第438話 悔恨と覚悟
「…ギス様」
「なあに、宮廷魔導士様?」
「その言い方やめてくださいでふ!?」
この街の最高位魔導師、ネッカである。
「それってもしかして…『フヴェシック イグラ』って言ってたんではないでふか?」
「「あー!」」
ネッカの言葉にギスとイェーヴフが互いの手を合わせ、ネッカの方を見ながら大きく口を開けた。
なかなかに息の合った所作である。
「言われてみれば…!」
「ソウソウソウソウ! チョウドソンナダッタ! ヨウナ…気ガスル的ナ……?」
「やっぱりでふか…」
二人の答えに少し沈痛な表情を浮かべたネッカは…だがすぐにキッとまなじりを上げてその部屋にいる一堂に告げた。
「全部聞き違いでふ。『それ』が告げたのは全て竜語…竜の言葉でふ」
「竜語…って竜の独自言語ですか?! っていうかネッカさん知ってるんです?!」
ミエが上げた驚きの声に、ネッカは小さく頷く。
「はいでふ。魔導師が竜語を知らないことはあり得ないでふから」
「ふぇ? そ、そうなんですか…?」
あまりにもきっぱりと断言され、ミエは少し当惑した。
あり得ないとはいったいどういう意味なのだろう。
「ドックルの村でテグラさんが聞いた言葉はおそらく『フクォグル イグラ』。共通語に翻訳すれば『これで三番目』的な意味だと思われまふ」
「「!!」」
「そしてヴォヴルの村でギス様が聞いたのはおそらく『フヴェシック イグラ』。『二番目だ』的な意味の竜語かと思われまふ」
「あー…ってことはデックルグの村でイクフィク…さんが聞いたのは『一番目』的な意味ですか?」
「でふでふ」
ミエの言葉にネッカがこくこくと頷く。
「イクフィクさんが聞いたのはおそらく竜語で『ルコッド イグルー』。意味としてはミエ様の仰る通り『一番目』という意味もありまふ」
「も……?」
不思議そうに問い返すミエの方に顔を向けながら…ネッカが重々しい声でそれを告げる。
「ただ竜はこの言葉をむしろこっちのニュアンスでよく使うそうでふ。『まず、てはじめ』と」
しん、と円卓が静まり返る。
村を焼き払うごとに数を数え、さらに最初の村を焼くときにわざわざそんな宣言をした。
それはつまりその竜が単なる気まぐれや行きずりではなく、間違いなく北の村々を狙って襲ったということであり…
そして数を数えている以上北の村々を順次襲ってゆき、最終的にこのクラスク市を標的として捉えている、と考えることができる。
「え……なんでそんなうちを目の敵に?!」
「縄張りを侵されて気が立っておるのかものう。北の端から襲っておるのがいかにもそれらしいわい」
「でも! だって! まだうちの村は無人荒野に届いてません! 『狩り庭』…でしたっけ? そこを侵してはいないはずじゃ…!」
「きゃつの縄張りはきゃつが決める事じゃ。わしらが勝手に定めたものが正しいとは限らんでな」
「そんな……!」
ミエに厳しいことを言ったシャミルも、だがショックは大きかったようだ。
「正直甘かったわい。文献から休眠期明けがまだ先とタカを括っておったのはわしじゃ。これまでのあやつの活動期は常にあの赤蛇山が休火山から活火山へと変じた時、その噴火や噴煙と共に訪れておったからの。今回もてっきりまだ先じゃと思っておった。縄張りの策定ミスも含めてわしの判断ミスが今回の原因じゃ。すまぬ……」
「…責任ハ」
俯き歯噛みし悔やむシャミルの言葉を遮るようにクラスクが割って入った。
「責任ハ、全部纏めテ市長ノ俺ガ取ル。ダからお前達が気にすル事ハナイ」
「じゃが…っ!」
「今お前達がすル…すべき事ハ、違ウ。過ぎタ事ヲ悔やむよリこの先ドウすルかヲ考えル事ダ」
「「「……………!」」」
その言葉に、シャミルならずとも皆がハッとした。
そうだ。
今できる事。
これからすべき事。
決めなければならないのはそれだ。
「ええっと…じゃあもう一つ。その竜が去り際にもなんか言ってたみたいなんですよ。テグラさんには編み枝細工って聞こえたらしいですけど」
「わふー…?」
先刻までの単語と上手く紐づかず、ネッカが困惑する。
「うううう~~~~~ん…でふ? でふ? ……一番近いのは竜語の『痒い』でふかね……?」
「かゆい?」
「かゆい」
ぽくぽくぽく…とおよぼ三拍ほど固まるミエとネッカ。
「…違うんじゃないですかね」
「確かにあまり状況とそぐわないでふが…そうじゃないとするとネッカにはちょっとわからないでふ」
「なるほど…じゃあついでに聞いちゃうんですけど、この状況をどうにかできる魔術とかってあるんですか?」
ミエが挙手をして質問する。
