第435話 こころ、通じて
ミエの前で、己の本心を暴露するテグラ。
夫と呼んでいたドシーを恨んでいたと。
憎んでいたと。
ミエは彼女の告白に息を飲み、けれどたしなめるでもなく静かに面を伏せた。
わかっている。
わかっていた。
最初から覚悟はしていた。
そのはずではないか。
クラスク村に初期からいる娘達は村を襲撃され攫われてきた娘達だ。
少なからぬ間縄や鎖で繋がれて独房のような部屋に押し込められ、飼育同然の環境で彼らオーク族の性処理と子作りをさせられていたのである。
恨むなというのが無理な話だろう。
彼女たちのそんな立場を、心情をわかっていながら、それでもミエはそんな彼女たちを縛り付けるしかなかった。
オーク達の出生率問題を解決するためには彼らを文明化させるしかない。
社会性を与え、他の種族と融和させ、他種族から女性を呼び込むしかない。
そしてその時最大のネックとなるのが…彼らのそれまでの行状である。
彼らがこれまで襲撃をしてきた事実は消えない。
女を攫って慰み者にしてきた過去は消せない。
その上で彼らを他種族の文明圏に大過なく着地させるためには、最初から理知的で文明的なオークであること装うことが必須条件であった。
つまり女を繋いでも縛ってもいない、暴力を振るったり酷い扱いをしていない、妻として娶っていて大事にしている、そんなオーク像を伴ったまま村を開き、他種族に見せつける必要があったのだ。
そのためには彼女たち村にいた娘たちを束縛から解き放ち、大切に扱い、けれど村から出ないように束縛し、彼らの行状を語らぬよう口止めし、その上でオークの妻に収まってもらう必要があった。
オーク族は他の種族との交流を断絶している。
逆に言えばどのオークの集落であっても彼らの過去を知る他の種族はいない。
それを逆手にとって、ミエとクラスクは「この村のオーク族は違う」という印象付けを蜂蜜で、酒で、肉や野菜や塩や砂糖、さらには発酵食品に至るあらゆるものを用いて商人や吟遊詩人たちに流布させ、広告し、印象付けてきたのだ。
この作戦は上手く行った。
この村のオークは違うのだと今では周囲の街に受け入れてもらえているし、その流れが順調に広がっているのを感じる。
だが…それでもその根っこ、その根幹に残った問題は消えない。
彼らがかつて暴力的な襲撃を繰り返し、女性たちを攫って監禁し子を為してきた、その事実は変えられない。
そんな彼女たちをオークの嫁だなどと嘯いて村に縛り続けてきたこともまた然り。
ミエは確かに彼女たちを皮の紐から、鉄の鎖から解き放ち、その身に自由を与えはした。
けれど交換条件として彼女たちの身分や立場を決めつけて、オークの嫁たらんと強制してきたのなら、結局彼女たちを縛り付けている事にはなんら変わらないではないか。
縛っているのが鉄の鎖なのか社会の軛なのか、その違いでしかないのでは?
テグラの言葉には……ミエが抱えているそんな矛盾が突きつけられていた。
村を焼かれ多くの者を失いただでさえ辛い状況の中、今までずっと気に病んでいたことをずばと突かれ、ミエは沈痛な面持ちで俯いた。
これまでだって別に無視してきたわけではない。
オークとの間の処々の問題などには丁寧に相談に乗っていたし、彼女たちが暮らしやすいようにと色々心を砕いたりもした。
ただそれらはすべて村が上手く回っていたから許されていたことだ。
村が襲われ、少なからぬ犠牲者も出た。
特に今回は想定していなかった非戦闘要員の犠牲者が多く出た。
ミエの…この街の為政者の甘さと油断が招いたこの惨禍にあって、この村のアキレス腱を指摘された。
気に病むなという方が無理な話なのだ。
「でも……あの人、優しかったんです」
「ふぇ……?」
ただ、テグラは決してミエを責め立てていたわけではなかった。
「ミエ様とクラスク様が村を変えようとしていた頃、リーパグ様に言われて協力することになってから、あの人の様子が変わりました。私がお酒を造れるようになった時は目を丸くして…クラスク様が族長になられてからはさらに変わりました」
先ほどの呪文の効果だろうか、落ち着いた声で訥々と語る。
ミエはその言葉にただ無言で耳を傾けていた。
聞かなければいけない気がしたのだ。
「いっぱい仕事して、お金も稼いで、どんなに忙しくっても夜にはちゃんと家には帰ってきて、私の料理が一番だって晩御飯を食べながら、私が作った蜂蜜酒を飲むのが好きな人でした。共通語も頑張って覚えて、私に教わって、互いに教えあって、知らないことを知るたびに目を丸くして驚く人でした」
彼女が語る言葉が、二人の生活を浮かび上がらせてゆく。
