第41話 スキル≪怒号≫
派手で見応えのある斧捌きに観衆のオークどもが大いに盛り上がる。
ヤジを飛ばしながらやれ流石イクフィクだやれあの若さでクラスクも負けてないぞと無責任に論評を始めた。
苛烈で、激烈で、ほんの一瞬の攻防……
だが戦っている二人の間には濃密なやり取りがあった。
種族的に知能が低いとはいえオーク族は熟練の戦士である。
戦いに関してなら皆勘も働けば敵の強さを計る眼力も持っているのだ。
…まあその目で測れるのはあくまで直接的かつ暴力的な強さであって、罠やら搦手やら魔術やらを仕掛けられると何が起こっているのかさっぱり理解できずいいように引っかかる…というような事も彼らには往々に起こりうるのだが。
ともあれ興奮し我を忘れている野次馬どもの中にも、そんな戦士の目を通して二人の優劣をはっきりと見極めている者が幾人かいた。
そして直接対峙している二人は、それを一層鮮明に己の肌で感じていた。
(アニキ…?)
(クラスク、コイツ…!?)
斧を左斜め下に伸ばしてじり、と右足をやや斜め前に出し、腰を落とすクラスク。
攻めにも守りにも備えた構えだ。
イクフィクはそれに反応して左足を引き、やや腰を上げ斧の柄を己の脇に引き付けた。
クラスクの攻撃に対応し、どんな攻撃にも応じるための守勢の構えである。
その互いの構えが…そのまま二人の実力差を雄弁に物語っていた。
(アニキ…こンナモンダっタカ…?)
(クラスク、コイツイツノ間ニコンナニ強ク……!?)
先程の戦端を開いた二人の攻防…素人目から見れば一見互角かややイクフィクが押しているにも見えたあのやりとりは、だが互いの余力という意味に於いては格段の差があった。
最初から全力で攻撃し、相手を殺すかせめて不具にしてやろうという勢いで攻め立てたイクフィクと、肩を暖めつつ相手の様子を窺い、牽制を仕掛けながら可能なら手加減しようとさえしていたクラスク。
その実力差を、直接戦った二人はすぐに悟ったのだ。
(バカナ…! ナゼ、ナンデコレホド強クナル…! オカシイ! ヤッパリアノ女ガツキヲ呼ンデルノカ…!?)
イクフィクの前には迫りつつある『死』があった。
一方的にクラスクに押しつけようとしていた無惨な末路が、今や自分の前に淀んだ染みが如く佇んでいる。
イクフィクは血走った眼でミエを睨むが、彼女はこちらなど眼中にないかのように大声でクラスクの応援をしていた。
それが一層彼を苛つかせる。
そう…イクフィクの推量は的を得ていた。
クラスクが強くなったのは間違いなく彼女の仕業なのだから。
イクフィクとクラスクを比較した時、戦士としての素養にさほど差はない。
一方でレベルとステータスに於いてはイクフィクの方がだいぶ高めだったが、これは2年早く『大人』になっている彼の方がより多く実戦を経験し、その分レベルが高く、ステータスもその分上がっていたためである。
だからどんなにクラスクが努力しても、同じくらい腕を磨いている己の先達としての有利は覆らない…というのがイクフィクの目論見であった。
あったのだが。
以前に述べた通りクラスクはミエの≪応援(旦那様/クラスク)≫の固有効果により、応援のたびに僅かずつではあるがそのステータスに永続的な補正を受け、上昇させている。
その結果戦場で活躍することが増え、活躍した分他のオーク達より早くレベルが上がり、それによってさらにステータスを向上させていた。
そのためこの短い期間でレベルやステータス面でのイクフィクのアドバンテージはほとんどなくなってしまっていたのだ。
さらに≪応援≫スキル本来の効果がこれに加わる。
心からの応援によりステータスや判定成功率に直接[精神効果]の高揚系ボーナスが乗るもので、これは一時的な補正ではあるものの制限時間つきであるがゆえに補正量が大きい。
またスキルは使えば使うほどレベルが上がり、効果が強力になる。
ミエは(昼夜を問わず)日々のたっぷりの夫への応援によって現在≪応援(個人)≫のスキルレベルを上昇させており、これにより応援の効果量がさらに増強されていた。
その上クラスクの場合≪応援(旦那様/クラスク)≫の効果により、その増強された≪応援(個人)≫の効果値をさらに増強させた値で享受できるのである。
ゆえに基本値ではほぼ互角となっていた二人の戦闘力は…ことこの決闘の最中に限り大きな隔たりを伴ってイクフィクの前に立ちはだかっていたのだ。
とはいえイクフィクも歴戦の戦士である。
彼我に大きな実力差があることはすぐに理解した。
そして守勢に回って多少持ち堪えても、守っているだけでは決して目の前の相手を打ち破ることができないことも。
ならばどうする?
