第42話 決着
(ドウスル…!?)
クラスクは眼の前で獣のように呻き犬歯を剥き出しにするイクフィクを観察しながら周囲のざわつくオーク共に視線を走らせる。
その視線の先に…一瞬、声が枯れんばかりに応援しているミエの姿が映った。
力が漲る。
ミエの声が力をくれる。
それは彼女のスキルによる効果であり、同時に彼自身のミエへの想いからくるものでもある。
負けるわけにはいかない。
ミエを渡すことなど絶対にできない。
兄貴分であるイクフィクを惨殺してでもそれだけは決して譲ることができない。
だがその上で……できれば目の前の相手を殺したくはない。
以前のクラスクならそれを甘さと一蹴していたかもしれない。
けれど今は違う。
誰かを想うこと。
誰かを護ること。
それがとても困難であること。
そしてそれ以上に大切であること。
彼はそれをミエから学んでいた。
だから己は彼女に、ミエに恥じないオークであろうと、彼はそう心に刻んでいたのだ。
イクフィクが雄叫びを上げ、突進と共に攻撃を仕掛けてきた。
凄まじい勢いで斧を突き出し、クラスクの胸を狙う。
薙ぎ払うのではない最短最速の一撃にクラスクは一瞬虚を突かれたが、右足を大きく引いてイクフィクの突きを掠めるようにかわした。
不意打ちとしては有効だがそれは斧本来の攻撃法ではない。直撃さえしなければ致命傷には至らず、逆に隙を作れるはずだ。
だが…
「ッ!!」
ぶん、という鈍い風切り音が真横から響き、考えるより早くクラスクはカエルのように地に伏せた。
避けきれず後ろ髪が数本千切れ飛ぶ。
イクフィクが突き出した斧は、クラスクの真横で突如向きを変え、薙ぎ払うようにして彼を狙ってきたのだ。
本来斧はそんな風に扱うことはできない。
無理に方向を変えても腕を痛めるだけだし、なによりそんな間近でぶつけても勢いが足りずろくにダメージを与えられないだろう。
だが≪怒号≫を発動させている今のイクフィクなら話は別だ。
片腕で斧を振るっても威力に遜色はないし、密着に近い状態で叩きつけてもその圧倒的な腕力で十分なダメージを与えられるだろう。
流石にそのまま胴を両断されることはないだろうが、腕の1本くらい折れてもおかしくはない。
それほどに膂力が増大しているのだ。
クラスクは地に伏せた勢いそのまま、腕の力でどんと地面を突き押し後方に跳ぶ。
直後に彼の頭があった辺りに斧が叩きつけられた。
跳ね飛んだクラスクは左足で地面を噛んで急制動をかけると同時にその足を軸に大地を蹴って横に回り込もうとする。
怒号を上げながら襲い掛かってくるイクフィクの横凪ぎの一撃を、斧の軌道よりだいぶ離れた位置で大袈裟にかわしつつ、だが可能な限り相手の視界から消えないようにする。
迂闊に大きく避けると攻撃の標的が周囲の野次馬に移りかねないためである。
ぐん、とイクフィクの斧が伸びる。
筋力と耐久力が格段に高まり肥大化した彼の肉体が、尋常ならざるリーチを以てクラスク目掛けて斧を突き出したのだ。
だがその動きは先程見た。
これがあるからこそ距離を取ってかわしていたのである。
クラスクは余裕をもって横に避け…
「ッ!?」
そして次の瞬間クラスクの肩から血飛沫が上がる。
どよめく観客、息を呑むクラスク派のオークども、そして迸るミエの悲鳴。
さらに大きく距離を取って斧を構え直すクラスクに、意識があるのかないのか犬歯を剥き出しにするイクフィク。
口から洩れている泡と共に浮かべているそれは果たして獰猛な笑みか、それとも威嚇か。
一方のクラスクは斧を強く握り、己の握力が未だ健在であることを確かめる。
どうやら派手に出血はしたが傷はそう深くなさそうだ。
先程の攻撃…かわしたと思った斧が、突然その場で回転したのだ。
斧は先端に斧刃があり、その部分だけが横に広い。
イクフィクが突き伸ばした斧の穂先を手首をねじるようにして強引に回し、あたかもドリルのように周囲を巻き込んでクラスクの肩に加撃せしめたのである。
≪怒号≫の発動中は知能は低下しているはずなのだが…やはりオーク族だけあって戦いのセンスは図抜けたものを持っているようだった。
再び咆哮を上げ襲い掛かってくるイクフィク。
クラスクの出血を見てこのまま押し切れると判断したのだろうか。
爛々と光る血走った目、泡を噴いた口元…まさに字の如く狂戦士と化したイクフィクがクラスクに猛攻を仕掛けた。
その攻撃を避け、かわしながら…クラスクは心の中で呟く。
…全力で斬りかかれば、おそらく倒せる、と。
破壊力は圧倒的に上がっているが、速度はさほど変わっていない。
攻撃の精緻さは逆に下がっており、守備に意識がいかないせいで回避力も落ちている。
だから攻撃の隙をついて己の全力で戦斧を叩きつければ、それが致命傷となるだろう。
クラスクはこの期に及んでそこまで考える余裕があった。
そもそも彼は今も周囲のオークや応援しているミエに被害が及ばないよう常にイクフィクの視界に留まったままその猛攻を凌いでいるのだ。
ある程度の力量差がなければできないことである。
だが逆に手加減や中途半端な攻撃では圧倒的に増大したイクフィクの耐久力を超えられない。
その分厚い筋肉に阻まれて攻撃が通らず、逆にこちらが致命傷を負う危険がある。
だからといってあの破壊力を前に守勢に回ったら武器ごとこちらが両断されかねない。
(武器ごト…両断…?)
