な者が多いが、だから他の国や街に比べ傑出し随一というほどではない。
ほどではない…が、この集合ぶりは異常である。
個々の才能は探せば他に比する者はいるかもしれないが、それがこれほど一堂に会している例をアーリはほとんど知らぬ。
それこそ人材登用が盛んな大国の王宮レベルではなかろうか。
今やアルザス王国一とすら謡われる冒険者の一向にかつて随行し、幾つもの国、幾つもの王宮に出入りして多くの英雄を見聞きしたかアーリから見てすらそうなのだ。
それがこのオーク…いや正確にはこの夫妻の周囲に集っている。
クラスクがミエを含む他の者達を己の元に糾合せしめたのか、それともミエが内助の功でクラスクをそういう男に仕上げたのか、それは判然としないけれど。
アーリはそんなことを考えて少し背筋が寒くなった。
もしそれが運気だというのなら、このクラスクという男にはとんでもない強運が纏わりついている事になる。
そして…もしかしたら自分自身もまたそういう彼に呼び寄せられた一人なのかもしれない、と。