「…憎まなきゃいけないんです。恨まなきゃいけないんです。だって私の村を滅ぼしたオークなんだから。村を焼き討ちにして、私の家族も友人もみんなみんな殺したオークの一味なんだから。私を攫って、革紐で縛って、無理矢理私の処女を奪って、オークの子を孕ませた相手なんだから」
ミエが気に病んでいた通り、その事実は変わらない。
オーク達がかつて許されない行為をしていた事をなかったかのよう装うことはできても、その過去を本当に消し去ることはできない。
「私は貧しい農村の貰い手もろくにいなかった貧相な娘で、でもクラスク様が族長になってからのこの村はいっぱい変わって、美味しいものも栄養のあるものもいっぱい食べられるようになって、おかげでこんな健康な体になれた。それに森の外に村ができてからはお金も入るようになってきて、彼は働き者だからうちにもお金がよく入って、私みたいな貧しい田舎村の娘が普通に村で暮らしてたんじゃ決してできない生活ができたんです。だから私はこの生活を手放したくないんだと、いい暮らしをするために打算で彼の妻を演じているんだと、ほんとはずっと恨んでいるのだと、憎んでいるんだと、そうずっと思ってました……思い込もうとしてました」
「…………………………」
恐らく彼女自身これまで軽口で触れることはあってもここまで踏み込んだ話をするのは初めてだろう。
だがイエタの魔術によって彼女の心は落ち着いており、普段無意識に思っているだけのことを言葉にして語れるようになっていた。
「なぜかはわからないけれど…私は助かりました。『あれ』は村が滅んだあと、確かにこっちを見たんです。私は木陰に隠れながら息を飲み震えていました。でも…『あれ』はこっちに来ないで、何かを呟くとそのまま去っていきました。彼の言っていたことは正しかったんです。『最後の一人だけは助かる』って…そして私を最後の一人にするために、彼は村へと戻っていったんです」
魔術によって心に平静が与えられているはずの彼女の頬に、涙が伝う。
「その時、気づきました。私を生かすために己の命を賭した彼が炎に飲まれた時、思い知りました。私は…彼が好きだった。自分の村を滅ぼした、家族を皆殺しにした憎い相手を……私は愛してしまっていたんだと。クラスク様とミエ様に協力するようになった後の彼と…ドシーと一緒に過ごした日々がかけがえのないものだったと、幸せなものだったんだと…気づいてしまったんです」
ぽろり、ぽろりと涙が落ちる。
先ほどのように半狂乱にはならないけれど、落ち着いた表情のまま、ただその身を震わせて涙を零す。
「失ってから…やっと気づいたんです。私…バカですよね」
「バカなんかじゃないですよぅ!」
ミエはテグラの首に腕を回し、己の胸元にぎゅっと抱き寄せる。
テグラの髪に涙滴が落ちた。
ミエもまた彼女の告白に滂沱していたのだ。
「ごめんなさい、ごめんばざい、だずげられなぐてごべんばざい! わだじだちがもっともっとはやく気づいでいれば…っ!」
「ミエ様のせいじゃ、ないです…」
「だっで、だっで……っ! ふぇ、ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん」
ミエがいなければ。ミエが何もしなければ、彼女は、テグラはずっとオークの子を産み育てるための母体として犯され続けていただろう。
その運命をミエは変えた、変えてしまった。
彼女たちに同情したのも、助けたいと思ったのも本当だ。
けれどミエの立場は彼女たちの側ではなく、あくまでオークの、もっといえばクラスクの側にあった、
オークの種族問題を解決するため、彼女たち村娘の運命を弄び、歪ませてきたのではないかと、ミエは無意識にずっとずっと気にしていた。気に病んでいた。
その懊悩を…テグラの告解が解きほぐした。
テグラの抱いた想いは、あくまで彼女個人のものであって、村の娘全員が同じ想いとは限らない。
今でも恨んだままの者だっているだろう。
けれど、その中にテグラのような者がいた。
オークとの暮らしを幸せだったと、配偶者とされた相手の事を愛していたと想う者がいた。
それが溜まらなく嬉しくって、ミエは己の涙を止めることができなかった。
…テグラの告白が、この悲惨極まりない惨状に打ちのめされていたミエの心を救ったのだ。
「…落ち着いタカ、二人トも」
「はい」
「なんとか…」
元々泣いてはいても取り乱してはいなかったテグラと、涙をこすりながら鼻水をすするミエが返事をする。
クラスクはイエタに軽く頭を下げ、どっかと木の幹に背を預け深く座りなおした。
「デ……聞きタイ事があル、テグラ。なんデモイイ、お前の知っテル事、聞イタ事を教えテくれ。例えバ、そう…」
小さく息を吸い込んで、クラスクが話の核心に入る。
「そイつが飛び去ル時に呟イテタっテのハ、ドんナ捨テ台詞ダッタ」