自分の勝ちの目はどこにある?
気づくより早く彼はそれを実行していた。
戦士の直感が、目の前の相手を打ち倒すには他に手がないと告げていたからだ。
「グルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルゥ…ッ!」
「アニキ…オイ! イクフィク!」
クラスクがはっと気づいて制止の声を上げたが、少し遅かった。
イクフィクは戦斧を強く掴み、狼のような唸り声を上げ、口から泡を吹いている。
その目は赤く血走って、既にこちらの声は届いていない。
トランス状態に入ったのだ。
「オイマサカ…」
「アノ野郎…!」
「嘘ダロ…!?」
周囲を取り囲んでいたオーク共がざわざわとざわめく。
さっぱり事情が分からないミエは左右をキョロキョロ見回すが、何かの異常事態が起こってオーク達が動揺しているということしか彼女にはわからなかった。
「あの…ラオさん、一体なにが…?」
己の背後にいるオークの一人に問いかける。
彼女を守っている三人組の中では最も背が高く、クラスクの同期であり、仲間内では彼の次に腕の立つオーク、ラオクィクである。
「イクフィクノ野郎…怒号ヲ上ゲテヤガル…!」
「怒号…?」
ラオクィクが歯を剥き出しにして威嚇するようにクラスクの対戦相手を睨みつけながら、斧を掴む手に力を込めた。
…オーク達が好んで獲得するスキルのひとつに≪威圧≫がある。
暴力を伴った交渉判定に於いて、魅力値ではなく筋力値を用いて判定ができるという実に彼ら向きのスキルだ。
≪怒号≫はこの≪威圧≫のレベルを上げてゆくことで解放されるスキルツリーのひとつである。
戦闘補助系のスキルであり、一定時間筋力と耐久力が大幅に増強されることで戦闘力が一気に向上する戦士にとって非常に有用なスキルだ。
反面性格が狂暴になり精神的に向う見ずになるため守りはやや疎かになる。
多少の防御の弱さは向上したステータスによる圧倒的タフネスによって補う、といったコンセプトのスキルである。
問題は…このスキルの使用時、過剰に上がった暴力性が味方にすら被害を及ぼしかねない点にある。
本来は戦場などで単身敵陣に突入し、周囲が敵だらけというところで使用したり、圧倒的に強い魔物などと戦うときに味方に多少被害が出てもどうしても倒さねば…のような状況で使われるいわば切り札ともいえるスキルであり、近くに周囲に村の連中がいる決闘などでおいそれと用いるものではない。
後で周りから色々文句を言われるし、なによりそんな場面で使えば戦っている相手が己より格上だと認めるようなものなのだから。
けれどイクフィクは迷わずそのスキルを使った。
恥も外聞もなく、自分が取れる最高の手を迷わず打ったのだ。
そうしなければ勝ちの目がないというのなら即断でそれを選ぶ。
それがオーク族の戦士としての彼の矜持であり、また侮れない彼の強味でもあるのだ。
「イクフィク…面倒ナこトしやガッテ…!」
もはや兄貴呼びをやめたクラスクが…
肥大した筋力で一回り大きくなり、獣の如き唸り声を上げこちらを威嚇している目の前の化け物に斧を突き付け、己に注意を引き付ける。
破滅を呼ぶ雄叫びが、上がった。