第475話 古代迷宮外壁
「む! なんじゃこの酒は!?」
「貴様らこんないい酒を飲んどったのか! オークの癖に生意気な!」
「ナンダト! 悔シカッタラ作ッテミロ!」
「なにおう! ドワーフに酒造りで挑む気か!」
「マー酒造リハ女ノ仕事ナンダガ」
「そうなのか」
「確かにこの繊細な味はオークには無理じゃろうな」
「ナンダトー!」
「まあまあ。なんにせよ酒が旨いのはいいことではないか」
「確かに」「タシカニ」
言い争いながらもそこは意見の一致を見せるドワーフ族とオーク族。
「シカシ女ッテスゴイナー。尊敬スル」
「まさかオークの口からそんな台詞を聞くことになろうとはな…」
主だった負傷者に対する治療を終え、ドワーフ達とオークどもが街の広場で宴を開く。
アーリがクラスク市の蒸留酒を持ち込んでドワーフ達に味見させ、新たな販路を開拓しようとしており、どうやらそれはだい功を奏しているようだった。
「…………………」
そんな広場の隅で、今回の救助隊の要を担っていた娘が岩を切り出した椅子に腰かけぐったりとしている。
言わずと知れた天翼族の聖職者、イエタである。
この街にも確かにドワーフの神たるヌシーダの教会はあったし、幾人かの聖職者はいたけれど、実力で言えばイエタが抜きん出ていた。
当然重傷者などが優先的に回されて、彼女は朝から晩まで延々と治癒魔法を唱え続けていたのである。
傷の度合いに合わせて唱えられる〈小傷癒〉、〈中傷癒〉、〈大傷癒〉などの数々の治療術。
傷の程度が浅い者を治癒速度は緩やかながらまとめて治療する〈治癒の結界〉。
長い間落盤に圧迫され膿んで腐りかけた手足から毒を除去する〈解毒〉。
そして千切れた腕や足を徐々に生やす〈再生〉…これはすぐに生えてくるわけではなく、数日ほど待たねばならないが……などなど、枚挙に暇がない。
呪文は唱えるたびに魔力を消耗する。
魔導師であれば己自身が唱えた魔力方程式を実現させるための魔力だが、聖職者の場合神が与えた奇跡の力を己の前に顕現させるために必要な魔力である。
そして当然ながら強力な奇跡を起こそうとすればそれだけ多くの魔力が必要だ。
さらに呪文と言うのは繊細なもので、極度の精神集中を必要とする。
精神集中が乱れればたちまち呪文消散してしまうだろう。
彼女はそんな奇跡の力を今日ずっと唱え続け使い続け魔力を消耗し尽くして、さらには極度の精神集中を繰り返した結果疲労困憊状態に陥っていたのである。
「ありがとうございました。本当にありがとうございました…!」
「いえ。旦那さんがご無事だったのは神の御加護ですよ。わたくしはほんの少しそのお手伝いをしただけで」
けれど彼女が成し遂げた功績がイエタを休ませてくれぬ。
彼女に命を助けられたドワーフ、或いは彼女に夫や父、兄を助けられたというドワーフ達が次々とやってきては彼女に再三礼を言う。
そういう時イエタはにこやかな笑みを浮かべ、片手を挙げて彼ら彼女たちに相対し丁寧に受け応える。
その言葉遣いも実に堂に入ったもので、疲れなど一切感じさせぬ。
そして礼を述べた者達がぺこぺこと頭を下げ立ち去った後…遠目からわからぬ程度にぐったりと、肩の力を抜くのである。
「あ………」
自らを支えようとした手が滑り、ぐらりと横に倒れそうになったイエタは、背後から自らを支える手に救われた。
己の肩を支えるごつく大きな掌。
だがその指先が見た目より遥かに繊細で細やかな仕事をしてのけることをイエタはよく知っていた。
「クラスク様…」
「御苦労ダッタ」
クラスクは多くを語らず、だが彼女の横にどかりと腰掛ける。
自然彼女はクラスクにもたれかかるようになって、崩れ落ちずに済んだ。
「…申し訳ありません」
「謝るのハ俺の方ダ。無理させタ」
「いえ……」
広場の盛り上がりを見ながらクラスクが謝罪し、イエタは静かにかぶりを振った。
「人を助けるのに無理などということはございません」
「そうカ……お前ハ強イナ」
「強い…」
ぱちくり、と目をしばたたかせたイエタは、やがてほんの少し口元をほころばせる。
「…そうですね。神に仕えるこの身、この信仰がわたくしの強さだとおっしゃるのでしたら、きっとわたくしは強いのでしょう」
「アア、強イ」
クラスクはじいと広場の方を見つめたままそう呟いた。
彼の視線の先では、ドワーフとオークが肩を組んで酒を酌み交わしている。
かつて想像だにしていなかったそんな光景に目を細めるクラスク。
そんな彼を見つめながら…