その気づきに、クラスクは一瞬躊躇した。
なにせぶっつけ本番、初めての試みなのだ。
自分にできるのか?
本当にできるのか?
もし失敗したら?
もっといい方法があるのでは…?
「できます! だんなさまならできます!! ぜったい! ぜったい! できますからぁぁぁぁかかぁぁぁっ!!!」
だが、クラスクのそんな弱気を…
ミエの応援が完膚なきまでに叩き潰した。
もちろん戦闘のド素人であるミエにクラスクの意図などわかろうはずもない。
というかそもそも今どちらが有利で、どういう状況なのかすら理解できていないだろう。
けれど彼女は信じている。
夫ならきっとできると。
どんなことだってしてのけると。
その言葉が…≪応援≫が、クラスクの背を突き押した。
大きく振りかぶり、猛烈に叩きつけられるイクフィクの戦斧。
それは大地が割れ裂け目ができようかと言うほどの凄まじい破壊力で、どうん、と轟音が響き渡り砂塵が舞った。
半ば吹き飛ばされるように後方に退りながら、反撃とばかりに振るわれたクラスクの戦斧の一撃は、けれどイクフィクにはまるで届かない。
後ろに下がった分間合いが開いてしまったためだ。
やはりクラスクでは届かないか…
イクフィクの覚悟の方が上回ったか。
そんな評価がオークどもの心の中に流れた、その時…
がぎん、と鈍い音がした。
一瞬何が起こったのかわからず、目を見開くオークども。
その頭上に響く…何か重い物体の回転音。
ぶうんぶうん、と音を立て宙に舞ったそれは…
野次馬どもの目の前…ちょうど先刻イクフィクと共にミエを襲おうとしていたオークの足元めがけて落下し、地面に突き刺さった。
「ヒッ!?」
そのオークは己の眼前に落ちてきたそれに驚いてよたよたと後ろに下がり、背後の群衆にどんとぶつかってそのまま尻餅をつく。
それは…斧刃だった。
斧の柄先に付いた刃の部分。斧頭から斧先までの斧刃が宙を舞って落ちてきたのだ。
強い衝撃に手を震わせているイクフィク。
乾いた音を立て地面を転がる斧の柄。
そう…クラスクの一撃はイクフィクを狙ったものではなかった。
イクフィクの猛烈な一撃…その斧そのものの破壊を狙った攻撃だったのだ。
「グルルルルルルァァァァッ!!」
得物を失ったイクフィクは、だが≪怒号≫の効果で未だ正気を取り戻せてはおらず、血走らせた眼でクラスクを睨み獣のように襲い掛かってきた。
けれど斧を持たぬ今となっては、その猛撃はもはやクラスクにとって脅威とはならぬ。
己を掻き毟らんと突き出された腕を体を横にして避けると…
クラスクは、そのまま彼の後頭部を斧の柄頭で激しく打ち据え、昏倒させた。
ぐらりとよろめき、膝をつき、泡を噴いてそのままどう、と前のめりに地面に倒れ伏すイクフィク。
静寂に包まれるオークの村。
「ハァ、ハァ…」
荒い息をついて斧を地面に立てたクラスクは…己の右腕を突き上げて勝利の雄叫びを上げた。