魔術によってすごいことができる、ということを彼女はこれまで散々味わい理解してきた。
場合によっては己がかつて生きていた世界よりはるかに優れた効果をもたらすことも。
なのでとりあえず駄目元で聞いてみたのだ。
「どうにかって言うと…なんだニャ。〈ウェオーツェル〉とか〈イノファイヴハイプ〉とかのことかニャ」
アーリの言った呪文にピンと来なくて、ミエがぱちくりとまばたきをする。
「ええっと…どんな呪文なんです?」
ミエの問いかけに、イエタとネッカが口々に応じた。
「〈死者蘇生〉…は、一般には死者を蘇らせる呪文と言われているものです」
「〈時間遡行〉は術者を過去に送り込む某国秘奥の超高位魔導術でふね。しかしこんな『儀式魔術』、よく知ってまふねアーリ様は」
「ふぇ? 死者蘇生? え? 時間遡行? ふぇ?」
あんぐりと口を開けたミエが想像の斜め上の答えに目をまん丸く見開いた。
そしてそれは多かれ少なかれ他の者たちも同じであった。
「「「ええええええええええええええええええええええええええええ?!!」」」
先ほどかっこいいことを言って締めたはずのクラスクさえも目の玉を真ん丸にして「マジデー!?」と言った驚愕の表情を浮かべていた。
まあ初めて知る者にとっては当たり前と言えば当たり前。
この世界の原則そのものを覆しかねないあまりにも型紙破りな手法なのだから当然と言えば当然だろう。
「どうにか、っつーか…どうにかできんじゃねーか!」
がたん、と椅子を蹴とばすように立ち上がり、ゲルダが吠える。
だが…その叫びに対するイエタのネッカの表情は芳しくない。
「死者蘇生つーたらあれだろ? 死んだ奴が生き返るってことだろ!?」
「ええと…そのあたり少し一般の方の間で誤解があるようなのですが、蘇生と言っても死者をそのまま復活させられるわけではないのです。それができるのは神様のみですわ」
「じゃあ…何が蘇生なんだよ」
「ええっと…」
「イエタさんイエタさん、ネッカが後ろで板書しまふからそのまま語って下さいでふ」
どう説明しようかと悩むイエタをネッカがフォローし、背後の黒板にさらさらと例の如く達筆で絵を描いてゆく。
ネッカのペン先から倒れた人の姿とそこから抜け出た炎のようなものが描かれた。
「そうです、魂です。人型生物は死ぬとその肉体から命…つまり魂が出てきます。魂はやがて惹かれるように天界へと還ってゆきますが、死んでしばらくの間はまだ地上に留まっているのです。聖職者が唱える〈死者蘇生〉とは、いわばこの未だ天へ昇らず地表付近に漂っている魂に呼び掛けて元の肉体に戻ってもらう呪文なんです」
ネッカの絵が横にあるおかげで簡潔に説明でき、どこか満足げなイエタ。
「ですから…今回くらい到着まで時間がかかっていますと、もう…」
「なるほどなー」
「そですか…でもでも! 逆に言えば襲われてすぐなら助られたってことですよね!?」
ゲルダは素直に感心し納得したが、なおもミエが食い下がる。
「それが…そうもいかないのです」
「ふぇ? それってどういう…?」
「先ほど申し上げた通りこの呪文は魂を元の肉体に戻す呪文です。元の肉体が生命を維持できる機能を有していないとそもそも魂が戻れませんし、たとえ戻ってきてもその肉体に定着できません」
「あ……っ!」
そう、今回の襲撃に於いて、全ての住民は竜の吐く炎によって焼き尽くされ皆完全に炭化してしまっていた。
肉体の損傷が激しすぎるこの状態では、魂を戻すことはできない。
戻るべき器が壊れてしまっているからだ。
「で、でも傷を治す呪文っていうのもありますよね!?」
「はい。確かに〈小傷癒〉や〈中傷癒〉のように傷を治療する呪文自体は確かにあります。ですがこれらは生物の生命エネルギーを賦活して傷口を治療する呪文であって、命を持たない者の傷を治すことはできないのです」
「あ…そっか、魂が出てる時点で命はなくなってるわけだから…」
「腕が切れた、首が取れたといった程度ならまだ魂が少しの間なら定着できますし、その間に治療を試みることもできますが、あれほど焼け焦げてしまうと、もう…」
つまりまず第一に時間切れで、そして第二に肉体の損傷が酷すぎて、蘇生することは不可能、という事になる。
ミエは無念そうに肩を落とした。
「でも…じゃあ時間を遡るっていうのは…」
ミエが尚も縋ろうと口にしたのは禁断の秘術。
この世界の不可逆を変えようとする……魔導の秘奥である。
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