オーク族とドワーフ族の融和、という歴史的偉業と呼ぶに相応しき光景を勝ち得たその巨躯たるオークの太くたくましい腕に、イエタは自らそっとその身を預け、うっとりと目を閉じた。
× × ×
「さ、ここからがやっと本題ニャ」
翌朝…すっかり岩塊を除去された坑道第二階層にて、ドワーフ達から許可を得たクラスク達一行がその最奥の壁面の前にいた。
一応自分たちの坑道で変なことをしないかと見張り役にドワーフの鉱夫が数名随伴しているが、彼らももはや疑いの目でクラスクを監視しているわけではない。
むしろ興味半分で見物に来ている節すらある。
「……確かに50ウィーブル(約45m)ほど先で地層が途中で途切れてまふね。奇麗に垂直に切れてまふから恐らく人工物がその先にありまふ。魔力は…うわちょっと待つでふ!?」
杖を片手に何やら呪文を唱えていたネッカがふらふらとよろめく。
「大丈夫かネッカ!?」
「だ、だいじょうぶでふぅぅ~~~……ちょ、ちょっと立ち眩みがしただけでふ」
「あー…かなり近くだもんニャ」
「ああ……」
よろめくネッカを見ながら納得顔のアーリ。
それを聞いてぽんと手を叩くイエタ。
「何か知っテルのカ」
「ニャ。探知系の呪文は探知しようとしてる対象が光って見えるニャ。その呪文が調査しようとしてる力が強ければ強い程強く光るニャ」
「わたくしたち聖職者が用いる〈邪悪探知〉や〈瘴気探知〉であれば範囲内にいる邪悪な存在や瘴気が光って見えますが、その相手が邪悪であればあるほど、瘴気が濃ければ濃いほどまばゆい光となって知覚されます。とするとネッカ様の今の症状は…」
「ちょ、ちょっと魔力が強すぎたでふ…もう大丈夫でふ」
どうやら〈鉱物探知〉の後に用いた〈魔力探知〉の呪文で、間近に膨大な魔力の輝きを目にして眩暈を起こしてしまったらしい。
なんとか一人で持ち直したネッカは、地面に膝をつくと杖の先で魔方陣を描いてゆく。
「おそらく古代遺跡の外壁部に間違いないでふね。とりあえず材質は石みたいなのでちょっとお伺いを立ててみまふ」
そして〈異界交信〉の呪文で石板片手に可能な限り詳しい情報を集める。
「…なにをやっておるのだトーリンの娘は」
「神様? ニ話聞イテル」
「通話先は山の神ヌシーダじゃろな。石の話だけに」
「「まじか」」
クラスクとシャミルの言葉にぎょっとしてネッカの方を凝視する監視役のドワーフども。
まさかに自分たちを生み出した主神そのものと口頭で会話していようだなどと想像だにしていなかったらしい。
「え? ほんとでふか? はい、はいでふ。魔術の対象には…はい、はいでふ。ありがとうございましたでふ!」
どうやら聞きたいことを聞き出したらしきネッカは、念のためにとクラスク達を下がらせて〈地動〉の呪文を詠唱、ゆっくりと前方の壁に穴を空けてゆく。
「また大地震が起こるんじゃニャイかニャ!?」
「たぶん大丈夫でふ。壁に直接魔力が触れなければ……」
そして目的となる壁があるらしき少し手前で足を止めると…
「いざ励起せよ 『増強式・壱』〈筋力増強〉!」
己自身に筋力強化の呪文をかけ、その全身の筋肉を一気に肥大化させた。
「おおなんと見事な上腕二頭筋じゃ…!」
「まるで肩に石毒蛇を乗せておるかのようじゃ!」
筋肉に一家言あるドワーフ達がネッカの見事な筋肉に驚嘆する。
そんな肉の鎧に覆われたネッカは…ピッケルを片手に最後のひと掘りを自らの力でやり遂げた。
「む? あれは…」
「壁だ…壁があるぞ……!?」
ネッカがピッケルの手を止め、指で軽くはたくように目の前の壁を払うと…そこに石積みの壁が現れた。
幅1フース(約30cm)、高さ半フース(約15cm)ほどの長方形の石が互い違いに積み上げられている。
色こそ違うがレンガ積みの壁に近いだろうか。
「ふ、触れてもなんともないのかニャ…?」
あっけなく目標に辿り着いてしまったことにアーリがだいぶ警戒しながらそう尋ねる。
だが彼女の驚きはそこで留まらなかった。
何かの呪文を唱えたネッカが…その石材のひとつを肥大した筋肉でうんしょ、うんしょと押すと、なんとそのうちの一つがごと、という音と共に壁の向こう側に落ちたのだ。
目を皿のように大きくして、口をあんぐりと開けるアーリ。
そんな彼女を尻目に、ネッカはさらに幾つかの石を向こうが岩に落とし、ぱんぱんと手を叩くと背後に振り返った。
「さ、ここから入れるみたいでふ!」
「な、な、な……なんでニャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?」
かつてその遺跡の外壁に散々苦杯を舐めさせられたアーリの絶叫が…坑道の中に響き渡った。